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バロック・ヴァイオリン奏者の巨匠、
エンリコ・オノフリが、
このように言っている。
「同じヴィヴァルディの曲を
モダン奏者と古楽奏者が
同じように全部の音をヴィブラートしたら、
聴いた感じとしては
表面的には同じなのですが、
ヴィブラートの意味が違うので、
音楽としては
違うものが聞こえて来るでしょう。」
ヴィブラートに限らず、あらゆるテクニックに
同じような考え方ができるような気がする。
 
例えば、テンポ。
 
速めのテンポだな、と感じる演奏と
遅めのテンポだな、と感じる演奏とを
計ってみると、
機械的には、同じテンポであった、
ということを私はたびたび経験したことがある。
 
人間の耳(私の耳)では、同じテンポの演奏でも、
違って聞こえるのは、どういう理由なのか。
 
これは私だけのことかと思ったら、
そういうことを感じる人が他にもいるのである。
 
これは、時と場所によって、聞こえ方が違う、
というのとは別の話である。
 
ほぼ、同じTPOで、二つの演奏を聴いたときに、
同じテンポなのに、違ったテンポに聞こえる、
という話である。
 
これは、発音のタイミング、ヴィブラートの勢い、
音色、音価……などの要素が影響していると
私は想像しているのだが、
 
もっと言えば、深層心理にある音楽観、テンポ感、
もっと言えばグルーヴ感が、
影響しているのではないか、と思うのである。
 
どんなに、テンポを厳格に設定して、その通りに
演奏しようとしても、
あるいは、
どんなに指揮者のテンポに合わせようとしても、
 
奏者の深層心理には、勝てないのではないか、
とこれも想像ではあるが、そう思うのである。
 
もちろん、表面的には、
設定したテンポなのであろうが、
人間が百人いれば、百通りの演奏がある。
オーケストラもそうだと思うのである。
 
で、厳格に、
アインザッツ、ハーモニー、音の処理等を
トレーニングして合わせようとする演奏があるが、
その演奏に私は最近、不自然さを感じるのである。
 
トレーニングするのは、演奏を整えるという意味で
価値のあることだと思う。
 
しかし、それから先は、
本当の意味での音楽である。
音楽的に心を打つ演奏であれば、
極端なことを言えば、
ずれていた方がいいという場合もあると思う。
 
深層心理にある、
各自のグルーヴ感の違いが、
新たなグルーヴを生み出す、
ということになってくるように思う。
 
つまり、意識としては、無念無想、
深層心理に任せる、という状態なのだろう。
私が演奏するとしたら、その境地になることを
目指したい。
 

第21回 もうひとりの自分に任せる(その4)

 

今週の青木節 

アッコルド編集長 青木 日出男​​

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