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還暦演奏会の発起人、当日の裏方スタッフには、「アマデウス・コース」時代からの生徒らが何人も顔を並べた。
当日プログラムの巻頭には、アマデウスQメンバーの中で唯一の存命者となったチェロのマーティン・ロヴェット翁からの祝福メッセージが掲げられている。
「アマデウス・コース」が終わった後も「クァルテット・フォーラム」の活動は続いた。大事な業績のひとつは、日本を終焉の地に選んだシモン・ゴールドベルクの録音遺産の整理。総計10数枚もの限定盤CDとして世に出された知られざるゴールドベルクの演奏は、その後、世界中のマニアが貴重盤として追いかけることになる。
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松の内の1月4日、東京藝術大学奏楽堂で行なわれた音楽部長澤和樹教授の還暦記念演奏会の様子は、前回レポートさせていただいた。大真面目な正装の祝賀会になりそうなところが、同じ頃に日本各地で開催されていた無数のニューイヤー・コンサートに並べても、ことによると最も楽しい演奏会になってしまったのは、一重に澤和樹という和歌山県人のお人柄なのであろう。
筆者の音楽ライターとしての有り様を振り返るに、澤和樹氏は「かけがえのない恩人」としか言いようが無い。だから、澤和樹という人物を経歴や肩書を離れて賞讃しようとすれば、どうしても極めて個人的なことにならざるを得ない。というわけで、以下の文章は本来ならば「アッコルド」という公的なwebマガジンではなく、個人のブログなりに記すべき事なのかもしれない。還暦という特別なチャンス、非礼な発言、お目こぼしあれ。
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筆者がステージを離れたところでの澤和樹という人物に初めて接したのは、1992年の秋のことだった。まだ駆け出しのライターで、お茶の水にあった室内楽専用ホール「カザルスホール」が会員向けに発行していた実質上の月刊室内楽雑誌『カザルスホール・フレンズ』のための取材や原稿執筆で、実質上のプロ音楽ライターとしての修行をさせていただいているような状態だった。
そんなとき、カザルスホール主催で若手演奏家に年間に5回のリサイタルを行なう些か無謀なシリーズが始まり、その2年目(だったと思う)のアーティストとして向山佳絵子が選定された。どんなアーティストとの共演であれ、どんな編成であれ、可能な限り希望は叶えましょうという、今考えればバブル時代の終わりを告げる太っ腹な企画である(実際、スポンサーは不動産デベロッパーだった)。そして、向山が室内楽の共演相手として真っ先に望んだのが、たまたまその時期に来日中だった元アマデウス弦楽四重奏団(以下Q)の第1ヴァイオリン奏者、ノーバート・ブレイニンだったのである。
神原音楽事務所の招聘とはいえ、カザルスホールがオープンした年にヴィオラのシドロフが没し活動を中止したアマデウスQの元メンバーが日本を訪れるのは、演奏会が目的ではなかった。無論、ブレイニンと向山、それに小林道夫を加えたカザルスホールでのシューベルトのピアノ三重奏の他に、「アマデウス・アンサンブル」なる合奏団の公演も用意されていたものの、本当の目的は別。「アマデウス・コース」なる弦楽四重奏のセミナーである。
向山との共演を終えたブレイニン氏は、観光シーズンが終わり営業終了になる直前の精進湖の畔、上野の杜の精養軒の系列のホテルに向かった。この施設を借り切り、ブレイニン、ニッセル、ロヴェットの3人の元アマデウスQ賢人達が、日本の若い弦楽四重奏団の指導をするのである。セミナーを主催する「クァルテットフォーラム」は、どこの学校や教育団体、行政のサポートがあるわけでもない、全くの民間団体である。そのフォーラムの代表こそが、ヴァイオリニストの澤和樹だったのである。
室内楽奏者としての澤和樹を語るに、アマデウスQとの出会いは、デュオの盟友、蓼沼恵美子と同じほどに重要であろう。ロンドン留学時にアマデウスQの室内楽セミナーに出会った澤が、セミナーに参加するために澤Qを結成し弦楽四重奏の世界にのめり込んでいくのは、澤和樹を語るに欠かせない伝記的事実だ。だが、澤和樹という芸術家の真の凄さは、自分がアマデウスQからのレッスンを受けるだけで満足しないところにある。「自分にとってこれほど決定的な巨匠との出会いを、自分だけのものとしてはならない。なんとかこのセミナーを日本で開催することは出来ないだろうか」と、澤は考えたのである。
考えるだけなら誰にでも出来る。澤は、それを実現してしまった。「クァルテットフォーラム」という任意団体を立ち上げ、当時の自分のマネージャーだった神原音楽事務所や上野精養軒らの協力を取り付け、巨匠による若い弦楽四重奏志望者のための集中レッスンを行なってしまったのだ。弦楽四重奏に特化した巨匠による室内楽セミナーが日本で開催されるのは、1960年代半ばに日光金谷ホテルで齋藤秀雄が中心に開催され、あの東京Qを生むことになる伝説のジュリアードQセミナー以来のことであった。
