去る6月、レッジョ・エミリアのパオロ・ボルチアーニ・コンクールで演奏するQBT。激戦の中、2次予選まで進出した。

QBT近影。チェロとヴィオラの位置が変わっているのは、地道な進化の現れか。

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クァルテット・ベルリン・トウキョウ(以下QBT)という名の若い弦楽四重奏団がある。メンバー4人のうち3人が日本で生まれ、教育を受けた日本の若者だから、「日本の若い弦楽四重奏団」と呼んでも文句は言われまい。東京クァルテット(以下Q)なき今、日本の外に生活拠点を置き地元マネージメント会社と契約を結び活動している「日本の」弦楽四重奏団は、残念ながらシュトゥットガルトのロータスQと、このQBTしかないのが現状である。
 
当「アッコルド」読者ならば、守屋剛志の名前はご存知の方も多かろう。藝大チェンバーオーケストラばかりか、東京交響楽団、東京フィルハーモニーなどの客演コンサートマスターも務めた期待の若手男性ヴァイオリニストである。
 
ベルリンに留学した守屋氏、なにせこれだけきちんとした音楽を持ち、独奏からアンサンブルリーダーから、はたまたクァルテットまでやれるのだ(トリトン・アーツ・ネットワークがポール・カッツをメイン講師に開催した弦楽四重奏セミナーにも参加していた)、帰国すれば在京オケのコンマスに坐るか、さもなければ帰国せずにそのままヨーロッパで同じような席を探すのだろう、などと筆者はボンヤリ思っていた。
 
そんな守屋氏に、思いがけないところで出会った。2012年9月、ミュンヘンARD国際コンクールの弦楽四重奏部門、1次予選の会場である。Quartette Berlin=Tokyoという、なにやらちょっと  据わりの悪い名称で登場した団体の第1ヴァイオリンに、見慣れた顔があった。守屋氏、その人である。
 
ノーヴスQやヤーナQ、なによりもツァイーデQの動向に関心が向いてしまったこの大会で、まるで若い頃のマーラーのような風貌の青年を第2ヴァイオリンに据えたQBTは、あれよあれよとセミファイナルまで進出。プリンツレゲンテン劇場で演奏を披露することになる。残念ながらファイナリストとまではいかなかったが特別賞を獲得、個々人の水準が極めて高く、堅実で崩れのない音楽は、結果的に「ドイツ各地の音楽学校対抗大会」の様相を呈したこの大会にあって、聴衆や関係者にそれなりの印象を与えることとなった。
 
その後、日本の若手弦楽四重奏団をサポートする松尾財団のオーディションに参加、2年続けて奨学金を得、着実に研鑽を積み続ける。昨年の大阪大会を敢えてパスし臨んだレッジョ・エミリアの大会でも、結果はどうあれ、着実な進歩は感じさせた。個人的には、世界の弦楽四重奏業界で知らぬ者がない「ブリュッセルのマダム弦楽四重奏」イレーネ・スティールス夫人のオーディションで奨学金を得たというニュースに、久しぶりにヨーロッパ若手のメインストリームをきっちり歩もうとする日本の若者が出て来たと、なんとも頼もしく感じたものである。
 
 
2月下旬、グラーツの「国際シューベルト&現代音楽コンクール」で3位を獲得したその足で、QBTが日本に戻って来た。ヴィオラの杉田恵理とチェロの松本瑠衣子の奨学金貸与条件に1年間帰国禁止条項があったため、文字通りのまる1年ぶりの帰国である。
 
待ち合わせ場所に現われたQBTの面々、若いとはいえ守屋氏は30歳を過ぎており、独奏コンクールならばもうベテラン世代。グラーツからそのまま日本各地での公演を重ねる強行軍に、些かの疲労は隠せない。とりわけ、真面目に「過ぎる」という形容句を付けてもいいような守屋氏からは、連日の力演の疲れがはっきり表に現われている。「僕は時差に弱いんですよ」などと仰っているが、それだけの筈もなかろう。
 
