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今日のグルーヴ〈483〉

春は、卒業式、入学式の季節だが、この季節になると、君が代がよく歌われる。娘(孫ではない)の小学校の卒業式で君が代を斉唱したが、何十年ぶりだろうか。


胸が熱くなった。娘が健やかに育ってくれたことに感謝するとともに、自分が日本人であることを強く意識した瞬間だった。


君が代を歌ったのは中学くらいまでで、その後は、演奏の方ばかりしていたから滅多に歌わなかった。大人になるとほとんど歌う機会が無い。


小学校の頃は、君が代と校歌と横浜市歌をこれでもかと言うほど歌わされたが、どういうわけか、君が代しか覚えていない。


残念ながら、卒業式の祝辞は、どなたも原稿の棒読みであった。たとえ、自分で書いた原稿であっても、原稿を読むことに追われたのでは、何にも伝わってこない。国会の答弁と同じである。グルーヴ感ゼロである。


賛否両論あるが、やはり、譜面を見ながらの演奏より、ほぼ暗譜状態であれば、まったく演奏が異なってくるに違いない、と思わずにはいられなかった。演奏中、譜面は必要だがそれはそれこそメモとしての役割である。


子供達が交代で発声する「別れの言葉」とかいうものは、子供達にはもうしわけないが、出来損ないの前衛劇、不条理劇でも観ているようで聞くに耐えない。私が小学生の頃にもあったが、まだこんな事をやっているのか、という思いだ。


原稿には、子供達が望む言葉も盛り込まれているらしいが、私の頃は、先生方が全部書いたように思う。言わされている感が半端でなかった。それは、聞かされている父兄も一緒で、私の母は、恥ずかしくて聞いていられない、と言っていた。グルーヴどころではない。


子供達の歌には熱くなった。総代の言葉と、子供達の歌で十分なのではないか。


卒業に関する名曲はたくさんある。音楽の力は大きい。歌には知らず知らずのうちにきっと心を無心にする作用があるのだろう。ゆえに作りものではない素直な心が伝わってくるのである。


昔、小笠原諸島に行ったときに子供達の校歌を聴いたことがあるが、あらゆる音楽を凌駕するのではないか、と思われたほど胸が熱くなったことを思い出した。


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