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今日のグルーヴ〈415〉

小学校の時、ある日の朝礼で、どういうわけか、校庭に先生方が全然いなくて、校長先生と副校長先生しかいないということがあった。


詳細は分からず、真偽も分からなかったが何か組合関係の都合で、先生方が一時間ほど、学校を留守にするという生徒らの噂だった。


全校で1000人以上の生徒を相手に、たった二人の先生で一時間もたすのである。


校長先生も副校長先生も、かつて見たことのないほどの必死の形相で、なんとか時間をもたそうとされていた。


生徒の誰もが子供心ながら、この場を乱してはいけない。お二人の先生のお話はつまらなかったが、聞いてあげようという気持ちだった。


私がいた小学校は、文部省(当時)の実験校であると、後年クラス会が行なわれたときに担任だった先生から聞かされたことがある。


ああ、それで学校全体が暗い雰囲気だったんですね、と言ったら、先生は否定されなかった。


先生は見たことのない笑顔で、ご機嫌で、三次会では、ご自身の家に誘ってくださり、酒をどんどん持ってきてくださった。


先生が担任だった当時、ものすごく厳しく怖い先生だったので、いくらクラス会とはいえ、この変貌には驚いた。


おそらく、先生は極右の方なのではないか、と小学校当時から想像していたのだが、クラス会で先生のお話を聞いて、極左の方であったことを知り、驚愕したものだ。



私が小、中、高の頃、先生方は、思想、右翼左翼といったことに悩んでおられたが、だんだんそういうことに悩むこと自体に意味を見いだせなくなったものだ。


私の時代は、左翼とか、ちょっと左寄りのリベラルというのが流行りだったが、これはおそらく当時の先生方の影響大、だったのだろう。


大学に入った時は、学生運動が下火になりかけてきた頃だが、それでもキャンパスにはアジテーション看板が幅をきかせていた。


大学全体としては、左翼的だったのだろう。ところが、私が入った吹奏楽部というのは、そもそも起源が軍楽隊のようなところがあるから、極右のような団体だった。


他の大学の吹奏楽部もだいたい同様で、そもそも我々は、音楽を奏でることが目的であるのだが、礼儀や出欠に厳しく(これは当たり前だが)、鉄拳もあったりしたものだ。


規律正しく団体行動で動くところがあり、この点がオーケストラと大きく違うところである。


それで思い出したが、だいたい管楽器の人間は、右寄りが多く、弦楽器の人間は左寄りが多い、と私には思える。


話は逸れそうになったが、とにかく吹奏楽部は、見かけは長髪のヒッピーみたいな人でも、思想は極右であったりするので、このギャップが面白かった。


指揮者からの指示や先輩からの指示に対して、その返事が「押忍(おすっ)!」なのである。


「そこのフレーズ、優しくドルチェでね」

「押忍(おすっ)!!」

なのである。


以上のことから、同じ人でも、環境や豆腐の角に頭をぶつける等の弾みで、極左にも極右にも、どちらにも行きうるのではないか。元々もっている人間性と思想とはまるで相関関係はないのではないか、と思うようになった。




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