以前、ヴァイオリン弾きの身の周りで起きる、
事件・事故の例を、幾つかご紹介した。
 
例えば、
「本番中に弦が切れちゃった」事件。
「演奏中に肩当てが飛んでいっちゃった」事件。
痛ましいものとしては、
「椅子に置いたヴァイオリンの上に座っちゃった」事件。
「ヴァイオリンケースで弓を挟んで折っちゃった」事件。
「譜面台に横置きにした弓を引っ掛けて落としちゃった」事件。
 
ヴァイオリンも弓も「道具」、
故障もするし、何らかの問題も発生する。
それを使っているのは「ヒト」、
当然、事件や事故が起きることもある。
 
その昔、ヴァイオリンを始めたばかりのお弟子さんから、
「ヴァイオリンが壊れた、どうしよう」という電話を貰ったことがある。
相当ショックだったのだろう、電話の向こうは涙声。
聞けば、なんということはない、弦が切れただけ。
でも、「弦は切れるものだ」と知らなければ、驚きもする。
弦の無残な姿を見れば、もしかすると、
自分が何かしてしまったのでは?と不安になる。
 
大切な楽器。
故意に何かをすることなどあり得ない。でも、
正しい取り扱い方を知らなければ、
とんでもないことをしてしまう可能性はなくはない。
 
「そんなつもりじゃなかった」と後悔させたくない。
来年一年も、楽しくヴァイオリンと過ごしてほしい。
そんな思いを込めて、老婆心ながらお届けしようと思う。
 
ヴァイオリンをこよなく愛する方へ贈る“ヴァイオリンの取説”。
 
 
♪取扱いについて♪
 
ヴァイオリンを床の上に置くと、踏むことがあります。
ヴァイオリンを椅子の上に置くと、座ってしまうことがあります。
バキッと素晴らしく見事な音が出ますが、それが最期の音になるでしょう。
これを他人の楽器で試してみる場合は、器物損壊罪=
三年以下の懲役または三十万円以下の罰金を科される覚悟が必要です。
 
ヴァイオリンを机の上に、直に置くと、
楽しそうにゴロゴロ転がります。場合によっては、
小さな傷に塗れたヴァイオリンができます。残念ながら、
草に塗れた小犬のような、可愛い仕上がりにはなりません。
 
ヴァイオリンを日の当たる所に置くと、ニスが柔らかくなることがあります。
そんな楽器を見ると、みんなが記念に指紋を付けに寄ってきます。
その温めた楽器を急激に冷やすと、ニスにクラックネイルのような、
美しいひび割れができることがあります。音も綺麗に割れます。
 
ヴァイオリンを寒暖差の激しい窓際などに置いておくと、
ホットフラッシュや多汗=更年期障害の様な症状を起こします。
そんな楽器を弾くと、弾く人も更年期障害のようになります。
 
ヴァイオリンを、左手に金属製のごつい時計を嵌めたまま弾くと、
シフティングをしたときに、ボディに彫刻を施してしまうことがあります。
アクセサリー、尖った爪、弓のフロッグ、彫り具はたくさんあります。ただし、
ニスの保護を失った木は弱り、老化が加速する可能性があるのでご注意ください。
 
弓を譜面台に横置きすると、よく引っ掛かります。
弓を椅子に立て掛けて置いても、よく引っ掛かります。
引っ掛かった弓は、嬉しそうにビュンと飛んでいきます。
弓は活動範囲が広く、運動能力も高いのですが、
身体は華奢で繊細、ちょっとしたことで骨折するのでご注意ください。
 
ヴァイオリンケースは意外に、勢いよく蓋が閉まります。
中にいるヴァイオリンや弓は、非常にショックを受けます。ケースはまた、
ファスナーやロックを閉め忘れたまま持ち上げると、勢いよく蓋が開きます。
中にいるヴァイオリンや弓は、驚きのあまり転げ落ちます。
 
