やはり外せないのは、“宮沢賢治”。もちろん、
読んでおきたいのは、『セロ弾きのゴーシュ』。
この有名な作品は亡くなった翌年1934年(昭和9年)に発表された、
賢治が病床にあって、最期まで推敲を重ねた作品である。
 
無粋を承知で、文面のみを音楽教師的に読めば、
これは間違いなく“レッスン書”である。
 
まず、『金星音楽団』の楽長の指摘を見る。これが厳しい。
—「遅れる」「音程が悪い」「表情がない」「合わない」
プロなのにそれでいいのかと、楽長に強く叱られるゴーシュ。
日頃よく耳にする注意だけに、読んでいるこっちが痛い。
心傷付き、それでも練習に挑むゴーシュにレッスンをしてくれるのは、
ネコ、カッコウ、タヌキ、ネズミ…可愛い動物たちだ。
 
三毛猫は、「もうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤にな
り眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思う」ほど、弾
きまくっていたゴーシュに、
「先生の音楽をきかないとねむられない」から、「ロマンチックシューマン」の《ト
ロイメライ》を弾いてくれという。
→自分を見失うような無茶苦茶な練習は意味がない。
→気分転換も必要だ。感情に素直になれる曲を弾いてみよう。
 
猫の言い様が気に入らなかったゴーシュは嫌がらせに、激しい曲=『印度の虎狩』を
弾き始めるのだが、やがてこれが「面白くなって」くる。
→テクニカルな曲でも面白く楽しく感じて弾くことが大切だ。
 
カッコウは「かくこうというだけ」が「むずかしい」のだと言う。
「たとえばかっこうとこうなくのとかっこうとこうなくのとでは聞いていてもよほど
ちがうでしょう」
→同じ旋律でも表現の仕方次第で、意味や雰囲気が変わる。
 
仕方なく付き合うゴーシュだが、「いつまでもつづけて弾いているうちにふっと何だ
かこれは鳥の方がほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきまし
た。どうも弾けば弾くほどかっこうの方がいいような気がするのでした」
→常に自分の演奏を省みることが大事。
 
嫌になって弾くのをやめてしまったゴーシュに、カッコウは、
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまで
は叫ぶんですよ。」と言う。
→できるまで、諦めるな。くぅ。
 
狸の子は「棒をもってセロの駒の下のところを拍子をとってぽんぽん叩きはじめ」
る。
「おしまいまでひいてしまうと狸の子はしばらく首をまげて考えました。それから
やっと考えついたというように云いました。『ゴーシュさんはこの二番目の糸をひく
ときはきたいに遅れるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ』」
→拍は大事である。自分(の楽器)の癖を知ることも大事である。
 
「ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに手早く弾いてもすこしたっ
てからでないと音が出ないような気がゆうべからしていたのでした。『いや、そうか
もしれない。このセロは悪いんだよ。』とゴーシュはかなしそうに云いました。」
→楽器を調整すること、よい楽器を持つことも大事である。
 
野鼠のお母さんは、子ねずみの病気を治してほしいと言う。
「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになってお
まえたちの病気がなおるというのか」
→楽器を響かせることの大切さ。振動は病を直す力がある—身体の病も心の病も。
 
宮沢賢治、凄くないか?
だって、そのチェロの腕前はといえば、
賢治の親友 藤原嘉藤治の妻キコの証言によれば、こうだ。
「ブーブーベーベー下手だったね、二人のセロは」…ううむ。
 
読み手を選ばないのが、宮沢賢治の素晴らしいところだが、
こういった読み方で楽しめるのは楽器を演奏する人間だけかも。
ふふふ。特権、特権。(笑)
 
 
『金星音楽団』が演奏する「第六交響曲」は、
ベートーヴェンの《田園》と考える向きが多い。賢治は、
購入したレコードを売ったり、惜し気もなくあげたりしていたが、
手元に残していたレコードのうちの一枚が、H.プフィッツナー指揮ベルリン国立歌劇
場管弦楽団演奏のベートーヴェン《交響曲第6番》だった。
 
