コンクールも3次予選となると、流石にヨーロッパ各地から関係者が集まってくる。週末に向け、聴衆も増えている。初日から筆者がひとりで占拠していた劇場2階のプレス関係者用ボックス席も、今日は住人が増えた。
 
ドイツのツアーを担当するエージェント女史。昨日までの予選も可能な限りストリーミングで聴いていただけでなく、大阪のストリーミングも聴けるものは聴いたという。アルカディアQはハンブルクの大会でも優勝してるのよ、そのときは私はぴんとこなかったんだけど、大阪はどうだったの、ああ、凄く良くなってたのね。で、2位がカヴァレッリQだったのよね。ケレマンQは行かなかったの、ああ、年齢規定でダメだったのかぁ。なるほどねぇ…
 
と、隣のボックス席から当のケレマン君がこちらに手を振っている。仲間を連れ、カヴァレッリQの演奏を聴きに来ているのだ。モーツァルトのニ短調では食い入るように眺め、拍手をして、また練習場に戻っていった。
 
本日と明日の夜9時から、現在地下駐車場工事中で大いに囲まれた公園(その大いに巨大なボルチアーニの写真が貼ってあるのだが)の向こうで、3次予選に進めなかった団体が演奏会を行なうとの告知がいきなりあった。なんと、今日は地元インダコQがピアノのブルノー・カニーノとシューマンの五重奏を演奏するという。えええ、と思ったものの、なにせ昼に行った池田審査委員長とのインタビューを原稿にせねばならぬ。泣く泣く涙を呑み、セッションが終わるや宿に戻り、今に至った次第。
 
なにせコンクールの真っ最中だ。池田審査委員長としても、語りたくても語るわけにはいかないことはいろいろあろう。敢えて「コンクールについて語る」ではなく「池田菊衛大いに語る」と思い、気楽に読んでいただければ幸いだ。
 
 
――池田さんは室内楽のコンクールで審査員という形で関わりになった経験は。
 
池田:昨年のバンフの弦楽四重奏コンクール、それからずっと前の1970年代、民音の室内楽コンクールで呼ばれたことがありました。黒沼俊夫先生(注:巌本真理Qの実質上の主導者だったチェリストで、民音室内楽コンクールでは審査団の中心となっていた)とか、江藤先生とかいらっしゃいましたね。
 
――池田先生は30代じゃないですか。
 
池田:30代になったばかりくらいかな(笑)。僕は27歳で東京Qに入ってますからね。それはそれで面白かったけど、今回がいちばん楽しんでるかな。審査委員長だからじゃなくて、審査員の間柄。
 
バンフでちょっと苦痛だったのは、みんな現役の弦楽四重奏弾きだったので、自分のクァルテットはこうやる、という視点が前面に出て来たことでした。
 
聴き方にしても、例えば、ヨーロッパから来るグループがチェロが真ん中に坐るだけでもうダメなんですよ(笑)。今回、ここでずっと見ていて、チェロが外に居るのがいいグループもいる。あくまでもバランスの問題で、彼らが自分達で決めて、自分達でやってることだから、それはもう受け入れるしかない。
 
――場所を交代している団体もありましたもんね。
 
池田:そう、僕はね、それは凄く嬉しかったんです。というのは、それだけ自由に、フレクシブルにやれるわけでしょ。ヴィオラとヴァイオリンの内声が場所を代えたところがあったでしょ。最初、チェロが位置が変わって中に入ってるな、それは良いじゃないか、と思ったんです。
 
古典派を教えるときに、しばしばチェロを中に入れることがあります。やっぱり、外声は意思の疎通が凄く難しいんですよ。古典のハイドンとかモーツァルトとかは、その外声が凄く大事だから。それで、そういう風に坐らせてみて、ダメだったら直ぐに戻します。生徒にいろいろやらせてみる。
 
――聴き取る、ということですか。
 
池田:いろいろあるんだけど、いちばん大事なのは、お互いの間柄、関係の作り方、英語ではケミストリーというんですが、それが変わることです。やっぱり第1ヴァイオリンとチェロが近ければ近いほど、緊密なアンサンブルになるから。
 
――最近、対面配置が流行で、セカンドとファーストが向かい合うグループをしばしば見ますけど、そうするとセカンドの人が自分が凄く遠くに感じる、って話をききますね。
 
池田:それはもうセカンドだけじゃなく、ヴィオラでもチェロでもそうです。僕も経験があるんですけどね、あそこに坐ると、ちょっと疎外感があるんです。他の3人がやってることと外に置かれているみたいな。
 
