あちらこちらで、『今さら聞けない○○』というフレーズを目にする。
知るタイミングを逸し、疑問形のまま引き出しに入れてあること、
確認するチャンスがなく、正否に不安を抱えたまま行っていること、
「今さら聞けないこと」は考えてみると、結構あるのかもしれない。
 
何十年という付き合いなのに、その人についての、
具体的な情報に関しては一切知らない、なんていうこともある。
誰かに何かを質問され答えようとすると、ふと、
それについての真偽が不安になる、なんていうこともある。
 
ヴァイオリンのことだってそうだ。音大時代は特にそうだった。
「そんなことは知っていて当然」状態で物事が進んでいく日々。
それって何?が少しずつ蓄積する。まずい、誰かに聞かねばと思いながら、
でも、小さなプライドが『聞くこと』を許せなくて…。
 
若い世代にそんな話をすると、(もはや今の自身もそうだが)
「自分で調べればいいじゃないですか」と簡単に言う。
老いの繰り言のようで情けなくもあるが、言っておきたい。
その時代、『調べること』はそう簡単なことではなかったのだ。
 
スマホやタブレットなどはもちろん、PCすらない時代だった。
専門の技術書はあっても、「how-to本」なんて一冊もない。
唯一の味方は、手元にあるたった一冊の音楽辞典。
大学の図書館にもご厄介にはなったが、正直、
本当に知りたいことは、そういうところにはない。
 
かといって、聞くのは恥ずかしい。そうやって、
多くの疑問符に背を向け、檻に閉じ込めてきた。
知らぬまま、納得せぬまま、勘違いしたまま済ませてきたことは、
ある日突然、容赦なく、明確な敵意を持って襲ってくる。
 
その『真実』を知ったとき、
「なるほど」「やっぱりそうか」と柔軟に対応できることもあるが、
ときには、「えっ! 嘘でしょう?」と激しく動揺することもある。
頭の中で灼熱の金属ボールがゴンゴン跳ね回るような感覚。
 
 
例えば、『遺作』という言葉がそうだった。
恥ずかしながら、ある時までずっと信じていたのだ。
『遺作』=その作曲家「最後の作品」だと。
 
勘違いの発端は、多分、モーツァルトの《レクイエム K.626》だ。
この作品は『モーツァルトの遺作』といった書かれ方をすることが多い。
なまじ、彼の悲劇的な死とレクイエムの作曲過程を知っているものだから、
「遺作=最後の作品」という自身が作り上げた公式を正解だと信じた。
その意味も載っている国語辞典があって、なお。
 
映画『戦場のピアニスト』の劇中でも演奏された、
ショパンの《ノクターン 嬰ハ短調》。ヴァイオリン弾きにとっては、
ミルシテインの編曲もあり、非常に身近で演奏する機会も多い曲だが、
この曲は、タイトルに大抵『遺作』と付記される。あの、
愛する者の死を嘆き、祈るかのような、切なくも美しいメロディが、
勘違いを更に深いものにしたようにも思う。
 
有名なバルトークの《ヴィオラ協奏曲 Sz120》、
この曲もまた、『遺作』と表記されることがある曲だ。
1945年、プリムローズの委嘱により書き始めた協奏曲だが、
草稿段階でバルトークは他界。これぞまさに『遺作』だよね、と。
(この曲はハンガリー系作曲家S.ティボールにより補筆・完成される)
 
―遺作opus postumus(羅) opus posthumous(英)
 作曲者の死後出版された作品のこと。通例作品番号は付いていない。
 未発表・未出版の作品や未完の作品などで没後に発表されたものを言う。
 発行者や研究者が後から番号を付ける例もある。
 
先のショパン(1810⁻1849)の《ノクターン 嬰ハ短調》は、
1830年20歳の春に作曲され、その45年後の1875年出版された、
《Lento con gran espressione 》というタイトルで姉のルドヴィカために書かれ、
後に「第20番」という番号を与えられた、『遺作』である。
 
ラヴェルの《Violin Sonata op. posth (1897) 》、業界でも、
「有名でない方のソナタね」なんて言われてしまう曲だが、
この曲は《ヴァイオリンソナタ(遺作)》と表記されることが多い。
もちろん、最後の作品ではなく、パリ音楽院在学中の22歳のときの作品だ。
1975年に発見・蘇演されたため、『遺作』と呼ばれている。
 
 
ショパンは、自分の未発表の作品はすべて破棄するよう言い遺した。
にもかかわらず、ショパンには幾つもの“遺作”がある。
これは後に、友人や研究者たちが勝手に(?)出版したからだ。
 
そう言えば、《変身》で有名なカフカもまた、その死に際し、
草稿やノート類をすべて焼き捨てるようにと遺言している。だが、
ある友人が自身の信念に従い、カフカの未発表作品を世に送り出した。
 
本人の意思に反して―それって、どうなのだろう?と考えもするが、
結果として、素晴らしい作品を我々は手にしているのだから、
しかも、ときには堂々と演奏したりもしているのだから、
まったくもって、文句が言えるものではない。
 
交響詩《魔法使いの弟子》を作曲したデュカスは、
自他ともに認める完璧主義者だった。だからだろう、
自身で納得できなかった作品は、晩年にすべて破棄してしまう。
その数は70曲にも上ったとか。それはそれで…。
 
