top of page
「どう弾きたいのか、分からないんだけど」
「何を考えて、弾いてるの?」
「ちゃんと、イメージできてる?」
「しなきゃいけないことは、ちゃんとしなくちゃ」
先生や先輩たちから、叱責の言葉が飛んでくる。
そうして数日後には、こんな風に嘆息される。
「もっと無心に弾いたら?」
「頭で考えてばかりいるから面白くないのよ」
「勝手なイメージで弾かないでね」
「自由に弾けないかなぁ」
今になれば、何ができていなかったかは明々白々。
だが当時は、ただただ混乱するばかりだった。
勉強が足りないことだけは、分かるのだが、
何をすればいいのかが、分からない。
「感受性も足りないし、感性も鈍いし」…うぅ。
挙句に、「イメージも貧困だしねぇ」とくれば。
だったら、どうすればいいんだよ〜っ!…である。
創作者ではない。
まず、そこにあるものを引き出さなければならない。
次に、その奥底にあるものを引き出さなければならない。
読み取る。聴き取る。感じ取る。
「感動してる?」
「共感できてる?」
「伝えたいって思ってる?」
最後の一刀が振り下ろされる。
「まあ、ないものは出ないけどね」
☆
昔から、心がざわざわする曲、涙する曲、
何度も聞きたいと思う曲、何度も聴く曲、
弾きたいと思う曲、弾いていると幸せになれる曲、
そう、好きな曲は大抵“フランスもの”だった。
母がフランス文学や絵画が好きだという以外、自身は
フランスのフの字もないような生活だったはずなのだが、
振り返れば、初めて読み切った全集は『アルセーヌ・ルパン』、
その後もヴェルヌ、カミュ、サン=テグジュペリなどに魅せられ、
小林秀雄、澁澤龍彦、三好達治…好きな作家・詩人の多くが仏文科卒。
初めて自分のお小遣いで買った絵葉書はモネの《睡蓮》、
何かで見て憧れた『パリの凱旋門』『モン・サン=ミシェル』、
幼い舌に強く刻み込まれた『テリーヌ』や『ヴィシソワーズ』の味。
それからそれから…十分、フランス色に染まっている。
もしかすると、他のものよりは、
少しだけ「何かがあった」のかもしれない。
初めて出会ったそれを「好きだ」と感じる、その気持ちは、
どこからくるのだろう?なんて不思議に思ったりもするけれど。
その後の勉強の仕方が正しかったとは言い切れないが、
今では、苦手な曲や肌の合わない曲でも、なんとか
抵抗なく受け入れられるようになったし、
弾いていて「ああ、これかな」と思うことも増えてきた。
今更ながらに、先輩の言葉を思い出す。
「感動することが、大事だよね」
生活のすべてをヴァイオリンに繋げなければいけない。
そう考えると、日々は辛く苦しく鬱陶しいものになってしまうが、
生活のすべてが、ヴァイオリンと繋がっている。
そう考えれば、何もかもが意味あるものに見えてくるし、
ダラダラしていても後ろめたくない。(それは違うか。笑)
☆
それにしても、ヒントは多い方が嬉しい。例えば、
作曲家自身がインスピレーション受けたものを、実際に、
この目で見ることが出来れば…なんて願ったりする訳である。
そんな願いを叶えてくれる楽曲がある。
例えば、あのムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》。
1870年頃、ムソルグスキーは建築家で画家のハルトマンと出会う。
親しく付き合うようになるが、1873年ハルトマンは動脈瘤が原因で急死。
1874年には彼の母校で大々的に遺作展が開催され、ムソルグスキーは出向く。
その展覧会から半年後に完成されたのが、この曲である。
彼が遺作展で目にした、亡き友人ハルトマンの絵やスケッチ。
『グノーム(小人)』『古城』『卵の殻をつけた雛鳥のバレエ』『ザムエル・ゴルデン
ベルクとシュムイル』『カタコンブ』『バーバ・ヤガーの小屋』『キエフの大門』
…。
堂々たる管弦楽版をイメージして、その絵を見ると一瞬戸惑うかもしれない。
それは可愛らしいデッサンであったり、コンペに応募した作品だったりするからだ。
でも、何度も眺めていると、何かが少し見えてくる気がする。
ムソルグスキーが会場を歩く姿を表現する『プロムナード』が、
彼の行動や気持ちに、よりシンクロしやすくしてくれている気もする。
それは気のせいかもしれない。でも、一つ言えることは、
あれやこれや思いを馳せていると、曲への親しみが増すということ、
演者にとってこれは、何よりも大切なことのはずだ。
レスピーギの《ボッティチェッリの3枚の絵》もお薦めだ。
なにしろ、『春』『東方博士の礼拝』『ヴィーナスの誕生』、
当のボッティチェリの絵画が有名で、目に触れ易い。
そして、楽曲も実にそれらしく、親しみ易く分かり易い。
「自分とは違う」的異論はあるかもしれないけれど。
☆
《死の島Die Toteninsel》という作品がある。
アーノルド・ベックリン(1827-1901)という画家が描いたものだ。
彼はスイス出身の象徴主義・世紀末芸術の代表的画家の一人。
ヒトラーが彼の作品を好み蒐集していたことでも知られる。
5点の作品がある(4点残存)《死の島》だが、この絵には、
暗い水辺に浮かぶ岩に囲まれた小島(イメージはまさに“墓”である)と、
そこを目指し、ゆっくり静かに進む小舟が描かれ、その舟の上には、
