モーツァルト・サロンでのピアニスト益子明美とのベートーヴェン二重奏は、歌よりも対話を重視した精密な音楽となった。無論、モダン・ヴァイオリンの表現力を隅々まで使った音楽。

8月12日にも今回来日最後の演奏会があるので、そちらもどうぞ。なお、ヘンシェルQは10月に来日予定。請うご期待。首都圏は鶴見サルビアホールのみで、もう売り切れだそうな。

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20年前のヘンシェル弦楽四重奏団(以下Q)結成時、はたまたその遙か前のヘンシェル家での家庭内室内楽の時代から、ずっと第2ヴァイオリンを担当していたマルクス・ヘンシェルが、飛行機での長距離移動に耐えられない病気となり団を辞さざるを得なくなった――そんな話を聞いたのは、前々回のボルドー大会の頃だった。それからの数シーズン、様々なヴァイオリニストをゲストに迎え乗り切ったヘンシェルQは、3シーズン前にスコットランド人ダニエル・ベルを第2ヴァイオリンに迎え、実質上の第2期の活動を始める。新メンバー加入直後の一昨年初夏のサントリーホールに於けるベートーヴェン全曲演奏会は、未だに室内楽ファンの語り草となる強い印象を与えたものだった。なお、ベル氏は8月12日火曜日にも兵庫県立芸術文化センターでリサイタルを予定している。
http://blog.goo.ne.jp/soiree_2005/e/f249db4de06fc1ee5b2a79798fd89e27
 
夫人が日本人ということもあり、ダニエル・ベルは毎年夏に関西を訪れ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを少しづつ披露している。4年目となる今年も、颱風が迫り大気中に水蒸気が飛び散っているような状況下、大阪モーツァルト・サロンに熱心なファンを集め、ベートーヴェンの作品23と24という対照的な音楽が披露された。夏の気楽なサロン・コンサートとはまるで異なる、大真面目な音楽は、このところのちょっと弛んだ精神に活を入れてくれるかのよう。本番前の忙しい時間を、「アッコルド」のために割いてくれたベル氏、数奇な、とは言わないが、ヴァイオリニストとして極めて独特なキャリアについて語ってくれた。
 
 
――ベルさんは、おいくつになられたんでしたっけ。
 
ベル:38歳です。
 
――まだお若いですねぇ。ペーターセンQに加わったのは。
 
ベル:23歳のときで、私のプロとしての最初のキャリアです。最初のコンサートは1999年12月でした。
 
――23歳ということは学校を終えた直後だと思うのですが、様々なキャリアの選択肢があったなかで、所謂エスタブリッシュトな弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンという仕事を選んだのは、どうしてなのでしょうか。
 
ベル:簡単なことです。学生時代に、自分らで弦楽四重奏を始めたいと思える適当な仲間が見つからなかったからです(笑)。室内楽にはずっと興味を持っていました。でも一緒に弦楽四重奏団を立ち上げたいと思える仲間が周囲にはいなかった。それだけのことです。となると、既にある団体、ということになるのですけど、既成団体ではほぼいつも第2ヴァイオリンが抜けている。第1ヴァイオリンが抜けることはまずありません(笑)。ですから、既存の弦楽四重奏に加わろうと思ったら、9割の確立で第2ヴァイオリンということになるわけですよ。
 
――さもなければ、ヴィオラに転向するか、ですね。
 
ベル:仰る通り(笑)。それが理由です。
 
――学校はどちらですか。
 
ベル:私はアメリカで勉強しています。最初はカーチス音楽院で、それからクリーブランド音楽院へ。
 
――ということは、ダニエル・チンとか。
 
ベル:そう、ミロQのね。彼とは同期で先生も同じですよ。
 
――じゃあ、ウィリアム・フェドケンホイヤー(注:2001年にボロメーオQに第2ヴァイオリンとして参加、その後、フライ・ストリートQ第1ヴァイオリンを経て、現在はミロQの第2ヴァイオリンを務める)とかも。
 
