今日のグルーヴ〈215〉
グルーヴとは積極性と同義であると考える。
グルーヴは本来誰でも持っているものである。であるから、グルーヴを知らない人、認識していない人でも、演奏にはグルーヴがあるはずである。
にも関わらずグルーヴが感じられない演奏が多々あるということは、環境や複雑な世の中のために、押し込められてしまっているのではないか、と私は考える。
勝敗がつくスポーツや試合であるならば、相手からノリのグルーヴを押し込められることは多々ある。しかし音楽は試合ではないし、勝敗でもないから誰からもグルーヴが押し込められるはずはない。
であるがゆえにグルーヴをテクニックとして認識し、捉え、解放するテクニックが必要ではないだろうか。
また、グルーヴを認識している人でも、今日はノリが悪いな、と感じる日もある。であるがゆえに、グルーヴを解放するテクニックが必要であると考える。
何か、ノラない時、調子が悪い時、消極的になりがちであるが、海外の演奏家の多くは、こういう時や、アンラッキーな時にこそ、意図的に、あるいは本能的に積極性を増すことを心がける。これは精神的なテクニックである。つまり無念無想がここに生きてくる。