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ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第150回

終止線を引くとき

昔、住んでいた下宿の近くに、美味しいトンカツ屋があった。

その付け合わせのキャベツの千切りが、これまた美味しかった。

神業のような速さで刻み上げられるそれは、細く美しく揃っていて、

シャキシャキしているのだが、口当たりはひどく優しい。

食感のせいか、普通のキャベツの千切りより甘く感じたりもした。

 

このキャベツの千切りに出会って以来、千切りには気合いが入る。

随分、練習したなぁ。極細のキャベツの千切り。

一口に「千切り」と言っても、刻み幅に種類があり、

呼称もいろいろあるようで、「千切り」「繊切り」「千六本」「針切り」、

千切りより少し太くなれば「細切り」。(更に太ければ「拍子木切り」)

せいぜい不揃いにならないように気を付けていた位で、

「細く切れば千切り」的感覚でいた自分が恥ずかしい。

 

『千切り』— それぞれの料理に適した太さがある。

極細切りをマスターしたからといって、いつもそれではダメな訳で、

同じ幅&同じ厚さで切ることができればよいというものでもない。

とまあ、なぜ『千切り』などについて語っているのかというと、

それを思い起こさせる出来事が、つい先日あったからである。

 

刻んでいたのはキャベツでもニンジンでなく、『音』である。

そう、いつものアンサンブルの勉強会でのことだ。課題は、

「モーツァルトとブラームス(のきざみ)をどう弾き分けるか」。

 

まず、それ自体が難しい。なのに、

更に、それを「弾き分けろ」なんて言われた日には…。

モーツァルトとブラームス、弾き方がまったく違うだろうことは分かる。

その違いも、何となくイメージすることはできる。

でも。

 

それに適した奏法を、これと明確に説明できるだろうか?

具体的に弾き分けるには、何をどう気を付ければいいのか? 

注目すべきはまず、「圧力」「スピード」「(その両者の)バランス」

口でいうのは簡単だ。多くの人がそれは理解している。

 

分からないのは、自身の状況。

知りたいのは、具現化された理想。

学びたいのは、そこに到達する手段。

 

昔ながらの指導法がある。

学ぶ側としては、それで十分だとも言える。それでも、

何かもっとスッキリ目に見えた形で説明できないものかと、

帰りの電車の中で考え続ける。疲れた頭に浮かんだのは、

キャベツを千切りする白衣の料理人さんの背中だけだった。

 

 

休日を満喫している主人が、隣で真剣にスマホを覗き込んでいる。

何かと思えば、ゴルフのスイング分析を見ているのだという。

自分のスイングと、参考にしたいプロのスイングの軌跡が、

画面上に綺麗に同時表示されている。へえぇ、である。以前、

ワークショップで弓にLEDを付けて弓の軌跡を解析したことを思い出した。

面白そうなので、その製品のサイトを見る。

 

「スイングもパッティングも徹底解析!ゴルフスイング解析システム」

グリップに小型のセンサーを取り付け、普段通りにスイングすると、

「あなたのスキルアップにつながるポイントを自分の目で見ることができます」

これだ! これ。そのままボウイング解析に使えそうじゃない!

「より真っすぐに」「より正確に」「よりダイナミックに」…素晴らしい!

 

「スイング解析」「インパクト解析」「スピード解析」「方角解析」「打点解析」

「シャフト回転解析」「テンポ解析」「総合分析」…。

製品解説を読む内に、頭の中では完全に製品が出来あがっている。

「自分のボウイングタイプを知り、より効果的な練習方法を見つけよう!」

 

少なくとも、「スピード」「圧力」「軌跡」を数値化・可視化できれば、

自分の状況をある程度把握できるだろうし、アドバイスもしやすい。

15gというセンサーの重さは、弓に付けるとすると課題になるだろうが、

測定用の弓を作ってしまうという手もなくはない。

 

ね、面白そうでしょう?

誰か一緒に研究・開発して、ひと儲けしません?

「儲かる訳ないじゃん」…だよねぇ。ちょっと残念。

 

 

150回という区切りを迎えて、それなりの内容をと思い、

幾つかテーマを選び、書き進めては見たが、

こういう気合いの入れ方はよくないらしく、

どれも今一つ、スッキリ書き終えることができない。

そのせいなのか何なのか、連日、変な夢を見る。

 

ある日。仕事でホテルに滞在している。前日のコンサートも無事終わり、

チェックアウトの時間が来る。そろそろ部屋を出なければならない。

なのに目の前には、脱ぎ散らかした洋服が山のように積まれていて、

時間までに片付けられる気がしない。手元にあるのは旅行鞄一つ。

途方に暮れる。ただただ、途方に暮れる。

 

ある日。仕事が終わって帰ろうと、ホールの玄関に立つと、

背の高い大きな靴箱に、恐ろしいほど数の靴が詰め込まれている。

似たような靴がたくさんあって、自分の靴が見つからない。

必死で探して片方ようやく見つけるが、もう片方が見つからない。

途方に暮れる。ただただ、途方に暮れる。

 

心理分析も必要ないほど、分かりやすい夢だ。

 

終わりが見えないことへの不安。

しかし、我々の業界に「終わらない曲」はない。

弾き始めれば、必ず数分後、数十分後には終わりが来る。

『終止線』が見えると、ホッとしたりもする。

最後の音を弾くときの、何とも言えぬ満ち足りた瞬間。

 

作曲家さんが『終止線』を引く時の気持ちを想う。

作り手と、弾き手の『終止線』の意味は違うかもしれない。

弾き手に「終止線を引く」作業はない。

最後の音を弾けば、動作としてはそれで終わり。だから、

最後に書かれた休符やフェルマータを見逃したりする。

 

弾き手にとって、

曲の終わりは、楽譜の『終止線』の位置ではない。

最終音を弾き終わっても、すぐ終わりが来る訳ではない。

楽器が鳴り終わり、聴き手にすべてが伝わり、

何もかもが収束を迎えたとき、はじめて、終わりが来る。

そして、その終わりは始まりだ。

 

 

しかし、始まりがあれば、やはり終わりは来る訳で、(どっちなの!笑)

アッコルドのプレミアムオープン用の原稿を書いてから丸三年、

ついに終止線を引く時が来た。気負いや気合いが空回りするほど、

その日は意外にさりげなくやってきて、正直、拍子抜けの感もある。

 

それにしても、

こんなにもヴァイオリンのことだけを考えた日々はなかった。

よい勉強になったし、振り返れば辛くも楽しい時間だった。

こういうチャンスを下さったアッコルド誌に感謝したい。

 

まだ、書きたいこともある。

多分、書かなければならないこともあるだろう。

また、どこかで、皆さまの目に触れることがあるかもしれない。

その日が来ることを祈りながら。

 

最後に。

拙文を最後まで読んで下さった皆さまに、深く深く感謝申し上げます。

長い間お付き合い頂き、本当にありがとうございました。

© 2014 by アッコルド出版

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