ベル:ええ、彼も知ってます。
 
――なる程、その世代なんですね。室内楽の世界では、とても豊富な人材が出てた世代ですねぇ。
 
ベル:というのも、ドナルド・ヴァイラーシュタイン先生という素晴らしい方がクリーブランド音楽院にいたからでしょう。
 
――ああ、なる程、その世代ですか。最近は有名なチェリストのお父さん、って感じですけど(笑)。とても影響力のある先生だったのですね。
 
ベル:今でもボストンにいらっしゃり、とても影響力がありますよ。クリーブランドQの第1ヴァイオリンだった方で、教師としても大きな影響力を持っています。
 
――ヴァイラーシュタインさんは室内楽の先生だったのですか。
 
ベル:いいえヴァイオリンです。室内楽の先生ではありません。
 
――へえ、では、その世代が偉大なクリーブランドQのヴァイラーシュタイン氏に室内楽を叩き込まれた、というわけではないんですね。
 
ベル:違います。私もダニエル・チンも、彼に習ったのはソロのヴァイオリンでした。
 
――室内楽への関心はヴァイラーシュタイン先生ゆえ、というわけではない。
 
ベル:私はもう、その頃には室内楽に対する関心を抱いていました。ですが、先生を探すときにヴァイラーシュタイン先生のような室内楽のバックグラウンドを持った方を求めたのは確かでしょう。
 
――ハイフェッツみたいな先生とヴァイラーシュタインみたいな先生とでは、違いがありますか。
 
ベル:まるで違いますよ。
 
――ヴァイラーシュタイン先生は他の先生とどう違ったんでしょう。
 
ベル:答えにくい質問ですねぇ(笑)。そう、ヴァイラーシュタイン先生は弦楽四重奏を20年弾いていて、その仕事でキャリアを作られました。ですから彼の音楽観や音楽の作り方は、そんなキャリアに大きく影響されています。なにより、それだけ長く弦楽四重奏をやってくると、何をして欲しいかを他人に向け言葉で表現する能力を培うことになります。実はそれこそ、教師に必要なスキルでもあるわけですよ。
 
――確かにそうですね。ヴァイラーシュタイン先生はなんでも説明出来る、ということ。
 
ベル:彼は説明を言葉ですることが出来るのです。でもそれだけではありません。先生は意識下のレベルの説明が出来ました。それは恐らく、20年の弦楽四重奏生活で獲得した技術だと思います。クリーブランド音楽院での彼のクラスのヴァイオリンの水準は驚くべきものでしたね。普通、ヴァイオリンのクラスには、競い合うような空気ってありますよね。
 
――ええ。
 
ベル:誰もが相手を吃驚させてやろう、みたいな。あれとはまるっきり違う空気でした。相互理解の中で、お互いがお互いを助け合うような教室でしたね。みんながみんなの前で弾き、みんなでコメントし合い、お互いが支え合うような場所でした。悪い意味での「競争」の空気は全くありませんでした。それぞれが高め合う、とてもポジティヴな教室でした。
 
――生徒はどれくらいいたのですか
 
ベル:沢山いましたね。20人の定員いっぱいでした。
 
――そこに、今では弦楽四重奏の世界で第一線で活躍する人達が、沢山集っていたわけですねぇ。室内楽を推奨したわけでもないんでしょう。
 
ベル:そういうことはありませんでした。誰かに何かをしろ、っていうような先生じゃないですから(笑)。でも私の世代では、ほぼ全員が室内楽奏者やオーケストラ奏者になってます。例えばアヴァロンQも私の世代です。ヴァイオリンは2人ともヴァイラーシュタイン教室で室内楽じゃなくヴァイオリンを学んでました。
 
――あ、あのカナダ人のイケメン君と韓国系の奥さんですね。
 
ベル:そう(笑)。あの頃に彼のところで学んでいた連中は、ホントに室内楽をする傾向がありますね。でも、先生のクラスから成功したキャリアを積む人が何人も出たので、最近ではヴァイオリン教師としてとても有名になってきた。最近では、独奏者の経歴をみると「ヴァイラーシュタインに学ぶ」というのを随分見るようになってきた。
 
 
――ペーターセンQの第2ヴァイオリンはどれくらいお続けになったんですか。
 
ベル:8年間いました。
 
――既成の団体に若くして入るのは、どんなものでしたか。
 
ベル:そうねぇ(笑)、自分らで弦楽四重奏団を結成したら、何年も大変な作業を重ね、グループを作っていかねばなりません。もう出来上がっている団体に加わるのは、ある意味、贅沢なものですよ。なにしろ仕事は入って来ますし、ギャラもそれなりに保証され、ちゃんとしたキャリアを積むことが出来る。不利な点があるとすれば、その弦楽四重奏にはもう定まったやり方があって、自分がそれに合わせねばならないことですね。単純に難しい作業だ、ということです。
 
