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トラム駅から歌劇場の反対を向けば、そこにはドイツで唯一の高層ビルが聳える大都会。€の像が誇らしげだ。
《パルシファル》はドイツ語圏劇場ではイースターの定番演目だ。半世紀以上変わらない演出を誇る劇場もあるが、フランクフルトの舞台は猛烈な前衛的解釈ではないものの、極めて刺激的でモダン。その一方、ド・ビリーが指揮するオーケストラは如何にもヴァーグナーなタップリした重厚な響きを聴かせてくれる。
ロビーには、同時に上演中の《旅行者》の批評が所狭しと張られている。ヴァインベルク作品は大いに話題になり、最初は空いていた客席が最終上演前には口コミで満員になったとのこと。
開演前、トラム駅の方から楽屋口にヴァイオリンケースを背負った小柄な女性が自転車で乗り付けた。山口さんである。
私の仕事場を覗きますか、とピットの第1ヴァイオリン席にご案内くださった山口伸子さん。すっかり現場の人である。
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個人的な諸事情で、すっかり休載状態になっていまっていた当連載、まだまだ体調万全とは言えないものの、少しずつでも復帰させていただきます。まずは、去る3月にフランクフルト歌劇場の団員用カフェの片隅で、演奏時間だけで5時間に近い超大作《パルシファル》のピットに入る前にお話しさせていただいた、同歌劇場管弦楽団ヴァイオリン奏者山口伸子さんのインタビューである。
筆者の来訪目的は、昨年の夏にニューヨークでの公演を当稿にレポートしたヴァインベルクの話題作《旅行者(パッセンジャー、パサジエーレン)》のフランクフルト初演であった。なにしろホロコーストを行なった国の経済中心地の公立歌劇場での上演である。例えて言えば、初台の新国立劇場で従軍慰安婦施設を舞台にした韓国人作曲家の作品が上演されるようなものだ。今の日本の公共主催者に流れる空気では、とても上演など出来ない作品であろう。
作品そのもの、上演を巡る話とは別に、ここフランクフルトのピットで弾くようになって8シーズンになる山口さんの「オペラで弾くこと」談義は極めて興味深かった。可能な限りノーカットでお読みいただくことにしよう。なお、ドイツのオペラ劇場のシステムや地名については、解説を始めるとキリがないので、敢えてそのまま記す。悪しからず。
◆フランクフルトの歌劇場について
――これからお弾きになる《パルシファル》は、演奏時間が長くて大変ですね。
山口:労働契約上、純粋に弾いている時間が3時間15分までが1サービス。《パルシファル》はそれ以上かかるので、2コマ分の仕事数になる。3時間15分の中に収まるか収まらないかくらいの曲は、収まるようにカットするんです。ヴァーグナーはそもそもカットする意味がないくらい長いですから。
――へえ、それは今の作曲家にはちゃんと教えておかないとダメですよね。
山口:そう、確かに(笑)。
――ところで、フランクフルトのオペラというのは、日本では案外知られてないんですね。日本でドイツのオペラというと、ベルリン、ミュンヘン、ドレスデンなどは凄く有名で、フランクフルトは日本からの飛行機がみんな来るのに、ああオペラもあるんだ、って。失礼なことを言ってるのは判ってるんですが。
山口:失礼ですよね(笑)。でもそういう人、います。
――なんででしょうか。
山口:私が思うに、ミュンヘンとかシュターツカペレ・ドレスデン、ベルリンの州立劇場とかは、日本ツアーをやってますよね。日本で有名で、名門とかいうから名門になっちゃうでしょうけど、実は知名度にあまり差がないんですよ。私が言うと説得力ないんですけど(笑)。ミュンヘンの方がお給料は良いですけど。
――ミュンヘンはチケットが高いですよね。
山口:私はあそこには全然憧れないです。ああいう、ちょっとブルジョアみたいな、高級感があって。
――ミュンヘンって、聴衆もちゃんとした格好じゃないとマズいですから。メシアンのオペラなんかでも、ガッツリ正装しないと。
山口:それを善しとする、保守的な感じが残っている。