 
長くこの業界にいると、
一瞬では理解できない不思議な内容の質問や、
背筋が凍るような内容の電話相談を受けることがある。
 
できるだけ平静に受け取るようにしているが、
驚きが滲み出るらしく、してはいけない質問をしたのかと、
ひどく恥ずかしそうに、彼らは重ねて問う。
「そういうことは何に書いてあるんでしょうか?」
「こういうことは先生に聞いてもいいものなんでしょうか?」
 
♪よくある(?)ご質問♪
 
—「弦を切り過ぎたのですが、どうすればいいですか?」
弦を替えるとき、いつも、余ってしまう弦を切っていたらしい。
分数ヴァイオリンを使っていた時、ペグボックスに入り切らない弦を、
お母さんが切っていたから、そういうものだと思っていた、と。
 
—「割れちゃった松脂は、溶かして固めれば使えますか?」
松脂は薄くなってくると割れやすい。もちろん、落とすと割れる。
いつも同じ場所を使って『—』や『十』模様を掘れば、それも割れの原因になる。
 
実際、溶かして型に入れ再生させた松脂を見たことがあるが、
作業の際に不純物が入り、表面も凸凹で今一つの仕上がりだった。
一つ買えば5年〜10年(それ以上?)保つ。新たにご購入いただきたい。
 
—「弓の毛を溶かした松脂に漬けてみたらゴワゴワになりました。これでいいので
しょうか?」
松脂「に漬ける」のではなく、松脂「を付ける」。
その豊かな発想に感動すら覚えるが、『てにをは』は正しく読んでほしい。
 
—「通販で弓の毛を買ったのですが、これはどうすればいいですか?」
ヴァイオリン界へのネット進出、これによって出始めた問題の一つ。
何でも手に入る。欲しくなる。買う。気持ちはよ〜く分かる。が。
 
—「通販で評判の駒を入手したのですが、今まで付けていた駒と形が違いますし溝も
ありません。今までの駒と同じように削ればいいですか?」
これもだ。お店で買うより、かなり安く買えたのだと喜んでいた。
『評判の駒』なるものは、確かに有名メーカーのよい駒だった。が。
 
こういう『通販で買っちゃった』製品を、工房に持ち込み、
「これでよろしく!」と依頼する人はいるのだろうか?
そのとき工房の方は受けていらっしゃるのだろうか?
どうしてよいのか分からないまま、その人の手元にあるのなら、
その製品たちは、不用品化してしまっていることになる。
それはそれで、もったいない気が…。
 
—「魂柱を直していたら、魂柱が倒れてしまったのですが、どうすればいいです
か?」
聞けば、通販で魂柱立てツールを売っていたので、
魂柱の位置は自分で直すものなのだと思ったと。ううむ。
自分の楽器は自分で調整する、その姿勢や気持ちはある意味正しい。が。
 
—「通販のヴァイオリンセットを買ったのですが、駒を立てる位置が分かりません。
教えて下さい」
ヴァイオリンセット…。素人に、駒を立て、弦を張れと? それってどうなの?
魂柱はどうなっているのか聞くと、ちゃんと立っているという。うむ。
いやいや、それ以前の問題がいくつもあるじゃないか。
近々、彼はレッスンに通うつもりだと言う。どう説明しようか…。
 
—「ヴァイオリンを作ろうと思って、組み立てキットを買ったのですが、難しくてよ
く分かりません。どこに行けば、作り方を教えてくれますか?」
彼もまた、自分の作ったヴァイオリンでレッスンに通いたいのだと言う。
それだけ聞けば、なんだか楽しそうな、幸せそうな話だ。が。
 
—「よく見ると、表板と側板の間に隙間があります。接着剤で付けた方がいいです
か?」
—「ヴァイオリンの表板のf字孔のところにひびが入ってしまいました。これはニス
を塗ればよいのでしょうか? 接着剤で付けるのでしょうか?」
—「弓をぶつけて、表板のニスが削れてしまいました。市販のニスを塗ってもいいで
すか?」
ヴァイオリンが『木工品』であることに違いはない。が。
 