櫂を握る漕ぎ手と真っ白な人影、花で飾られた白い棺が描かれている。
舟の漕ぎ手を“カローン”(ギリシア神話に登場する冥界の川の渡し守)
とする説もある。それほどに、神秘的で悲観的・厭世的な絵画である。
題は作者本人が指示したものではないが、本人の言葉に由来するものだという。
この絵は、ラフマニノフとレーガーに曲を書かせた。
ラフマニノフ 交響詩《死の島》作品29。
実は、ラフマニノフは原画を知らず、クリンガーという画家の、
《死の島(ベックリンの原画による)》というモノクロの銅版画から
インスピレーションを得たと言っている。本人は後に原画を見て、
「これを見ていたらあの曲は書かなかっただろう」と述懐したという。
しかし、(本人を差し置いて語るのもおこがましいが…)、
ラフマニノフの《死の島》は、原画にあるその陰鬱な雰囲気、
重い静寂と深い不安と僅かに差す光に見える安らぎ、それら全てを、
見事に描き切っているように聴こえる。他人を介しながらも、
何かを伝えられる作品を描くベックリンも凄いし、介したクリンガーも、
そこから、これだけの作品を描き上げたラフマニノフも凄い。
レーガー《ベックリンによる4つの音詩》作品128もよい。
第3曲が『死の島』、その世界観はまさに「ザ・死の島」である。が、
ヴァイオリン弾き的には、第1曲目の『ヴァイオリンを弾く隠者』が好きだ。
繊細で輝かしい響きに包まれながら、静かに熱く語り続けるヴァイオリン。
天使と隠者。これもまた、ベックリンの絵の世界そのままである。
☆
ドビュッシーの《海》はどうだろう?
《海〜弦楽のための3つの交響的素描》−『海上の夜明けから正午まで』『波の戯
れ』『風と海との対話』
これは曲が直接的に、ある絵画に対応している訳ではない。
単に海の情景を表現した楽曲と言えばそれまでなのだが、
ただ、ドビュッシー本人の希望でその初版の表紙に、
葛飾北斎の《神奈川沖浪裏(『富獄三十六景』の第二十八景)が採用されている。
ドビュッシーの自室には同じ絵が飾られていた。
『ル・タン』紙の批評家ピエール・ラロは、《海》を次のように評した。
「ドビュッシーの絵画的な作品に耳を傾けながら、私は、自然を前にでは全然なく、
自然の複製を前にしているという印象を持った。すばらしく繊細で、創意に富み、器
用に細工された複製だが、それでも複製に変わりない…。私には海が見えず、聞こえ
ず、感じられない」
ドビュッシーは怒り、反論する。
「私は海を愛していて、海に払うべき情熱的な畏敬の念を以て、海に耳を傾けてきま
した。海が私に書き取らせるものを私が下手に書き写したとしても、私たち相互のど
ちらにも関係のないことです。そして、すべての耳が同じように知覚しないというこ
とでは、あなたは私たちの意見に同意なさるでしょう」
アンドレ・メサジェに宛てた手紙の中にこうある。
「自分が今いるブルゴーニュから海は見えないが、記憶の中の海の方が現実よりも自
分の感覚には合っている」
記憶の中の海。絵画の中の海。
海のイマージュ。海へのオマージュ。
「絵画芸術が、ドビュッシーにとって大きな霊感の拠りどころとしてあり続けたこと
は紛れもない事実だ」
そう書かれるほどに、ドビュッシーは絵画を愛した。
その彼がこう言う。
「様々な印象を集めなさい。それらを急いで記譜しようとしてはいけません。なぜな
ら音楽には絵画に優る美点があり、同一の様相の光彩的変化を一極集中化できるから
です。」(弟子ラウル・バルダックへの手紙 1906年2月)
☆
インスピレーションを起こさせるものは、その内にある。
「それ」によって完成された作品はまた、その内に“光”を秘めている。
大切なのはやはり、それを感じ取れるかどうかということなのだろう。
さて、《インスピレーション》と言えば、ジプシー・キングスである。
『鬼平犯科帳』のエンディングテーマ!
この番組だけは、エンディングまで欠かさず聞いていた。
それを最後まで聞き終わって、そこでやっと、
話のすべてが終わる感じがしていたのだ。
ジプシー・キングスは、他の曲もよく聞く。
「フラメンコに南仏のラテンの要素が入ったルンバ・フラメンカのスタイル」
そんな音楽だから、耳では違うものに聴いていたのだが、
ある日、ふと調べたら、なんとフランスの音楽バンドだった。
なんだか、自分が怖い。そんなものなのだろうか?
そんなものだと言ってほしい。
ところで、ベックリンには、
《ヴァイオリンを弾く死神といる自画像》という作品がある。
絵筆とパレットを手にした画家の背後で“死神”が、
たった一本になった弦(G線)を弾いている。
骨だけのその右手の構え方の完璧さに感動しながらも、
気になって仕方がない。—なぜG線なのだろう?
誰か教えてほしい。
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第105回「様々な印象を集めなさい」
レーガー:ベックリンによる4つの音詩 第1曲『ヴァイオリンを弾く隠者』
ドビュッシー:《海 〜 管弦楽のための3つの交響的素描》
ラフマニノフ:交響詩《死の島》作品29 - Andrew Davis
bottom of page