――みんな好きでああいう格好をして来る、って感じですもんね。
山口:そう、コンサバなんですよ。ここフランクフルトは、戦争よりもっと昔から、カイザーなどがいたことがない。ブルジョア階級の市民がいろいろやっていた。だから、昔から外国人にも開けていたし、オープンなんです。フランクフルトの街にはそういう特色がある。
――なるほどねぇ。
山口:お給料が良いとか、どっちが大きいとか小さいとか簡単に見比べようと思ったら、オーケストラの規模。どれくらいの人数を雇えるかということで、大きい会社か小さい会社か(判る)。大きい会社には良い人が選ばれて入ってくる。そうやって単純に比べることは出来るんです。ここは110人くらいいるんですよ。
――あ、そんなに。
山口:ええ。ハンブルクも同じくらい。ミュンヘンはもうちょっと多いかな、でもそんなに変わらない。ここは第1ヴァイオリンだけで20人弱いるんです。
――話が戻りますが、フランクフルトのオペラは日本に来たことないんですよね。ハンブルクだってドホナニ時代に来たことあるのに。
山口:引っ越し公演はお金かかりますからね。私たち、全然外に目が向いてなくて。私はそれが良さだとも思ってるんですけど。観光客ではなく、地元のお客さんで劇場がいっぱいになるんですよ。
――確かに大きな都市の割に、この劇場は観光客が少ないですね。
山口:プログラム見ても、観光客を狙ってないんですよね、変わった作品をドンドンやるし。(フランクフルト歌劇場の傾向と)カールスルーエ歌劇場が似てるんですよ。このヴァインベルクを真っ先にドイツでやったのがカールスルーエです。
――昨年だか、カールスルーエに、ジョン・アダムスの《ドクター・アトミック》を観に行きましたよ。そういう場所なんですね。
山口:誰もやったことないものをどんどんやっちゃう、みたいな。ここも、少し《ボエーム》とか《魔笛》とか入れといて、観光客はそっちに行って貰う。でも地元客はもうそういう作品じゃ満足しないですね。
――なるほど。でも、カールスルーエとフランクフルトでは、街としての在り方が違いますからねぇ。
山口:でも、フランクフルトも小さいんですよ。自転車で全部行けますから。高層ビルがあるのがドイツではこの街だけなんで、イメージとして大都市っぽいですけど、中都市。
――ぶっちゃけた言い方をすると、オペラのオーケストラというのは、就職口としてはとても安定した場所ですよね。
山口:そうですね。
――仕事としては凄く忙しいんですか。
山口:忙しいですね。フランクフルトに居るとわからないし、まあ外からみても判らないんですけど、フランクフルトは市立劇場。フランクフルトはヘッセンの中にあって、ヘッセン州立劇場というのが3つあるんですよ。カッセル、ダルムシュタット、ヴィースバーデンというのがある。そこにヘッセン州が州立劇場のためのお金を3つに平等に分けていて、オーケストラの団員数も3つ一緒で、ここは100人以上いるんですけど、その3つの劇場は、80人弱で少ないんです。オケのレベルもだいたい一緒。彼らはお客さんが埋まらないから、演奏会とかオペラの公演数がどんどん減ってるんです。それは多分、地元が自分達の劇場というよりも、ヘッセン州立って(思っている)。フランクフルトは有り難いことに、凄く忙しく、よくまわっている。お客さんも入ってるし、奇抜な演出でもお客さんが来てくれる。保守的な演出をやっちゃうとブーが出ますから、そういうのは、ほぼないです。オーケストラ弾いている人たちが言うには、昔は演出というものがまだ全然なくて、歌手が舞台のへりで突っ立って、こんな肥った人が、ちょっとコスチュームみたいなものを付けて。どう身体を動かすかという演出がなかったその時代からどんどん来ているので、お客さんが育ってきている。
――それをずっと観てきている客がいる。
山口:その時代に戻ったら、何を戻ってるんだ、と言われると思う。そういう印象。
◆オペラで弾くという仕事
――山口さんの基礎教育は、日本でいらっしゃいますね。
