レッジョ・エミリアにいる。本日から第10回パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールが始まった。大阪でバタバタしていてまともに連絡が出来ず、当地に来てやっと新任の事務局長と話をしたら、なんと今回からレッジョもライブストリーミングをするという。以下のURLで視聴可能だ。
http://www.iteatri.re.it/Sezione.jsp?titolo=Live+Streaming&idSezione=3387
 
というわけで、急遽、「レッジョ・エミリアだより」をお届けする。正直、大阪の余りのテンションの高さと疲労感が抜けておらず、身体はボロボロ。基本は現場の空気報告とストリーミングガイドである。
 
本日から木曜日までの1次及び2次予選は、現地時間の午前11時半から午後6時過ぎくらいまでに開催される。日本では時間が7時間先に進んでいるので、午後8時から深夜1時くらいまで。ある意味、宵っ張りの音楽ファンにはストリーミングを眺めるに最適の時間じゃないかしら。金曜土曜の3次予選は、イタリア時間で午後3時くらいから始まる予定なので、週末は宵っ張りを覚悟して欲しい。本選に至っては、日本の日曜深夜からである。請うご期待。
 
 
初夏の大阪城内堀脇で歴史に残る熱戦が繰り広げられた第8回大阪国際室内楽コンクール&フェスタが幕を閉じ5日、遥かシベリアを越え、ハンガリー大平原を抜け、バルカン半島を横切り、アドリア海を渡った先の北イタリアはエミリア・ロマーニャ県の中心地、ハムとパルメザンチーズで名高いパルマと、フェラーリの聖地モデナの間、レッジョ・エミリアに来ている。
 
日本では殆ど知られていない、観光バスも旧市街から遥か北のボローニャとミラノを繋ぐイタリアの東名高速のようなハイウェイをすっ飛ばして立ち寄ることもない地味な街だが、かつては北イタリアの政治中心地でイタリア三色旗が国旗として制定されたのもこの場所。
 
高級ブランドとして知られるマックス・マーラ発祥の地で、旧市街を貫くかつてローマからガリアに向かった街道沿いには、高級ブランド本社が赤っぽい色の街に溶け込んでいる。
 
そしてなにより、「アッコルド」読者とすれば忘れてはならぬ、ここは戦後ヨーロッパで弦楽四重奏のひとつの頂点を極めたクァルテット・イタリアーノの誕生の地でもあるのだ。
 
1943年、この地を何度も訪れ演説していたムッソリーニを民衆が葬り去り、イタリアのファシズムはドイツや日本より一足早く終焉した。だが、ドイツほどの市街戦はなかったものの、戦場となり空襲を受けたイタリア各地の都市では、音楽生活の中心だったオペラハウスは機能しない。なにせオペラは総合芸術、膨大なインフラを前提にしないと成り立たない贅沢アートである。
 
そんな最大の楽しみを奪われたイタリアの音楽好きを癒やしたのが、イタリアQの音楽だった。旧市街のひと部屋に集まったパオロ・ボルチアーニ以下4名の若者は、食料はそれなりに手に入るこの街に籠もり、敗戦後の混乱をクァルテットの練習に明け暮れる。そして1年と少しの研鑽を積み、若者達は楽器を抱え、レッジョ・エミリア駅からイタリア各地に向かった。
 
空襲で壊された巨大劇場のロビーや、教会、邸宅の一室などで、北イタリアの若者達はモーツァルトやベートーヴェンのクァルテットを披露した。ファシズムの熱狂から覚め、闘いに破壊された文化を前に呆然としていた人々の心に、その徹底的に歌い込まれた、まるでルネサンスポリフォニーのように純正な弦楽四重奏の響きは、染み込んでいった。
 
イタリア・クァルテットは、瞬く間にイタリアを制覇し、その旅はヨーロッパ全土へ、そして世界へと広がっていった。
 
レッジョ・エミリアは、イタリアが生んだ最初にして現在でも唯一の弦楽四重奏団を誕生させた街、イタリアのクァルテットの聖地なのである。今も、飲み屋の二階となったクァルテットの練習場だった場所には、「クァルテット・イタリアーノの栄光はこの場所から始まった」と穿たれたプレートが掲げられている。
 
 
時流れ、1980年に不動の第1ヴァイオリンを務めたボルチアーニが没し、イタリアQも活動を停止した。その7年後、ボルチアーニと妻であり第2ヴァイオリンのエリサ・ペグレッフィの使っていたヴァイオリンを賭けた弦楽四重奏コンクールが開催される。当然、場所はここ、レッジョ・エミリアである。
 
なにせ賞品が賞品である。貸与ではなく、楽器そのものの所有権が優勝賞品なのだ。世界中から若手クァルテットが北イタリアを目指した。日本からも民音に優勝し、カザルスホールのレジデントになることが決まっていたハレーQがイタリアに赴いた。そもそも殆ど歴史がない弦楽四重奏コンクールの歴史の中でも、歴史に残るコンクールであった。審査委員にもアマデウスQ、ラサールQ、東京Qなど当時の現役弦楽四重奏奏者がズラリと名を揃えていた。
 
