録画しておいた海外ドラマを見始めた、そのとき、
画面に、目が釘付けになった。
女性が海辺を歩くだけの、ドラマではありがちな冒頭シーン。
思わせぶりではあるが、何ということはない情景。
囚われたのは“色”である。― 赤いコート、水色の鞄。
 
思わず、一時停止にする。
そのまま、しばらく、ぼぉっと眺める。
頭の中から、色以外のものがすべて消える。
 
絵画では時々こういうことがあるが、ドラマでははじめてかもしれない。
描かれているものが目に入る前に、そこにある“色”に惹かれてしまう、
そして、結局、最後までそればかりが気になってしまう、そんな。
 
それは、クリムトの「金」であり、ゴッホの「黄」であり、
ピカソの「青」であり、佐伯祐三の「黒」と「赤」であり…。
一つ一つの絵は思い出せない、でも、“色”は痛いほど焼き付いている。
 
それにしても、“音色”とは、美しくも上手く名付けたものだ。
― 音色 timbre,tone-color(英) Tonfarbe,Klangfarbe(独) timbre(仏) timbro(伊)
「音色とは、同じように提示された、大きさ、高さが等しい2つの音が違って聞こえるとき、その違いをもたらす性質のこと」
「音の成分の違いから生まれる感覚的特性をいう。同じ高さの音を、同じ大きさで鳴らしても、発音体の違いあるいは振動のさせ方によって、音のもつ感覚的質に違いが生まれる。これは振動によって、どのような部分音が、どの位の強さで発生しているかによる」
 
ヴァイオリンから出てくる音は、間違いなく、
どれも、ヴァイオリンの音。なのに。
 
「甘い音だなぁ」「深みがあるね」「暖かい音💛」
「これ、少し金属音がする?」「キラキラし過ぎじゃない?」
「あれは重くて暗い感じ」「薄っぺらいよりはいいかも」
「こっちはちょっと地味?」「あっちはかなり派手だよ」
 
ヴァイオリンの音には、いろいろな“色”がある。
 
 
「2000Hzの音を聞かせると、Sは言った。『ピンクがかった赤い花火みたいに見える。細長い色が、ざらざらと不快な感じで、味も悪い。塩辛いピクルスに似ている。触ると手が痛くなりそうだ』」
 
これは、ある共感覚者synestheteの言葉である。
― 共感覚(synesthesia, synæsthesia)
 ギリシア語接頭辞syn=「共に」、aisthesis=「感覚」から名付けられる。
 ある刺激に対して、通常の感覚だけでなく、異なる系統の感覚を不随意的に引き起こすもの。
 
文字や数字に色を感じたり、音や和音に色を感じたり、
味に形を感じたり、人によっては曜日に色を感じたりもするらしい。
連想とは違って、当人がまさにそれを「感じて」いるというのだから不思議だ。 
 
ちなみに、2000Hzというと、ほぼ『シ』=三点ロ(約1980Hz)。
ううむ。少し金属的なイメージはあるが…。
 
共感覚者、芸術家には7倍多く出現するとの記述もある。無縁ではないのだ。
メシアンは、『色聴共感覚colored-hearing synesthesia』だったという。
スクリャービンも、リムスキー=コルサコフもそうだった。例えば、
 
スクリャービンはハ長調を赤だといい、リムスキー=コルサコフは白だという。
スクリャービンはニ長調を黄色だといい、リムスキー=コルサコフは金色がかった黄色だという。
 
ピアニストのエレーヌ・グリモーも、自身がそうだと語っている。
Cは黒、Bは青、Fは赤。ハ短調は黒、ニ短調は青。
我らがパールマンも、G線のB♭は深緑色、E線のAは赤を感じると。
 
共感覚は、個人内では一貫性があるものの、個人毎には異なる。
どうだろう? 音一つずつに色を感じることはあまりないのだが、
「ハ長調の白」「ニ長調の黄色」は、近いイメージがある。
でも、「ハ長調の赤」や「C=黒」は、ちょっと違うかなぁ…。
 
例えば、『調性』『調性感』といった言葉を口にするとき、
例えば、「C-dur」「g-moll」「Es-dur」「fis-moll」…調(名)を思い浮かべるとき、
頭の中でパァッと広がるのは、音でも音符でも楽譜でもなく、“色”だ。
それを何色とはっきり言えないのが、悔しいのだけれど。
 
 
「“音色”や“響き”なんて、一々考えていられません」
アマオケのトレーナーの仕事の最中、“音色”に言及して、返ってきた言葉。
その言い分も、分からなくはない。
まずは音を拾い、あれこれ間違えず弾けるようにし…それから、という
彼なりの優先順位を、真っ向から否定するのもよくないだろう。
 
一つ一つ音を創る。一つ一つの音に色を、表情を付ける。
個々の音について考え、それを“音”にしていくことは大事な作業だ。
それは、確かに、簡単なことではない。でも、
それが、「最後の作業」であっていいのかというと…。
 