以下、QBTと過ごした長い午後の会話の仲から、録音をOKされた部分を抜き出し、ほぼそのまま掲載するとしよう。まず前編は、その守屋氏の熱弁をじっくりお読みあれ。この発言の間、先程までの焦燥ぶりはどこへ、まるで楽器を抱えてステージに立ったかのようなパワー溢れる言葉である。なお、QBTの公式なプロフィルは、以下の公式ホームページを参照されたい。
http://www.quartetberlintokyo.com/
 
――プロフィルを見ると、最初に武生音楽祭と出て来ますね。アルディッティQみたいなことをする人達かな、と思ってしまう音楽ファンも多いと思うのです。結成時には現代音楽を目的にしていた、ということなのでしょうか。
 
杉田:2011年の武生音楽祭は、最初はアルディッティQを招聘することになってたのですが、どういう事情でか、若い人を呼ぼうということになった。そこで、私と守屋君がクァルテットを作って来てくれないか、ということになったのです。
 
松本:ホント言うと、2011年のときは、クァルテットの曲は、日本食屋さんで《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》だかを弾いただけで、ひとつも弾いてないんですよ(笑)。クラリネット五重奏はやりましたけど。本当にクァルテットとしてのレパートリーを始めたのは、ミュンヘンARDコンクールの前の2012年からです。コンクールのために8曲用意しました。
 
――じゃあ、私は最初から聴いてるんですね。
 
杉田&松本:そうなんです。ARDコンクールが弦楽四重奏としてのデビューだったんです。
 
――守屋さんの名前は以前から存じ上げていたわけですが、どうしてクァルテットを。
 
守屋:やはり、メンバーがいいからですね。止められない。それしかないです。コンマスの話とかは今までも実際にありました。クァルテットをやってるので、と言うと、それでも、と仰って下さるところもありました。それでクァルテットの日程を提出して、それでもゲスト、ちゃんと契約なんだけど良い待遇のところを(やりました)。始めはそれで金銭的にも助かるし、良いと思ったんです、でも、クァルテットはやればやるほど、それどころじゃない、音楽的にもっと極めたくなるわけですよ。時間がいくらあっても足りなくなる。もっとやりたい、もっとやりたい。もっと高みに行きたいという、欲が出るわけですよ。
 
――なるほど。
 
守屋:山崎伸子先生が仰ってたのですけど、音楽ってそんなに綺麗事じゃないんだよ、って。日本にいると、人間関係を綺麗に保ちながら、人と上手く付き合いながらやるしかないじゃないですか。この人には言いたいことがあるけど、首席の人に合わせないといけないとか。そうしてどんどんどんどん、自分がやりたいことが出来なくなる。そういうのは、僕は嫌だと思った。
 
――守屋さんも、所謂「ソリスト」を考えていたんでしょ。
 
守屋:まあ、そうなんですけど、良い先生に恵まれまして。僕の室内楽の先生は岡山潔先生と山崎伸子先生です。山崎先生が学部の早い段階で、「男はソリストだけじゃダメだ、ソロが弾けるだけじゃダメ」とハッキリ仰った。ソロも出来て、コンマスも出来て、オーケストラも出来なきゃいけない。総合的な音楽を勉強しろ、ということですよね。音楽の世界は本当に幅が広い。ソロだけじゃなく、スコアも読めなきゃいけない。室内楽のスコアが読めれば、オーケストラ譜も読めるわけです。オーケストラのスコアが読めればクァルテットも読める。同じ事をやってる。それを早い段階で凄く教えていただきました。
 
――日本にいらしたときから、守屋さんはソリスト志望と思ってたわけですが、もうその頃から山崎先生さんに尻をひっぱたかれていたわけなんですね。
 
守屋:早い時期にグシャっとやられて(笑)。それはもう、感謝してます。それから、岡山先生。先生は反対を押し切って藝大に室内オケを作られた。オケといっても室内オケですから、先生はクァルテットの拡大版を目指したんですね。それぞれがクァルテットも組めるようなメンバーが集まって、みんなでクァルテットをやるような気持ちで、室内オケをやる。想い出に残っているのは、ハイドンの《告別》交響曲を指揮者無しでやったことです。
 