――へえ。
 
池田:完璧な座り方はないのです。だから、ちょっと語弊のある言い方かもしれないけど、第1ヴァイオリンの次に強い人が外側に坐ったら良いかもしれない。第2ヴァイオリンが対面に坐るなら、その人はかなり強い存在、クァルテットの中で重要な役割をする人でないと意味がないと、僕は思います。
 
――予選でケレマンQがああいう位置の入れ替えをしましたけど、案外、聴く方からすると違和感はなかったですね。
 
池田:音としてはそんなに変わらなかったでしょ。今はどうだか知らないけれど、オライオンQが始めた頃は、ケレマンQがやったようなファースト・チェロ・ヴィオラ・セカンドという座り方をしてましたね。ファースト・セカンド・ヴィオラ・チェロにしたり、ファースト・セカンド・チェロ・ヴィオラにしたり、彼らは曲によって変えてました。
 
――素人考えでは、ポリフォニックな線があるから向かい合わせているのか、とか思ったりするんですけど。
 
池田:そういうのもあります。指揮者のロジャー・ノリントンとエジンバラで食事したとき、彼が言ってたのは、自分はセカンドが外に行くのが良いと思う、って。というのは、ステレオフォニック、ファーストとセカンドが掛け合いをする。ハイドンなんかでは違う役割を与えられて掛け合いをしたときに、右と左だととても良いと思う、って。
 
――配置のことなども含め、室内楽のコンクールはどうやって自分達の響きを作るかとかも含めた全部が審査、ということになりますね。
 
池田:そうですね。
 
――独奏と違って室内楽のコンクールの場合、ある技術レベルを超えてしまうと、もう趣味じゃないか、と思ってしまうこともあるんです。そんな中で、審査員の先生方は1位、2位、3位を決めなければならない。審査委員として、生徒達を見るときと、コンクールでは何が聴き方が違うんでしょうか。
 
池田:学生にはいろんなことを教えるのですけど、やはり基本は、楽譜をどう読むか。パッと楽譜を見たときに、フォルテとかピアノとか、エスプレッシーヴォとかドルチェとか、クレッシェンドとディミヌエンドの松葉をどう読むか。
 
厳密に言うと、作曲家によって違う。作曲家が意図したことを楽譜を通して理解することを、僕たちは教えているんです。でも、ここに居る人達はそれだけじゃダメなんです。
 
――はあ。
 
池田:それだけでは優秀な演奏であっても、魅力のある演奏にはならない。それを通して自分がどういう風に感じるか、作曲家が意図していることを自分がどういう風に受け止めるのか。いちど自分の中に入れ、それを消化し、出す。その作業ができていないグループは、優秀な学生であるかもしれないけれど、プロではないのです。
 
プロとしてやろうとしているグループには、いちど自分で消化したものを出すという作業は、絶対に必要です。当然、ないといけない。殆どのグループはそれをしていますけれど、程度があります。
 
僕から見れば、その程度が高ければ高いほどプロの演奏になっていく。プロというのは何かというと、お客さんにアピールするものを持っているかどうか。それがとても大事なことですね。
 
――聴衆へのアピールですか。
 
池田:厳密に言いますとね、演奏家にもいろいろな人がいて、必ずしも良い演奏家だからというわけじゃないんだけど、お客さんとコミュニケートできる人がいる。
 
同じアメリカでも北と南、西と東では全然違うし、ドイツでも同じ事がいえる。同じ国でも同じじゃないのだから、ましてやイタリアに行って、ドイツに行って、フランスに行って、ノルウェーに行って、イギリスに行って…もう全部違う。
 
そんなときに具体的にどう演奏を変えるか。言葉で言えることではないんですけど、微妙にお客さんに反応することができるのが、本当のプロです。会場についてもそう。凄く残響の多い教会で弾くこともあれば、ここ、レッジョ・エミリアの会場は、聴いている方とすれば凄くドライというのでもなく、まあまあですよね。
 
――見かけほど悪くはないですね
 
池田:でも、実際、舞台上で弾いている側とすると、凄くドライだというのです。そんなところでお客さんと反応ができる、コミュニケートできる、そこがコンクールでは非常に大きいと思います。極端な言い方をすると、お客さんに背中を向けて弾くか、客席を向いて弾くかで、同じ演奏をしてはいけないんです。
 