賢治が「ベートーヴェン好き」だったことはあちこちに書いてある。
なんだか、みんなベートーヴェンだなぁ…もの知らぬ頃は、
当時はそんなにレコードに種類がなかったんだろう、なんて、
いい加減な推測で、賢治等の「ベートーヴェン好き」を納得していたが、
全くそうではなかった。知ってみれば恥ずかしい限りである。
 
賢治は親戚を介して、二十歳過ぎには洋楽に出会っている。
「鍛冶町の高喜商店」に新譜が入荷するたびに注文、
バッハ、ヘンデル、グルック、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メン
デルスゾーン、ショパン、リスト、ワーグナー、ビゼー、チャイコフスキー、ドヴォ
ルザーク、グリーグ、ドビュッシー、R.シュトラウス、ストラヴィンスキー…。
あまりにレコード買うので、ポリドールから感謝状を贈られたのだとか。
 
二十代半ばを過ぎる頃、さらに音楽熱が高まる。
ベートーヴェンを好んでいた彼は、31歳の時、
「ベートーヴェン百年祭」と称したレコード・コンサートを行なっている。
 
宮沢賢治とベートーヴェン。
 
  どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きとばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
 
 
ちなみに、ゴーシュの持つ「糸の合わない」「孔のあいたセロ」は、
藤原嘉藤治のチェロではないかと言われている。
あれ? 賢治のチェロではないのか。
 
嘉藤治は音楽教師で、自身も楽器を演奏した。
昭和7年の秋、盛岡の県公会堂で開催された『盛岡洋楽協会第一回公演会』に嘉藤治
率いる『花巻カルテット』が参加することになる。だが、
如何せん、彼のチェロは「盛岡の活動写真館でセロを弾いていた楽手から五十円で
買ったという穴あきセロ」。一方、賢治のチェロは「百七十円」の立派なチェロ。
嘉藤治の意を汲んだ賢治は、貸すのではなく交換しようと申し出る。
賢治、死の前年の話である。いろいろな想いがあったのだろう。
 
その頃、賢治が別の年下の詩人仲間に書いた手紙。
 
何分にも私はこの郷里では財ばつと云はれるもの、社会的被告のつながりにはひって
ゐるので、目立ったことがあるといつでも反感の方が多く、じつにいやなのです。じ
つにいやな目にたくさんあって来てゐるのです。財ばつに属してさっぱり財でないく
らゐたまらないことは今日ありません。どうかもう私の名前などは土をかけて、きれ
いに風を吹かせて、せいせいした場処で、お互ひ考へたり書いたりしようではありま
せんか。こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いて
ゐる次第ではありません。全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまら
ず、ただ幾人かの完全な同感者から「あれはさうですね。」といふやうなことを、ぽ
つんと云はれる位がまづのぞみといふところです。
 
その「孔あきセロ」は花巻空襲で焼け、一生を終えるが、
賢治のチェロは嘉藤治と共に生き延び、今は宮沢賢治記念館にある。
 
1925年に「詩作上の必要」から、チェロとオルガンを始めた賢治。
三十の手習いである。翌年12月様々な目的を持って上京するのだが
その一つを果たすためにと、新交響楽団の練習場に出向いている。
そこで賢治は懇願する。「三日間でセロの手ほどきをしてもらいたい」…3日!
そうしてトロンボーン奏者でチェロも弾いた大津三郎にチェロを教わることになる。
 
 一日目:楽器の部分名称、各弦の音名、調子の合わせ方、ボウイング。
 二日目:ボウイングと音階。
 三日目:ウェルナー教則本第一巻の易しい曲。
         (参考『喜遊曲、鳴りやまず』中丸美繪著 新潮文庫)
 
賢治は書く。
 
  芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
  人生のための芸術は青年期にあり 成年以後に潜在する
  芸術としての人生は老年期中に完成する
  その遷移にはその深さと個性が関係する
 
 
ところで。
中丸美繪氏は、賢治の描くオーケストラの練習風景は、
新交響楽団のそれを参考にしているのでは、というところから始め、
なんと。
『金星音楽団』の楽長のモデルが“斎藤秀雄”なのではないか、
という仮説を採り上げ、それを丁寧に検証している。
例えば。
当時の新響では近衛秀麿が指揮をしていたのだが、
『楽長』の物言いは、どちらかというと、
斎藤秀雄のそれに似ているのではないか、といった風に。
 
にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしま
した。楽長がどなりました。
「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」
「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひま
はないんだがなあ」
 
確かに、斎藤先生っぽい?(笑)
だが、一門下生としては、こちらの方がより斎藤先生的に感じる。
 
だめだ。まるでなってゐない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさし
たことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。(中略) おいゴーシュ
君。君には困るんだがなあ。表情といふことがまるでできてない。怒るも喜ぶも感情
といふものがさっぱり出ないんだ。いつでもきみだけとけた靴のひもを引きずってみ
んなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。
 
十日間で見事な成長を見せたゴーシュへの、労いの言葉もそれらしい。
 
ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって
聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで
赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。
 
『金星音楽団楽長=斎藤秀雄』説に一票!
 
 
さて、巷の“チェリスト評”は、概ねこんな感じである。
「包容力とバランス感覚に優れた揺らぎのない人間性」…おお!
「温厚」「堅実」「面倒見がよい」「独立独歩」「内輪の結束が固い」…でも、少し
違うかなぁ。
 
自分の中でのチェリストは、“建築家”である。
 
衣食住の『住』を支える、必要不可欠な存在。
ときには徹底的に機能を追求し、ときにはとことん美を追求する。
実直な人もいるし、トリッキーな性格の人もいる、
個性的に過ぎることもあるし、ワンマンな一面を持つこともあるが、
それぞれ、自身が人命を預かっているということだけは絶対に忘れない。
人のために働くことが習い性となっている。そんな。
ちなみに、その“人”とは聴き手であり、仲間であり、家族である。
 
このイメージは、楽器が地に繋がっていること、そして、
楽器を抱え込むような安定した姿勢からも来ている気がする。
 
旋律楽器としては、絶対的な音域の広さを誇り、
十分な運動能力も持ち、その音色は深く豊かで美しい。
 
アンサンブルとなれば、仲間たちをあらゆる面で支える。ただその姿勢は、
包容力やバランス感覚等から発現しているのではなく、また、
愛によって生まれるものでもなく、言うなれば「本分」として、あるいは
「神に与えられた使命」との認識からきているように思えるのだ。
 
それ故に、「宮沢賢治×チェロ」は、
個人的には非常に納得のいく組み合わせなのである。
 
 
『セロ弾きのゴーシュ』の終わりの方に、こういう楽長の台詞がある。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうから
な」
 
これは、病に襲われ37年で人生を閉じようとする賢治の叶わぬ願い、
健康でありたかったという真情の吐露なのかもしれない、なんて考える。
 
 あけそむるそらはやさしきるりなれどわが身はけふも熱鳴りやまず(『歌稿A 
620』)
 
生前に出した単行本は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』のみ。
「賢治は殆ど無名のままでこの世を去った」…それでも。
彼の人生の“音楽”の部分だけを追っても、楽しそうで幸せそうな賢治がいる。 
 
苦痛を享楽できる人はほんたうの詩人です。もし風や光のなかに自分を忘れ世界がじ
ぶんの庭になり、あるひは惚として銀河系全体をひとりのじぶんだと感ずるときはた
のしいことではありませんか。(1925年9月21日 宮沢清六あて 封書)
 
西洋音楽、殊にベートーヴェンを愛したという賢治だが、
それはきっと、“宮沢賢治の銀河系”に浮かぶ一つの小さな星に過ぎないのだろう。
 
賢治は言う。「永久の未完成これ完成である」
有限だったのは、賢治の肉体だけだったのかもしれない。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第110回

セロ弾きゴーシュの遺言

カッコウの鳴き声

Hans Pfitzner conducts Beethoven Symphony No. 6

Berlin State Opera Orchestra 1930, Berlin 

スッペ:《詩人と農夫》序曲 近衛秀麿(指揮)  齋藤秀雄(チェロ) 新交響楽団(現NHK

交響楽団) 録音1933年 

© 2014 by アッコルド出版