今日のグルーヴ〈433〉
学生時代までの人生と、それ以降の人生とを比べると、それ以降の人生のスピードは、坂を転がり落ちるように速い。これは飲み会で、ある時間以降、信じられないくらい時間の経過が速くなるのと似ている。 時間が伸び縮みするのは、誰しも経験していることである。時間が短く感じるのは、充実しているから、グルーヴしているからなのだろうか。 アンサンブルをしているときも、もの凄く時間が経つのが速い。学生時代、アルバイトをしている時、時間の経過の速さに驚愕したことがある。初めて仕事をした日の時間の速さにも唖然としたことがある。 飲み会では、酔いによって、ある種トランス状態になり、脳は素面の時よりも精力的に働き出す。一番精神的にも肉体的にも充実しているの20代から50代までの約40年間も、これと同じ状態なのではないか。 充実しているというより、ただ忙しいだけなのではないか。自分以外の、つまり外部からの情報があまりに多いのである。我々は、社会に出れば自分が発する情報よりも、圧倒的に大量の外部からの情報に翻弄されまくっている。 自由主義社会とはいえ、いや、それゆえに多くの人々は
今日のグルーヴ〈432〉
何をしてもグルーヴしない時がある。演奏だけでなく、生活全般にわたって、グルーヴしないのである。 例えば、朝起きて顔を洗ったり、トイレへ行ったりという習慣の順番を間違えると、そこからの流れが狂い出すことがある。 ゴミ出しの日を間違えたり、あるいは、冷蔵庫内で賞味期限、消費期限の切れた食材の存在に気づく。靴の紐が切れる。忘れ物をする。車を運転しても、渋滞に巻き込まれる。赤信号にばかり遭遇する。 また、仕事でも注意しているのに何かにつけて、ミスをしやすくなる。 こうなると、悪循環、負の連鎖、グルーヴのない状態、あるいは言わば負のグルーヴとなるのである。 グルーヴ感があるときは、まるで逆で、これが同じ人間の人生かと思うほど、快適なのだが、グルーヴ感を失うと、やはり、同じ人間の人生なのか、と思うほど、空回りしだす。 何故こうなるのか。これはどうやらお天道様からの警鐘らしいことに今頃になって気づいた。 やはり、どこかに気の緩み、油断、怠慢等の負の連鎖を無意識にも呼び起こしているのだろう。 しかし有り難いかな、その警鐘は我々に修正することができる余地があるとき
今日のグルーブ〈431〉
先日、久しぶりに家族でファミレスに行ったとき、大きなテーブル席に若い男6人衆がいたのであるが、全員、スマホをいじっていて、一切会話がなかった。さすがに相当に異様な光景であった。 かつては、テレビにかじり付く人がいたが、多くの人がテレビ、地上波からスマホやタブレットに移行したのである。テレビはあくまでも受け身であるのに対し、スマホやタブレットは双方向であるから、興味の度合いとしては、やはり地上波を上回るだろう。 地上波テレビは、インターネットTVによってその欠点を多少でも補おうとしている。インターネットの世界は、規制のあるテレビに比べて、拡張性や発展性や自由性が遙かに高いだけに、地上波の形勢はいかにも不利である。 かつて、映画全盛だった時代、ラジオ全盛だった時代が、あっという間にテレビに取って代わられ、テレビの栄華は長く続いた。テレビの地位は絶対に揺らがないと思われた。インターネットが登場した時も、テレビとは無関係だと思っていたが、それは思慮不足だった。 ところで民放テレビは、元々は新聞を母体としたメディアだった。私が小学生の頃、新聞社をクラスで見
今日のグルーヴ〈430〉