その後、精進湖から秩父へと会場を移し総計4回開催された「アマデウス・コース」は、1990年代後半から現在に至る日本の室内楽に決定的な影響を与えることになる。その少し前から、日光ジュリアードQセミナーで弦楽四重奏に目覚め東京Qに至った原田幸一郎や、ドイツで室内楽を本気で極めようとした岡山潔が帰国し、桐朋や藝大で室内楽を教え出していた。日本のマールボロを目指した岩崎淑の沖縄ムーンビーチ・キャンプも始まっていた。バブルの下にカザルスホールが巻き起こした室内楽専用ホール建設ラッシュも追い風に、学生達の間に室内楽への関心が高まっていた。そんな風を「弦楽四重奏」という形で集約し、アマデウスQという世界中に無数の弟子を生み出しつつある現役最高の指導者に出会わせたのは、一重に澤和樹という30代半ばを過ぎたばかり、まだまだ芸術家としては若いヴァイオリニストの個人的な情熱だったのである。
「アマデウス・コース」に参加した団体を記憶にある中から列挙してみよう。アークQ(アマデウスQに参加しニッセル氏に拠って「ロータスQ」と改名された)、エルデーディQ、すばるQ(ヴィルタスQの実質上の母体である)、キサQ(チェロは現在大フィル首席奏者の近藤浩志)、フォルトゥーナQ(ヴァイオリンの篠原英和らは新日本フィルの団員で、その後、すみだトリフォニーホールに居を構えた同団が団員による室内楽定期演奏会を始める際の中心人物となる)、福岡ハイドンQ(福岡に於けるこの団体の偉業は、きちんと議論されるべきであろう)、サンガ・サラスバティQ(ヴィオラ奏者は現在シカゴ響で活躍する小倉幸子)、Qアルモニコ、そしてドイツからセミナーを受けるために追いかけて来たヘンシェルQ、等々。澤和樹がいなければ、これらの弦楽四重奏に関わった若い音楽家達の人生は、まるで違ったものだったろう。結果として、今の日本の室内楽状況もまるで違ったものになっていた筈である。
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澤和樹が造ることになった日本室内楽演奏史の大きな流れの中にあって、筆者の存在などちっぽけなものに過ぎない。向山が共演したブレイニンが行なうセミナーを聴講するため、筆者も精進湖に向かった。当時は調布市深大寺に住んでいた筆者は、深大寺の坂を下ったところの中央高速バス停から精進湖行きの高速路線バスに乗車することになる。晴れた、天気の良い秋の終わりの日だった。観光シーズンから外れた観光地に向かう車内で、筆者に同乗するのは楽器を抱えた4人の若い女性だけだった。終点前の精進湖入口で、案の定、彼女らも下車する。スギや松の林の中をホテルに向かう彼女らこそがアークQ、後のロータスQである。
宿舎に到着するや、初対面の澤和樹氏からいきなり無茶な話が振られた。「オックスフォード大学を出た花田和加子さんというヴァイオリニストが通訳で入ってくれているんですけど、講師の先生方とコミュニケーションが上手くいかない団がいくつかあって、どうにも通訳の人出が足りません。つきましては…」
というわけで、一介の聴講生だった筆者が急遽スタッフになった。以降、澤さんやら、澤Qの皆さんやら、才媛花田和加子さんやら、アマデウスQの先生方やら、ヘンシェルQやロータスQのメンバーやら…澤先生を巡る諸々の人々と関わることになり、気が付けば20と余年の時が経ってしまった次第。
「アマデウス・コース」での出会いをきっかけに、筆者は弦楽四重奏という猛烈に奥深い世界を覗き見ることになる。ブレイニン氏やニッセル氏、ロヴェット氏の、まるでキャラクターの違う翁らのレッスンを、ある意味で受講生以上に必死になって食らいつく時間を毎年過ごすことで、この楽曲や、作曲家や、ヨーロッパの文化や、はたまた音楽家とはどういう生き物なのかを知ることになる。そして、いかにもイギリスらしいところだが、この男は信用出来る奴だとブレイニン氏から紹介でメニューイン卿が仕切るロンドン国際弦楽四重奏コンクールを見物させていただくことになり、ロンドンの同業者や世界各地から集まってくる室内楽主催者達と知り合うことになる。コースでレッスンを受けた学生達のその後の活動を眺めるのも自然な生業となり、世界中のメイジャーな弦楽四重奏コンクールを追いかけ、彼ら彼女らのその後の研鑽を現場で見守るようになり、あれよあれよ…
そう、多くの室内楽奏者達と同様に、筆者もまた、澤和樹氏がいなければ今の自分がなかったひとりなのである。
澤和樹という人には、「人と人を繋ぐ」力がある。様々な場所で、様々な形で発揮されるそんな力を目の当たりにし、素直に驚嘆し、微力たりといえなにかの力にならぬといかんなぁ、と思うばかり。他人に自然とそう思わせるのもまた、ひとつの才能なのだろう。
澤和樹を讃えるのは、自分とそう違わない世代の中で最も世間的な意味での出世をしたからでもなければ、音楽家として高い力を持っているからでもない。己に与えられた「人と人を繋ぐ」希有の才能をきちんと使い、己にしか出来ないことをきちんと行なってきたことこそを、讃えるべきである。音楽でも、それ以外でも。
澤和樹氏の音楽を巡る想い出を語り出せば、これまたキリがない。アマデウス・アンサンブルでのヴィオラを担当したブラームス弦楽六重奏曲ト長調、ミュンヘンでのヘンシェルQとのメンデルスゾーン弦楽八重奏曲、澤Qのベートーヴェンやイサン・ユン、どれもこれも大事な楽興の時の記憶だ。それはまた、語るべき時が来たら語ることにしよう。
澤和樹さん、還暦、御目出度う御座います。またゼロから始まる人生を、素晴らしく生きて下さいませ。
還暦記念演奏会の締め括りで門下生ら120名の弦楽合奏を指揮、喝采に応える澤和樹。これからの音楽家人生の大きな仕事は、指揮である。
第78回
澤和樹讃その2:人と人を繋げる力
電網庵からの眺望
音楽ジャーナリスト渡辺 和
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