「最後の作品」を、『白鳥の歌』と言うことがある。
死ぬ間際に白鳥が歌う、その声が最も美しい、
そんな言い伝えから、その人が最後に作った作品、
生前最後の演奏などをそう呼ぶようになったのだ、と。
なんだか素敵だ。本物の白鳥の声は正直今一つだが。
 
「白鳥は死ななければならないと気づくと、それ以前にも歌ってはいたのだが、そのときにはとくに力いっぱい、また極めて美しく歌うのである。それというのも、この鳥は神(アポロン)の召使いなのだが、その神の御許へまさに立ち去ろうとしていることを喜ぶからなのである。ところが、人間たちは自分自身が死を恐れているから、白鳥についても嘘をつき、白鳥は死を嘆くあまりその苦痛のために別離の唄を歌うのだと言っている。しかし、人々が考えてもみない点は、どんな鳥も、飢えたり、凍えたり、なにかその他の苦痛に苦しむときには決して歌わないということだ。伝説によれば、苦痛のために嘆きの唄を歌っていると言われているナイチンゲールとか燕とか仏法僧でさえ、そうではないのである。僕にはこれらの鳥もかの白鳥も苦しみながら歌っているようには見えない。むしろ、僕が思うには、白鳥は神アポロンの召使いであるから予言の力をもち、その力によってハデスの国にある善いことを予知し、まさに死なんとするかの日には、それ以前のいかなる日々にもまして特別に歌い喜ぶのである」~プラトン『パイドン』
 
 
作曲家が急逝した故、結果として最後の作品となったものと、
そうではなく、死を予感しながら書かれたものとでは、
やはり、何か違う。(気持ちが入り過ぎだろうか…)
 
例えば、ハイドンの《弦楽四重奏曲第83番 Hob.3-83 作品103》。
73歳、持病で作曲が困難になっていた時期に作曲され、未完に終わる。
2番目のメヌエット楽章には、ハイドン自身が印刷を指示したという、
「わが力すでに萎えたり。齢を重ね、力衰えぬ」の言葉がある。
(1796年に作曲した合唱曲《老人Hob.XXVc-5》の歌詞の一部)
 
例えば、ベートーヴェンの《弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135》。
ベートーヴェンが完成させた最後の弦楽四重奏曲でほぼ生涯最後の作品。
終楽章には『苦しんだ後の決意』との標題があり、続いて記されたモチーフ、
Graveの部分には“Muss es sein?(かくあらねばならぬか?)”と、
Allegroの部分には“Es muss sein!(かくあるべし)”と書き添えられている。
 
例えば、ドビュッシーの《ヴァイオリンソナタ》。
死を予期しながら書かれたこの曲、その終楽章は思いのほか明るい。
暗く不安を感じさせる音の群れの中に、突然差し込む幾筋かの光。
それを『二重現象』とも言うドビュッシーは、友人への手紙にこう書く。
「それは生命力に満ち、ほとんど歓喜の念に溢れています」…でも続きはこうだ。
「それ以外は、私は相変わらず、虚無の製造工場にどっぷり浸かっています」。
 
例えば、メンデルスゾーンの《弦楽四重奏曲第6番 ヘ短調 作品80》。
作曲を始める凡そ2か月前、愛する姉のファニーが他界。
「音楽のことを考えようとしても、心と頭に浮かんでくるのは深い喪失感と虚無感なのです」
静養先のスイスでこの曲を含む幾つかの作品を作曲して後、彼の命は果てる。
彼らしい優しさと彼らしくない悲哀に満ちた、心震える曲。
 
例えば、フォーレの《弦楽四重奏曲 ホ短調 作品121》
フォーレ78歳、高齢から来る無気力、動脈硬化による手足の痺れ、
遂には肺炎を起こし臥す。視力は落ち、ひどい聴覚障害にも襲われる。
必死に書き上げたこの曲の試演を彼は断る。断るしかなかったのだ。
「やめてくれ! きっとおぞましいものにしか聞こえないのだから」
彼は死の二日前に子供たちに告げた。―「出来る限りのことをした」と。
 
 
ドビュッシー最初期(1880年)の作品に、
《美しい夕暮れBeau Soir》という歌曲がある。
ヴァイオリンやチェロでも演奏することが多い、美しい曲だ。
 
詩はポール・ブールジェ(1852~1935フランスの小説家・批評家)。
 
 沈む夕陽に 川は薔薇色に染まり
 暖かいさざめきが 麦畑を渡る。
 ものみな 幸せであれと言っている
 揺れる心には そう聞こえてくる。
 
 生きる喜びを味わい尽くせ と
 まだ若いうちに 夕暮れが美しいうちに。
 そう いずれは行くことになるのだ
 波は海へ 私たちは墓場へ。
 
この詩を採り上げ、歌曲にした18歳のドビュッシーを想う。
そうして、最後の《ヴァイオリンソナタ》を聴く。
それはどちらも、どこまでも“ドビュッシー”なのだが、
そこにあるのは、彼自身の出した問いと答えのようにも聴こえる。
 
 
遺されたものに、そっと耳を傾ける。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第102回白鳥の歌が聞こえる。

Debussy: Beau Soir (Joshua Bell)

Barbra Streisand - Beau Soir

Debussy-Violin Sonata : David Oistrakh & Frida Bauer (1972)

© 2014 by アッコルド出版