音楽の本質は、テクニックでもなければ音楽性でもない。 娘の小学校で、学年ごとに、合唱と合奏の発表会が行なわれたので聴きに行った。 想像以上に印象に残る素晴らしいコンサートだった。 子供達の歌声は、それだけで感動する。昔、小笠原諸島の父島、母島の小学校で、子供達の校歌を聴いたときに、不覚にも涙を流したことを思い出した。 音楽の感動というものは、いったい何によってもたらされるものなのかを、根本的に考え直させられたものである。 おそらくテクニックではないだろう。テクニックというのは、プロの演奏家には必要かもしれないが、子供達には必要ではなく、まるで関係のない話である。 子供達の歌にはテクニックを超越したピュアな魂がある。それは音楽性なのだろうか? 簡単に音楽性という便利な言葉をいつも使ってしまうが、では音楽性とは何か、ということを改めて問われたら、即座に答えることは困難である。 しかも、子供達の歌を音楽性などという言葉を使って説明しようとしたら、それは陳腐な行為とさえ思えてくる。 テクニックの美しさというものはあるだろうし、演奏家の意図する音楽性という
今日のグルーヴ〈429〉
受動喫煙規制の大幅後退が厚生労働省で検討されているという報道があった。これに関しては、自民党内からも怒りの声が上がっている。 年間、1万5千人もの人が、受動喫煙が原因で亡くなっているのである。 にもかかわらず受動喫煙規制の大幅後退を進めようとするのは暴挙である。このまま行くと飲食店の九割、つまりほとんど喫煙可、ということになってしまうらしい。 店を禁煙にしたら、店の経営に支障が出る、というのが受動喫煙大幅後退派の意見だが、むしろ後退した方が、店の経営に支障が出るのではないか。何故なら、今、成人の喫煙率は、30パーセントを切っている。これに未成年の人口を加えたら、トータルで煙草を吸わない人の方が多いのである。 もしこの案が通ったら、いったいどうなるのだろうか。 下手をしたら飲食店内で客同士の争いが始まるのではないか。 喫煙家と嫌煙家は、絶対に相容れない。話し合いなど、そもそも無駄で、最終的には喧嘩になって終わりである。これは、家庭でも、会社でも、地域社会でも、世界中どこでも共通している。これは私の経験からの実感である。 ゆえに、飲食店内で喫煙可と嫌
今日のグルーヴ〈428〉
インターネットTVの勢いが加速している。人々は、奥歯にものが挟まったような既存のメディアのもの言いには、そろそろうんざりしてきているのではないか。 地上波には様々な制約があり、言いたいことも言えない場合が多々あるのは、周知の事実である。 しかし、その中でも、TOKYOMXテレビのような、本音を上手く引き出すような健闘している地上波もある。 かつて商業雑誌で制約があり、制作予算もわずかしかない状況で雑誌を作った経験から言えば、様々な制約の中で、いかに良いものを作っていくのか、という試みも大切に違いない。 なぜなら、そのように追い込まれた状況からなんとかひねり出す、という行為に思ってもみなかった効果があったりしたからだ。 例えば、雑誌の各号で、特集記事を作る場合、取材、原稿、写真、動画、資料作成…と材料をそろえて行くのであるが、そろえればそろえるほど費用がかかる。 そこで、私は、インタヴューのみで、記事を構成していくことを考えたのである。インタヴュー記事に、読者にとって興味深く、勉強になり、知的好奇心を満たすものを盛り込もうとしたのである。 勿論、イ
今日のグルーヴ〈427〉
大相撲で、幼少の頃(昭和30年代)、最初に記憶にあるのは、栃錦や初代若乃花である。銭湯にあるテレビで見たものだ。ただ、栃若の引退直前で、あまり強いところは見たことがなかった。 当時は、夕方になると、会社のテレビや近所のテレビを見に近所から老若男女が集まってきた。 ゆえに、相撲も皆で見ていた。大鵬、柏戸が横綱になった頃、大相撲の人気はひとつのピークを迎えたのではないだろうか。 当時は白黒テレビだったが、白黒ならではの迫力があった。カラーテレビで初めて見たとき、黒色だけだと思っていた廻しのカラフルさに驚いたものだった。 大学生以降は、クラブ活動や仕事で、生放送で見ることはなかなかできなくなったが、それでも大相撲ダイジェストはたいてい見ていた。 横綱はやはり絶対的な強さがあってこそであるが、そのほかに横綱としての風格や人間性がを求められる。 元々は大関が最高位で、その中から成績人格とも抜群の人に横綱という名誉が与えられたのである。 若貴が引退以降、モンゴル人隆盛の時代である。特に朝青龍は、いつの間に横綱になったのだろう、と思うくらいのスピードで駆け上っ