弦の張替えに関しての質問は多いが、
—「弦を替えようと思って、全部の弦を外したら、ペグが抜けて、どれがどれだか分
からなくなってしまいました。適当に付けても大丈夫ですか?」
ペグもだが、駒や魂柱の状態も心配だ。
弦を一度に全部外したという話は、意外に聞く。スッキリはしそうだが…。
 
楽器を綺麗にしようという思いが仇になることもある。
—「掃除をしようと思って弦を4本とも外したら、駒が倒れてしまいました。普通に
元に戻せばいいですか?」
—「弓の掃除をするために、一度フロッグを外して、元に戻したら、弓の毛がボヨボ
ヨになりました。どうすれば最初のリボン状に戻りますか? 専用の櫛があるのです
か?」
—「市販のクリーナーを使ってヴァイオリンを磨いたら、ニスにムラができてしまい
ました。場所によっては剥げて生木が見えています。どうすればいいですか?」
 
『普通』の質問もくる。(『普通』の定義に迷いを感じる今日だが…)
—「顎当てがガタガタします。どうすればいいですか?」
—「弓のネジが突然バカになってしまったのですが、どうすればいいですか?」
—「アジャスターが動かなくなったのですが、市販の潤滑油を使ってもいいです
か?」
—「ペグの動きが悪いのですが、チョークを塗るとよいというのは本当ですか?」
えとせとら、えとせとら。
 
という訳で、
「…」と「が」ばかりの文章になってしまった。
 
『取り扱い方』や『問題が起きたときの対処法』は、
楽器という“道具”を使う以上、努めて知るべきことだと思う。
 
ただ、それをネット上に求めるなると、急速に増えた、
あの恐ろしいほどの情報量の中から、正しいそれを知ることは、
かなり難しいかもしれない。
Q&Aや質問箱的なものにも誤情報が載っていたりもするから。
 
とにかく、問題が起きたときは、
事を起こす前に、先生か楽器の専門家へご一報を。
必ず、相談に乗ってくれます。
 
 
さて、取扱いと言えるものではないが、
プロの間でもときに起きる「やっちゃった」的問題は、
“忘れもの”である。
 
記入用の鉛筆を忘れる位なら、可愛いものだ。
大事な楽譜を譜面台に置いたまま、忘れて出掛ける。
違う楽譜を入れ、気付かず出掛ける。
 
弓を忘れた、という話もある。
練習した後、ケースに入れ忘れたという。
「うそ〜、どじ〜、ありえない〜」と言いながら、
気を付けなくちゃと、内心言い聞かせる自分。
 
意外に落とし穴なのが、肩当てだ。
忘れると、弾けない訳ではないが、結構辛い。
 
辛いと言えば、オーケストラで弱音器を忘れるのも辛い。
「小さく弾けばいいんじゃないの?」…それがどうして。
 
“忘れてくるもの”もある。
 
弾くときに外した、時計やアクセサリー類。
これも気を付けてはいるのだが、何かの拍子に忘れてしまう。
学生時代、祖父の形見の時計を学校の譜面台に置き忘れた。
今でも、その時計を夢に見る。後悔先に立たず。
 
絶対になさそうで、意外に聞く話。
それが、楽器の置き忘れ。
電車に(ダントツ網棚)、タクシーに。飲み屋に。
『忘れ物市』でヴァイオリンが売られていることがあるらしい。
もしかすると、凄い掘り出し物があるかもしれない。
 
 
2014年最後の記事になってしまった。早い。
この一年、コラムを読んで下さった皆さまに深く感謝申し上げます。
 

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第93回2015年版ヴァイオリン取扱説明書

© 2014 by アッコルド出版