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今日のグルーヴ〈388〉

今世紀に入り、ネットの登場と相俟ってメディアの弱点が図らずも露見してしまったが、それはメディアの一部分であるジャーナリストにも繋がる話である。


ジャーナリズム、ジャーナリストと言えども、結局は他人が為した事件、事象で相撲を取っているだけで、ゼロから自分で生み出したオリジナルなものはない。その分、客観的な情報を伝達してくれればまだしも、どうやら殆どが主観である。


編集者もジャーナリストの仲間らしいが、所詮、編集者も何も生み出さない。様々な情報を集めて並べ替えるだけである。しかも、その集め方も偶然の産物であることが多く客観性に乏しい。


材料の集め方に客観性がなければ、料理しても栄養が偏る。ただし、自分好みの美味しいものを作ることはできるかもしれない。


問題なのは、何を載せ何を載せないのか、という部分である。何故なら何を載せていないのか、そこは読者には分からないからである。


そのような状態で、染まりやすい日本人はすぐに洗脳される。特に私はすぐに洗脳される。


例えば、戦後、ある時期、アメリカから大量の映画やドラマや入ってきたが、ドラマで出てきた一升瓶のような牛乳瓶に、救いようのないカルチャーショックを受けたものだ。


このような国とそもそも戦争したことの無謀を子供心ながら感じたものである。このようにして、すぐ染まるのである。


終戦後の日本人の変わり身の早さに改めて驚くが、それが客観的な情報によるものであるならばまだしも、今から見れば、偏った情報によるものであることは、歴史が証明していくものだろう。


元編集者として思うのは、できるだけ第一次情報としての純度を保とうとした。映像より分かりやすいものを作ろうと心がけた。しかし、それは絵空事でしかない。映像に勝る第一次情報はそもそもない。


今になって、世のあらゆるジャーナリズムに対しては一度は疑ってかかった方がいい、という考えに至ったことに忸怩たる思いである。


とはいえ、メディアは偏っているにせよとりあえずの情報の伝達者として必要な存在ではある。しかし、あくまでも伝達者であり黒子である。情報を受け取る側は盲目的にメディアを信用することに懐疑的になるべきである。

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