今日のグルーヴ〈426〉
ニュースを見ていると、様々な事件や交通事故等で、昨日まで元気だった人が命を落とすということが報道されているが、次は自分ではない、という保証はどこにあるのか。 そのようなものはない。しかし、人々は自分には起こらないと確信しているのか、あるいは開き直っているのか、あまり心配しているようには見えない。 このことを考えると、昔、よく読んだ星新一のショートショートの中で印象的だった話を思い出す。 詳細は覚えていないのだが、ある星に犯罪者が送り込まれ、生きていくためには、地面にある無数の地雷のようなものを掘り返さなくてはならない。しかし、実際、地雷もあり、どれが地雷か分からない状態で、意を決して掘り返さなくてはならないのである。 ロシアンルーレットよりは、確率が低いかもしれないが、絶対安全という保証はない。 毎日の生活もこれに近い状況、いやこの状況そのものではないだろうか。 このような状況で主人公は、悩みに悩む。実際、遠方の方からは、爆発の音も聞こえているのである。地雷を掘り起こすたびに、主人公は、肝を冷やすのである。 しかし、あるときから、主人公は、悟りを
今日のグルーヴ〈425〉
グルーヴについて、いろいろ洞察し、また、その定義自体を模索してきているが、先日、高校生の息子にいい言葉をもらった。 グルーヴとは、音楽のずれから生まれるノリである。 ここまでは、私も書いてきた。重要なのは、その先である。 アンサンブルとは、お互いのズレを共通認識することである。 そもそもアンサンブルとは、そのズレを共通認識し、グルーヴを生み出す行為である。 しかも、グルーヴを生み出すズレは、リズムやタイミングだけではない。音程のズレもグルーヴを生み出す源である、と言う。音程のズレがうねり、つまりグルーヴを生み出すのである。 なるほど、そもそも、人間同士が演奏する音楽に、まったくのズレがないはずもない。音程、リズムぴったり、というのがあるとすれば、それは、人間の耳の許容範囲内に音程、ハーモニー、リズムが収まっている、ということなのである。 元々ずれている者同士が、新たなグルーヴという価値観を生み出す。これは同じ人間がひとりとして存在しない人類が生み出すあらゆるものの中で、最も尊いもののひとつなのではないか。 アンサンブルの相性が良い者同士というのは
今日のグルーヴ〈424〉
煙草が増税のために、値上げされるらしい。私は煙草は吸わないのだが、私が学生時代の時と比べて、相当値が上がっていることに驚いた。 大学時代、ヘビースモーカーだった友人も、今では、まったく吸わなくなった。それは値上げがきっかけだった。 私は吸おうとした時期もあったが、体に合わず吸うことはできなかった。その代わりビール(正確には今では第三のビール)は、非常に美味しく、体調も良くなる。 ビールは私にとっては健康のバロメーターである。ビールが飲みたいと思わなくなったり、ビールが不味かったりすると、体調が良くないことのサインである。 学生時代から、結石ができやすい体質だが、ビールは利尿作用があるということで、非常に有り難かった。尤も、結石にビールというのは、今では否定されているらしいが。 第三のビールも値上げされた。国は、取れるところからはできるだけ取れ、という姿勢だが、こういう政策が、新しい商品開発を妨げているのではないか。 結局、税収減になっては何のための増税政策なのか。 ところで、北欧では、税率が約70パーセントということらしいが、考えられない率である