――ソロのコンクールでは、どんな状況であれ完璧に同じに弾けることを求められたりもしますね。そういうものとは違う。
 
池田:技術的な事じゃなくて、むしろ、人間的なことかな。
 
――なるほどねぇ。
 
池田:どんな演奏家でも、舞台に入ってきた瞬間にお客さんから見える印象があるわけです。その印象が演奏にも関わってくる。弾いてる方も聴いてる方も人間なんだから、もうどうしようもないのです。現実としてある。それを理解しているかいないか。
 
――学校に学ぶことではないですよね。
 
池田:先生に学ぶことではない。でも、気が付く人は気が付くし、気が付かない人は気が付かない。
 
ヨー・ヨー・マというチェリストがいますね。彼は、パッと出てきた瞬間に、人間性のオーラがあるんですよ。演奏家としての魅力。にこやかに笑っている、フレンドリーな方が僕は好きなんだけど、必ずしもそうでなくても良いんです。
 
俺のことを見ろ、って出て来る人もいる。それはそれで良いんです。お客さんはある印象を持ちますから。でも、「私のことを見ないで」という風に舞台に出て来ると、演奏もそうなってしまう。
 
――それって、才能なんですか。
 
池田:いや、ある意味で経験。ときどき生徒にも、そういう話をするんですよ。
 
対人恐怖症みたいな人もいるわけでしょう。僕だってそういうところがないとは言いません。やっぱり、できれば1人でいる方が楽だ、ってときはあります。でも、避けられない仕事の一部です。だから、自分で自分を鍛える。
 
対人恐怖のような人がいたらね、全く知らない2人で面と向かい合わせて、ジッと目を見させる。10秒でも20秒でも良い、そんなに長くなくて良いんです。そうすると、自分は全く知らない他人と接しても大丈夫なのだ、という自信が持てるんです。
 
――へえ。
 
池田:なんのコミュニケーションもない、最悪の状態なんですよ。でも、そういう状態を経験することで、恐れが減ることもある。それが全ての解決方法ではないですけど、いろんな方法で解決できます。
 
――人前に出て自分のいちばん良いものを出すために、そういう心理的な設定ができるのもプロである、ということですか。
 
池田:それはちょっと違うかな。自分の持っているいちばん良いものをいつでも見せなければいけないと思うと、それが対人恐怖に結びつく。
 
――あ、なるほど。
 
池田:このコンクールでも、顔を見せられない人がいますね。ああこの人は一度聴衆の前で裸で弾いたらいいかもな、って思いますよ(笑)。まあ、こう話すのは簡単だけど、実際に克服するのは大変なことですけど。
 
――音楽をやっていれば楽譜と自分だけで周囲も許してくれる、という人もいますしね。
 
池田:多分、グレン・グールドがそうですよね。
 
――今、仰れることで結構ですので、10団体を2回聴いてお感じになられていることを。
 
池田:とても難しいことだけれど、クァルテットって、ある意味で文化なんです。東京クァルテットというのは、多分、当時としてはあり得なかった、東洋人が西洋音楽を弾くことが可能だった。我々が西洋音楽に対する愛情があったのはもちろんだけれど、そうなれたいちばん大きな理由は、クァルテットに対する愛情です。
 
好きじゃなかったら、毎日何時間もただひたすら練習だけを続けていくことは不可能ですよ。練習をし続けることで、東京Qという独特のものができていく。これは僕がいなかった頃だから自慢話にはならないんだけど(笑)、ミュンヘンARDコンクールで1位になったとき、本選までいかないで優勝の得点が出てしまって1位になった。それでドイツ・グラモフォンと契約をした。
 
そのこと事態は誇りではない、彼らにとって自慢できるのはそのあと。ドイツ・グラモフォンでレコーディング契約ができて、ハイドンとブラームスの録音をした。これは現場にいたラファエル・ヒリアー先生に直接聞いたので間違いの無い話なんだけど、ブラームスのクァルテットを最初から最後まで弾いて、当然、またもう一度弾くんだとみんな思ったら、録音ディレクターがこれでOKと言う。
 
――一発で録れた。
 
池田:そう。これはスゴイことです。僕は生徒に言うんだけど、練習するというのは1回弾けるのを目的にしていてはダメなんです。20回なら20回同じパセージを弾いて全部同じに弾けてはじめて弾けるようになったことになる。20回じゃなくて100回であればもっといい。何があろうが弾けるという状態まで、若い東京Qは練習した。
 
