今日のグルーヴ〈453〉

大晦日に、朝青龍と琴光喜の7年ぶりの相撲を見ることができた。二人の取り組みの前に、各界のアスリート達が、朝青龍に挑戦したが、相撲という則の世界では、まるで大人と子供だった。朝青龍と琴光喜の取り組みにこそ、真の価値があった。


朝青龍はかつて最も強い力士だった。また琴光喜も横綱を期待されていた。朝青龍の引退も琴光喜の引退にも、何か釈然としないものを感じていたが、本人達もずっとこの7年間引きずっていたことを知って、然もありなん、という思いだ。


二人の取り組みは、相撲の魅力のすべてを見せてくれた。相撲は、仕切りを繰り返し、気合いが互いに乗っていくところに、まずは最初の醍醐味がある。


軍配が返り、最後の塩をとりに行くときの、気合い十分の姿に二番目の醍醐味がある。朝青龍が回しを叩いて気合いを入れる美しくも力強い格好良いパフォーマンスを見せてくれて嬉しかった。


相撲は力士だけのものでなく、ファンも一緒になって相撲を取っているのである。ファンも力士と一緒になって気持ちを高めていく。ゆえに立ち会いで、かわったりしたら、ファンは有り余った力をどこにも持って行きようがなく、とてつもないフラストレーションを抱えるため、抗議するのである。


立ち会いに三番目の醍醐味がある。あらゆる思いを断ち切る。文字通り思い切って立ち会う。相撲そのものの魅力は大半はここまでで集約される。あとはいかに自分の形にもっていくか、そして勝負に対する執念である。


夢に相撲が出てくるという朝青龍も、あっという間に引退に追い込まれた琴光喜も、心残りの引退だっただけに、この7年間、忸怩たる思いだったに違いない。


取り組みの後、朝青龍は、礼に始まって礼に終わる相撲の美学を思い出したことを語っていた。


朝青龍は、これで相撲とは完全に離れ新たな人生に進むことを語り、琴光喜は、これで気持ちよく引退できました、これからは自分を超える力士を育てたいと語った。


横綱としての品格ということがいつも言われるが、横綱の品格を語ることができるのは、横綱の経験者だけなのではないか。そして、ファンの声が自然と形作るものなのではないか。個人的な主観によって作られるべきものではない、と私は思う。


各界の一部の有識者のような人達が、横綱の品格ということを問題視するが、横綱になったことのない人が、品格といった漠然とした概念を語ることに筋違いなものを感じる。


品格というのは、横綱それぞれ独自のものであり、もっと言えば、すべての力士にあるのではないか。ことさら横綱だけの品格を語ることに違和感を禁じ得ない。品格は目標ではなく結果なのではないか。品格の為に相撲をとるわけではない。


二人ともこれからの人生に向かうべく、吹っ切れて晴れ晴れとした表情だった。ここに真の品格があった。

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