――ヨハネス・マイスルさんでしたっけ。
 
守屋:いや、マイスル先生は指揮をなさいました。そのときは岡山先生の知り合いの指導の方がヨーロッパから来られて、指導だけして、本番は学生だけでやったんです。そのときに僕はコンサートマスターをさせていただいた。それが凄く印象的でした。クァルテットみたいに、みんな聴き合いながらの感覚なんだけど、大勢で弾いている。その一体感は凄いと思いました。
 
――正に室内楽ですね。
 
守屋:岡山先生も、山崎先生も退官されてましたね。ですから、僕は本当に良い時期に、いちばん良いもの、美味しいところをいただけた。ボッセ先生もまだご存命で、先生ともヨーロッパツアーで、ヴィーンのムジークフェラインなど、いろんなところをまわりました。良い時期でしたね。それらの全てが、クァルテットへの伏線だった感じがします。
 
――弦楽四重奏をやるのは自然な流れだった。
 
守屋:この世界は、もう知ってしまった以上は妥協のない世界で、妥協がない、というところでどこまでも行けるじゃないですか。だから余計なものがいらない。音楽以外のこと、人に気を遣い、自分を抑えて…まあ、日本は日本の良いところもあるわけですが(笑)。
 
先生のオリバー・ウィレ(注:クスQ第2ヴァイオリンで、ハノーファー音楽院で弦楽四重奏教室を開設、QBTは最初の弟子のひとつである)に言われたんですけど、何がホンモノか、だんだん難しくなる、って。音楽がホントに一番大事なもので、ベートーヴェンが何を言おうとしているか、何を言って欲しいのか、それが楽譜の向こう、もっと向こうどころか、まだ判らないところにある。
 
ベートーヴェンって、その人生は自分とは全く違う状況じゃないですか。耳も聞こえない、結婚も出来ない、婚約しても破棄されて、大砲の鳴ってるは、街は滅茶苦茶で、自分を助けてくれる貴族はみんないなくなって、自分はひとりぼっちで。そういう人が、なんでそういう曲を書いたのか。山崎先生も仰ったんですけど、曲の心と自分の人生がリンクした時じゃないと、ホントにその曲が聞こえてこない。ただの音、上手い音、ヴィブラート、綺麗な音しか聞こえてこない。そこをまず忘れないといけない。音しか聴けない次元は、直ぐに取っ払わないといけない。
 
クァルテットというのは、それでしかないじゃないですか。妥協がないからこそ衝突するし、衝突するのが当たり前です。でも、ぶつかると普通は壊れますよね。だから、ある程度忍耐が必要です。結婚と同じで、ウィレ先生も、最初の1年2年はハネムーンだ、と仰る。どんなメンバーでも新鮮だし、凄くリフレッシュして、自分が生き生きして。でも本心のところでは、こうやりたいのに、ってのもある。最初は上手い関係を築いていきたいから、衝突は避けますよね。だから、そこまで言えない。でもホントのところは…というところでやっていて、普通は2年3年で壊れます。カップルもそうじゃないですか、まず難しいのが2年で、そのあとは6年。あとは高年になって、熟年離婚みたいなパターン(全員笑)。
 
――で、皆さんは5年目になるわけで、いよいよ次の段階に入ったわけですね。
 
以下、今後の日本でのQBAの活動予定など、後編に続く。そういえば、第2ヴァイオリンのモティ・パヴロフ氏の発言がなかった。物静かなイスラエルの若者の果敢な発言は、次回にご期待。
(2015年2月20日新宿にて)

クァルテット・ベルリン・トウキョウ。最新の公式ポートレート。

左からチェロ松本瑠衣子、ヴィオラ杉田恵理、第2ヴァイオリンのモティ・パヴロフ、第1ヴァイオリン守屋剛志。

若いながら、実はみなクァルテットの猛者である事実は、次回にお待ちを。

第82回

クァルテット・ベルリン・トウキョウ

大いに語る(1)

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版