そこまで突き詰めてやるには、かなり愛情がないとできない。ちょっと好きとかじゃなくて、自分達にはこれしかないと思っているからやれたことだと思うんですね。
 
その意味で…ちょっと話がずれちゃったかもしれないけど、東京Qとしての在り方は、4人で突き詰めてこれしかないという確信を持って弾いている、それが30分の曲の1分目から終わりまで続いているんです。
 
――なるほど。
 
池田:ある弦楽四重奏演奏をパッと聴いて、これは東京Q、これはアルバン・ベルクQ、これはグァルネリQ、これはジュリアードQ、僕はある程度判ります。そんなに時間はいらない、2、3分で判ると思います。それが「文化」だと僕は思います。そういうものが、ちょっとずつ薄れているような気がする。先生のせいもあるのかなと思いますけど。
 
――はあ。
 
池田:つまりね、教えるときに、「ここはこうやって弾くんだよ」って弾いてみせると、生徒には耳で聴こえるから、もう否定できない。真似せざるを得なくなる。僕が言いたいと思った、「こういうことを、こういう表情で」ってことじゃなく、問答無用で音が来てしまう。
 
僕が若い頃、幸運なことに、ヤッシャ・ハイフェッツのクラスを聞く機会がありました。生徒は5人いたかな、ベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》を弾いていた。みんなハイフェッツの音なんです。どうしてなんだろう、どうして自分の演奏をしないんだろうと思っていた。
 
そうしたら、ハイフェッツがちょっと弾いたんです。それを聴いた瞬間、「は、失礼いたしました」って思った(笑)。そりゃ当然ですよ。ハイフェッツの音を目の前でパッと聞いたら、もう真似せざるを得ない。どうしようもないです。
 
――それほどインパクトがあった。
 
池田:僕はそれと同じ事はしたくない。でも、多分、このコンクールの中の何人かは、そういう先生に習っているのでしょう。聴いていて、あの先生の影響でこうなってるんだな、って判ります。それは面白くないんです。彼らの文化ではなくて、違う人の文化を輸入してやってるわけだから。
 
不幸なことに、僕らの頃はお金がないから東京文化会館に潜って、後ろに坐ってた。今は、それこそストリーミングとか、インターネットのダウンロードとか、どんどん聴ける。それで満足できちゃうからかな…不幸なことだと思うんです。
 
生で聴くことの有り難みが僕らの頃はあった。今の子たちはそれがないのでしょうかね。これからはポッと録音を聴いても、このグループはなんだろう、ってのが判らなくなるのが怖いですね。
 
――では今、先生がここで審査員として選ぶのは。
 
池田:「文化」が作れる人達がいるといいな、ということ。多分、結果はそういう団体になると思います。
 
――ありがとう御座いました。

池田菊衛 審査委員長インタヴュー

第10回

パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール

レッジョ・エミリア便り 〈5〉

音楽ジャーナリスト 渡辺 和

審査を前に大いに語る池田菊衛審査委員長。

インタビューを終え劇場に向かうと、あれあれ、地下駐車場工事中の公園を囲む塀に、またコンクール告知の写真が増えている。いちばん右端にクールなボルチアーニの巨大なポートレートが追加された。

なんと、本日夜の9時から囲いの向こうの会場でインダコQとカニーノの無料演奏会があるとの急告。日本との時差があり急を要する当「レッジョだより」原稿作成のために、泣く泣く諦めざるを得なかった。

週末金曜日の夕方、140名程収容できる劇場平土間の審査員席より後ろは溢れてしまう。上の方のボックスにまで聴衆が入り始めた。

カヴァレッリQの演奏前、プレス関係者ボックスの隣から、ケレマンQが「ハーイ」と手を振ってきた。試合が終わった者も、真っ最中の者も、時間があれば同世代の同業者の演奏を聴きにやってくる。

以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

以下は現地時間、日本時間は7時間+
 
5月31日
 
◆ヤナQ
14:30~
モーツァルトK.421
ベートーヴェン《ラズモフスキー》第1番
ピンチャー《ジュズアルドの肖像》
 
 
◆ケレマンQ
16:15~
ハイドン《日の出》
ベートーヴェン《ラズモフスキー》第1番
アデス《アルカディアーナ》
 
 
◆ムチャ(ミューシャ)Q
18:00~
モーツァルトK.387
ベートーヴェン《ラズモフスキー》第1番
アデス《アルカディアーナ》
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