山口:ええ、桐朋です。77年生まれです。たとえば、西江君のひとつ下。チェロの金子鈴太郎、ピアノの菊池洋子と同じ。フランクフルトに留学してきて、2001年からずっとここにいます。フランクフルトを選んだのは、やっぱり先生ですね。もう退官したんですけど、ヴァルター・フォーヒャルトWalter Forchert、という。アフィニスに一時期行ってた方です。
――山口さん自身が音楽家として育ってきた中で、オペラ劇場で弾く経験はなかったわけでしょ。
山口:なかったですね。比べるものと言えば、シンフォニー・オーケストラがあります。フランクフルトの放送響とオペラ劇場を比べるなら、次の人生でも絶対にオペラを選びます。私は両方知ってるんですよ。シンフォニー・オーケストラのやってることって、極端なことを言うと、音大時代にもやっていた。新しくオペラという世界を知ってしまったら、シンフォニーには、いちばん重要な歌詞とメロディの付いた歌が入っていない。凄く悪口を言うと、シュニッツェルに付いてるポテトだけ出てくるみたいに感じちゃう(笑)。
――なるほど(笑)。オペラのオケを選んだのはどうしてなんですか。それまでにオペラは。
山口:カッセルで3ヶ月くらい、それも学生のときです。そのときはまだ右も左も判らなかったですね。当時はまだそんなに楽しめなかった。例えば《トスカ》を練習無しでいきなり弾かされたり。
――《トスカ》じゃ、桐朋ではやりませんもんね。
山口:やらない。そのときは頸の皮一枚、なんとか生き残ったという感じだったんですけど。ここに就職する前にまずフランクフルト歌劇場で6ヶ月、バーデンバーデン・フライブルク放送響で6か月働いてたんです。私が行ったときはオペラは1曲もやらなかったですね。極端なコントラストなので、オペラが恋しくなっちゃった。
――特定の作品や、特定の指揮者が良かった、ということではなく。
山口:(オペラとシンフォニー・オーケストラでは)労働の在り方とか、いろいろなことが違うんです。放送響を6ヶ月経験出来たのも良かったです。やっぱり放送響はツアーが多い、移動が多い。仕事量で比べると放送響の方が少なくて、こっちが多いんですけど、オペラが恋しくなって。フライブルクから戻ってきてここのオーディションを受けたときに、凄くお家に戻ってきた感があったんですね。それで、ここで採って貰って。
――オペラのオケって、日本の若い学生たちって、経験してないことじゃないですか。オペラを弾くには何が大事なのか、シンフォニーと何が違うのでしょうか。
山口:うううん、難しいですねぇ。いろんなことが違うんですけど…完璧主義者には出来ない仕事です。潔癖症みたいな人はオペラは向いてないんです。イタリアオペラやったり、モーツァルトやったり、現代オペラやったり、というのが同時に来ている状態。それを醍醐味と感じるかどうかですね。ちょっとマゾ的な感じがあって(笑)。放送響の、いつもマイクが立ってる状態とは違う。
――それこそ桐朋でやってたような。
山口:そう、これは悪口になっちゃうかもしれませんけど、私から見て、放送響はコンチェルトの伴奏が、苦手なんですね。なんでかというと、パシっと合わせるために、みんながちょっと退くんですね。そうすると、タイミング的にはソロに対して遅れる。ソロがフレーズが流れていても、パン、ってのが、ンパ、になっちゃうと、フレーズがどこかに行っちゃうんです。
――同時にやってれば、合ってる、と思う人もいるわけですからね。
山口:そうです。でも、私には気持ち悪くって。でも、(オペラの在り方に)知り合ってない人もいっぱいいる。知り合ってなかったら、これは判らないです。いろんな可能性があり、向き不向きはあると思うので、向いている人は是非出会って欲しいです。
※
忙しないインタビューに応じていただいた翌日、山口さんからメールが届いた。バタバタした状況で語りきれなかったことを補足していただく言葉には、プロの職業人としての生真面目さが溢れている。筆者個人というよりも、上のインタビューをお読みいただいた読者諸氏全てに対する言葉だと思えるので、これまた失礼にならない限りのカットなしで(多少の表記は弄らせていただくも)お読みいただくとしよう。オペラは几帳面な人はダメ、と仰る山口さんだけれど、実はとても几帳面な方ではないのかしら。