もう一つ、忘れてならないのは、
“楽器そのものが持つ音”を引き出す、その作業だろう。
 
アマチュアオーケストラでは、そのデュナーミクの幅が狭いことについて、
ときに論議されることがある。弦楽器は、弦楽器群として。
原因はハッキリしている。楽器一つ一つのデュナーミクの幅が狭いからだ。
では、どうすればいいのか。そう考え、検討したときに、
“音”が、重要な要因であることに気付かされる。
 
響きのない、豊かさに欠ける、鳴りの悪い、
ガサガサパサパサしているヴァイオリンの音は、
どれも似ていて、どれもが同じように聞こえる。音量の幅も狭い。
音が通らないから、ピアノは聞こえないし、フォルテも小さい。
かと言って、無理矢理音を出せば、ピアノは煩く、フォルテは汚くなる。
 
そして、そこに、色はない。
 
不健康で、汚れた楽器から、美しい音が出る訳がない。
そこから? そこから。元の“音”が悪ければ、
いくら化粧をしても、ドレスアップをしても、という話。
 
ふと、考える。ヴァイオリンの音、とは? 
ヴァイオリンが出せる音、とは? 
ヴァイオリンでなければ出せない音、とは?
…ヴァイオリンらしさ、とは?
 
 
アマチュアと呼ばれる人たちのレッスンをするようになって、
オーケストラ関係でなく訪れてくれたお弟子さんの中には、聞けば、
「弾きたいもの」がクラシックではない人も、少なからずいる。
 
憧れは、アイリッシュフィドル、ジャズヴァイオリン、
弾きたい曲は、ポップス、タンゴ、ロック、ブルース、
え! そうなの?! まったくもって、どうしよう…である。
 
聞くことはあっても、弾くことはほとんどないジャンルの曲たち、
弾いてもせいぜい「○○風」のアレンジ曲、どう指導しろと?
 
教室はないのか? 教えてくれる人はいないのか? 探してみる。
当時は、ジャズヴァイオリンの教室すらない時代だった。
仕方ない。少しでも勉強をせねばと、伝手を辿って、
他ジャンルで活躍する何人かのヴァイオリニストを紹介して頂いた。
 
ライブを聞きに行く。まだまだ頭がカチカチだった時代、
その演奏のあまりの自由度の高さに、受けた衝撃は半端ではなかった。
「ヴァイオリン=擦弦楽器」という括りすら壊してしまう彼ら。
そうして実感した∞なるヴァイオリンの可能性。
 
もちろん、クラシック的な縛りがないから、
と、言ってしまえば、それでおしまいなのだろうが、
手にしているものは、同じ“ヴァイオリン”である。
 
アコでも、エレアコでも、エレバイでも、ヴァイオリンはヴァイオリン。
「エレバイElectric Violinの音は、ヴァイオリンの音じゃない」
この言も、一歩引いて考えれば、『アコの音』ではないというだけで、
それが『ヴァイオリンの音』であることは、紛れもない事実だ。
 
考えずにはいられなかった。ならば、
「Acoustic Violinを弾いています」と胸を張って言える程、
自身、Acoustic Violinらしい音を出せているだろうか?と。
 
アコならではのボディの力を、活かしきれているだろうか?
アコならではの音色を、引き出せているだろうか?
 
 
『聴き比べ』は楽しい。そして、勉強になる。
なので、何かと音源を探し、聴き比べてみるのだが、
つい、「何が違うか」ばかり、聴き取ろうとしてしまう。
 
もちろん、そのために聴いてはいるのだが、本当は、
「何が同じか」
それを聴くことが大切なのだと、強く思うようになった。
 
どんなにその様相が、色が、雰囲気が違う演奏でも、
そこには必ず、共通するものがある。
とすれば、それこそが、まず学ぶべき“核”ではないかと。
 
いろいろな演奏を聴けば、
曲の“核”が見えてくる。
 
いろいろなヴァイオリンを聴けば、
ヴァイオリンの“核”が見えてくる。
 
自分の楽器の“核”、そんなことを考える。
しっかりした“核”があれば、
わが『楽器の色』を、共感覚者は「見て」くれるだろうか?
それは、一体、どんな色なのだろう?
 
 
届いたばかりの知人のCDを聴きながら、これを書いている。
音についてあれこれ考えてしまうのは、
まるでヴァイオリンという刃で自傷するかのように、
痛ましいほど深く自身を追求し続ける、彼の演奏のせいかもしれない。
 
 
 
追記:そんな喜多直毅氏の新譜、ご紹介。
 
《愛の讃歌 Hymne à l’amour》 (ORTM-0001)
 枯葉 ~Les Feuilles Mortes~  Joseph Kosma
 他人の顔  武満徹
 遠くへ行きたい 中村八大
 シェルブールの雨傘 ~Les Parapluies de Cherbourg~ Michel Legrand
 ひまわり ~Love Theme from Sunflower~ Henry Mancini ほか
 
フリージャズ、アルゼンチンタンゴ、即興演奏を経た喜多直毅(ヴァイオリン)と黒田京子(ピアノ)による待望のポピュラー音楽集。誰もが知る映画音楽やシャンソン、昭和歌謡の数々を収録。
http://www.kitakuroda.com/

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第87回 あなたのヴァイオリンは何色?

© 2014 by アッコルド出版