このコンクールで最高位となったのが、カルミナQである。今やもう知る人ぞ知る歴史的逸話なので隠す必要もなかろう。カルミナQは最高位で、優勝ではなかった。そう、パオロ・ボルチアーニが奏でた楽器は、カルミナQのマティアス・エンデルレの手には渡らなかったのである。「優勝者なし」だったのだ。
 
この楽器をイタリアから出したくない一派の策謀(と言われているが、真相は藪の中である)に対し、居並ぶ審査員団は激怒、マスコミに対し「我々は事務局の判断に承服しかねる、審査員団が下した当大会での優勝はカルミナQである」という共同コミュニケを発表。取材に来ていた「ファイナンシャル・タイムズ」に大きく取り上げられ、室内楽コンクールの歴史で唯一無二の大スキャンダルとなったのである。
 
ちなみに実質上の第2位は上海Qで、ペグレッフィの用いていた楽器は当初の予定通りに当時の第2ヴァイオリン奏者ホンガン・リの手に渡った。その後、ホンガンは同団でヴィオラに席を移したため、その楽器は今はヴァイオリン教師を務めるホンガン・リ夫人が用いているとのことである。ボルチアーニの楽器の往く末に関しては、誰も語ることがない。
 
 
プレミオ・パオロ・ボルチアーニは、一度きりの特別な大会で終わる筈だった。ところが、スキャンダルの結果、レッジョ・エミリアがイタリアQ生誕の地であることが世界の関係者に知られ、それなりの注目が集まってしまう。パオロ・ボルチアーニの弟グィド・ボルチアーニが中心となりコンクール運営委員会が発足、3年後に第2回の大会が開催されるに至る。勿論、楽器は賞品ではない。「イタリアQを顕彰する国際コンクール」である。ケラーQが優勝、2位はアメリカのラークQが獲得した。そして3位には、寺岡有紀子、山本友重、馬渕昌子、丸山泰雄から成るすばるQ(現在のヴィルタスQの前身である)が食い込んだ。
 
以降、ボルチアーニ・コンクールは3年毎に開催されることになる。原田幸一郎帰国やカザルスホールのオープン、沖縄ムーンビーチキャンプ開催などをきっかけに、1980年代後半に日本の若い音楽家の間で高まった室内楽への関心を反映し、この時期のレッジョには次々と日本の団体が挑戦。優勝者がなくドイツのマンダリンQが最高位2位となった第3回は結果は出なかったものの、アルテミスQが優勝しミュンヘンに向けて弾みを付けた第4回にはアルテミスQに次ぐ2位無し3位に、後のロンドン覇者アウアーQと並んでロータスQが名を刻んだ。
 
そして第5回、現在の時点で日本を拠点に活動する弦楽四重奏の世界メイジャー大会最高位として、クァルテット・エクセルシオが1位なし最高位2位を獲得するに至る。ちなみにそのときの第3位はロンドンを優勝し意気揚々と乗り込んだカザルスQであった。
 
今世紀に入り室内楽への関心が冷え込んだ日本からの参加は途絶えたものの、続く第6回は室内楽コンクールの歴史に残るクスQ対パシフィカQの熱戦が繰り広げられる。第7回は聴衆の圧倒的な支持を受けたパイゾQが途中敗退(その数ヶ月後のメルボルン大会で優勝した)し、大阪で勝利したタンク・ストリームQは伏兵パヴェル・ハースQの前に第2位で涙を呑んだ(現在、タンク・ストリームQは名門オーストラリアQを襲名、バンフを勝ったティン・アレイQのメンバーが加わっている)。
 
第8回は大阪を優勝しやってきたドーリックQが、その前の大阪の覇者ベネヴィッツQと優勝を争う展開となり、大阪先輩後輩優勝者対決は先輩ベネヴィッツQが3年分のキャリアの差で逃げ切った。
 
21世紀に入り、この大会優勝者はヨーロッパで最も力のある音楽事務所、ソニア・ジメナウアーのマネージメントで世界ツアーが行われることとなり、実質上優勝の賞品は「ジメナウアー事務所での1年間の仮契約権」となった。その結果、「優勝すれば確実にメイジャーになれるコンクール」として世界中の室内楽志望者に知られることとなり、水準はドンドン高くなる。21世紀最初の10年、レッジョは世界で最も難しい弦楽四重奏コンクールと認知されるに至った。
 