「実は今、フライブルク放送響がフランクフルトに来ていて、昨日の夜の《パルジファル》終演後に楽員数人と8年ぶりの懐かしい再会をしました。(中略)いわゆるシンフォニー畑の奏者たちは、オペラオケを気の毒に思ってるようなところがあります。仕事数多いでしょう、暗いところで伴奏ばっかりでしょう、って。しかも単純に比べて我々より給料が良い、そういうところで彼らは自分達の方が上だと思ってるところがあります。実際そうかもしれません。でも私達オペラオケって、そんな卑屈な人間たちの集まりじゃないんですよね。そういうシンフォニーオケの精神性を笑い飛ばすような人間達の集まりなんです。非常にタフな人間たちなんです。
我々は裏方を含めて1000人以上の劇場という大所帯で、そこもシンフォニーオケとは違います。劇場で働いて数年もすると楽器奏者としての個人の成功だとか、そういうエゴがどんどん自分の首をしめるようになってくる。公演は幕が開いた瞬間からThe Show must go on。表、裏方含めハプニングも日々ありますがそれに凹んでる暇もなく、大事なのは皆でそれをカバーしあって乗り越えることなんです。エゴを捨て、場合によっては例えば弾ききれない音があったら捨て去りながら、とにかく皆で力を合わせて前に進んで行く感じです。他人の尻拭いだって、いちいち恩着せがましくしない。人のせいにしないし、非常にフレキシブルに状況判断して対応していくんです。
あと単純に言って、オペラの演奏の方がアンサンブル能力としてはハイレベルです。伴奏って奥が深くて難しいんですよね。完璧に音を練習通りに演奏するよりも、CDのように縦を合わせるよりも、もっと大事なアンサンブルの細かい要素がたくさんあります。練習の成果を発表したいならそれは小さい頃から発表会でやってたことと変わらないです。
チームワークの醍醐味。劇場という多様性のるつぼ。これに慣れたら、歌がない、演出もないシンフォニーという出し物が私には退屈に感じられます。劇場はメッセージを発することができる文化です。今一緒にこの時代を生きている人に対して、こういうことを一緒に考えようよというメッセージです。大事なことがあるよ、それを忘れてないかな、というメッセージです。オペラよりも歴史が古い演劇の世界でもずっとやってきたことです。アウシュビッツにしたってそうで、あれが政治家にどう取られるかとか、昨日までは考えにも及ばなかったです。
過去に作られた作品を再生するだけでは、博物館的なものになります。そういう保守的な好みの人もいますから、世の中にはそういう劇場も必要ですが、劇場というのは本当は客も参加する場所なんです。受け身じゃない。博物館の絵の鑑賞会じゃない。シンフォニー演奏会よりもずっとずっと映画や演劇に近いのがオペラです。観た後にフワフワと何かを考えながら家に帰るのが正解です。つまり過去に生きた人も今生きてる人も、等しく大事な存在なんですよね。オープンで、平等なんです。老若男女皆に開けているのが劇場という場所です。だから、映画館に通うのと同じように劇場に通う地元の常連客が本当に多いです。外の世界への発信がないというお話も昨日しましたが、実際問題そこまで考えも回らないのだと思います。ドイツにはそういうタイプの劇場が80ほどあります。これは世界中のドイツ以外のそれを全部足したとほぼ同じぐらいの数だそうです。
日本とは単純に比べられないです。地元にしっかりと根付いた劇場文化がドイツにはあります。」(山口伸子)
フランクフルト歌劇場。モダンな建物で、かつての歌劇場は「アルテオパー」と呼ばれ、コンサート会場に改築されている。午後11時近く、5時間近い長丁場の《パルシファル》が終わり、向かいのトラム駅前を人々が家路に向かう。ちなみにドイツの多くの公共劇場と同様、この劇場のチケットを持っていると、開演前と終演後の公共交通が無料になる。
第84回
オペラで弾くということ:
フランクフルト市立歌劇場管弦楽団
ヴァイオリン奏者 山口伸子さん
インタビュー
電網庵からの眺望
音楽ジャーナリスト渡辺 和
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