そして3年前の前回である。ギュンター・ピヒラーを審査委員長に加えたこの大会、審査委員長が極めて厳格に審査を行った結果、久々の優勝団体無しとなる。満を侍し臨んだアマリリスQとヴォーチェQは順位も与えられず、「ファイナリスト」というタイトルで涙を呑むこととなる。その数ヶ月後、トリオ部門ではトリオ・ラファールが優勝したメルボルン・コンクールで、アマリリスQは悲願の優勝を遂げることとなる。
 
 
そんな輝かしい歴史を誇るレッジョの大会、本日から始まる第10回は、またちょっと様子が異なるようだ。前回の大会の後、ピヒラー審査委員長の「優勝無し」という決定を巡り、市当局が難色を示したとのこと。確かに日本やアメリカ大陸を含む世界ツアーを行う大会などここしかなく、それが中止になるなどスポンサーや事務方とすれば困ったことであろうことは容易に想像が付く。
 
かくて、過去エク最高位以降のレッジョ大会成功の立役者たる事務局長が辞任、ピヒラーもジメナウアー事務所も去り、新たな体制でコンクールが始まることとなった。大阪大会と余りに時間が接近しているのも、新事務局長と日本側の連絡接点がなく、全く調整なしで進んでしまったためとのことである。日本側窓口がなくなり、これまで日本ツアーを行っていた晴海第一生命ホールの弦楽四重奏シリーズでの優勝団体演奏会も現時点では予定されていない。今回、筆者が気楽な見物気分でいられるのも、そのためなのである。
 
とはいえ、日本の室内楽ファンとすれば、ちょっと嬉しい大会でもある。なにしろ天下のボルチアーニ・コンクールの審査委員長に坐るのが、元東京Qの第2ヴァイオリン、池田菊英氏なのである。残念ながら日本からの直接の参加者はいないが、ベルリン拠点のベルリン=東京Q、大阪では1次できっちりした響きを聴かせてくれた日中合作団体のヤナQも来ている。それに、大阪で熱戦を勝ち残り2位となったカヴァッリQもいるとなれば、これは期待するなと言われても無理だろう。はっきり言って、ガチガチの大本命がメルボルンでアタッカQを上回る第2位となり、北京大会も制しているケレマンQであることは誰の目にも明らか。個人的にはこの大会、ケレマンQがどんな勝ち方をするかを眺めに来ていると言っても過言ではない。
 
だが、何が起きるか判らないのがコンクールだ。日本にいらっしゃる皆さんも、毎晩のストリーミングをお楽しみに。

レッジョから世界への歴史

第10回

パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール

レッジョ・エミリア便り 〈1〉

音楽ジャーナリスト 渡辺 和

日本は敗戦を向かえたばかりの1945年秋、この街のひと部屋で1年以上弦楽四重奏の研鑽を積んだパオロ・ボルチアーニ以下4人の若者達は、ここレッジョ・エミリア駅から世界への第一歩を踏み出した。今、3年に一度、同じ道を夢見る若者達が世界からこの駅に辿り着く。

駅から旧市街を貫くガリア街道は、ガリア人遠征に向かうカエサルも通った古い街道である。街道沿いにはマックス・マーラの本社がさりげなくある。

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1週間の闘いが繰り広げられるレッジョ・エミリア市立劇場。アバド家の地盤であるこの辺り、若きクラウディオ・アバドがオペラの研鑽を積み、長じては演出家の息子アバドが父と共演する舞台もここで作られている。ムソリーニが演説し、熱狂する大衆をファシズムへと誘った場所のひとつでもある。

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劇場横に掲げられた巨大なコンクールのポスター。こうなるともうポスターとは言えぬ。

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ダンディな優男、パオロ・ボルチアーニが劇場を見詰める。

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翌日からのセッションを前に、審査員と参加者の紹介が劇場ロビーホールで行われた。真ん中に坐るサムライ風ニッポン男児は、我らが池田菊英審査委員長。

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池田審査委員長がにこやかに眺める横で、今回最年少参加者のケレマンQチェロ嬢が代表して籤引き。「N」を引き当てる。かくて、本日からの演奏は、参加者のアルファベットNから順番に行われることとなる。まずはノーガQが11時半に劇場舞台に登場だ。

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演奏順も決まり、これからここに張り出されるはず。ベルリン=東京Qのヴィオラ嬢が、明日の4番目、と連絡しながら宿舎に向かう。

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以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

以下は現地時間、日本時間は7時間+
 
5月27日
 
◆インダコQ
11:30~
ラズモフスキー第1番第1楽章
ラヴェル
 
◆ヤナQ
12:15~
ラズモフスキー第1番第1楽章
ヤナーチェク第2番
 
◆ジュビリーQ
15:00~
ラズモフスキー第1番第1楽章
モーツァルト・ニ短調K.421
 
◆ケレマンQ
15:45~
ラズモフスキー第1番第1楽章
モーツァルト《不協和音》
 
◆ミューシャQ
16:45~
ラズモフスキー第1番第1楽章
ハイドン作品76の2
 
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