――ペーターソンQの場合は、レパートリーもかなり特殊でしたからねぇ(注:新ヴィーン楽派の周辺や同時代の独墺・中欧系の近代作品や、ライマンなど現代作曲家との仕事が非常に多かった)。
 
ベル:そう、ああいう種類のレパートリーを急いで学ばねばなりません。だから、ヘンシェルQでシュルホフを弾かなければならなかったときには、もうこの曲はいいよ、って(笑)。既存の団体に加わるのは、利点もあれば問題点もある。でも、そうですねぇ、利点の方が大きかったと思います。
 
――じゃあ、8年間は幸せだった。
 
ベル:そうねぇ(苦笑)。ても大変だった、とは言えます。でも8年間いられたくらいには幸せだった、ということでしょうか(笑)。
 
――あの団体が些か奇妙な形で終わってしまったところで(注:ヴィオラが同じ音楽事務所に所属するアルテミスQに移り、結果的にペーターセンQが解散することになった)、ベルリンフィルの第2ヴァイオリンの職を得たわけですね。
 
ベル:ええ。
 
――ペーターセンQの時代からベルリンフィルで弾いていたんですか。
 
ベル:はい、エキストラとして弾いていました。
 
――では、もう仲間には知られていて、あらためてオーディションを受けた、ということ。
 
ベル:そうです。
 
――驚くべきことにベルリンフィルを2シーズンでお辞めになって(笑)、また弦楽四重奏に戻ったわけですけど、どうしてなんですか。第2ヴァイオリンのトゥッティでしたよね。
 
ベル:ペーターセンQがなくなり、私には仕事が必要でした。で、そのときに開いていた席がそこだけだったのです。そう、なんと言いましょうか、ベルリンフィルはヴァイオリン・セクションだけでも大人数のグループで、人間関係でいろいろと難しいものがあったのです。
 
――普通に考えれば、ベルリンフィルのヴァイオリン・セクションというのは、生涯務め上げられる良い仕事場ですよねぇ。
 
ベル:そうでしょうねぇ。
 
――愛していたか、とは言いませんけど、好き嫌いということだけで言えば、オーケストラで弾くのはお好きだったんですか。
 
ベル:勿論、オーケストラで弾くのは好きでしたよ。ですが…愛していたか、と言われるとねぇ、あくまでも仕事という視点で考えますから。愛していた、というのは難しいかなぁ(笑)。
 
――2シーズンを終えてベルリンフィルを辞め、再びプライベートな小さなアンサンブルに加わるわけですけど、私がベルさんの家族だったら、そんなバカな選択を、って大反対すると思うんですけど(笑)。決断の最も大きな理由はなんだったんでしょうか。
 
ベル:そうですねぇ(長い沈黙)…ヘンシェルQに加わった最大の理由は、いちどゲストとして彼らと一緒に弾いてみて、私たちお互いがとても好きになったこと。それが最大の理由ですね。彼らは心から私に来て欲しいと思ってくれて、私も彼らが気に入った。オーケストラでは、いつでも交代が可能なんです。誰が弾いていようがかまわない。私が弾いていても、別の人が弾いていても、オーケストラとしての違いはゼロ%でなければなりません。弦楽四重奏団では交代が全くききません。両者の感覚の違いは、世界がまるで違って見える程ですよ。オーケストラで弾くときにいちばん大事なのは、ちゃんと黒い靴下を履いていること。自分だけが滑稽に見えてはいけませんから(笑)。ですが弦楽四重奏では、自分が必要とされている。
 
――なるほどねぇ。では、ベルさんは、今、ヘンシェルQに加わって幸せだ、ということですか。
 
ベル:ええ。ヘンシェルQでの自分の生活をペーターセンQのときと比べると、なかなか興味深いですね。今の方が、多くのことがより楽に動いている。ですから、私は現在の弦楽四重奏での生活を納得出来ています。
 
 
――今は、シーズンでどれくらい弦楽四重奏としての生活をなさってるんですか。年間に3,4ヶ月、というところですか。
 
ベル:だいたいそんなものですね。
 
――ほかの時はコンサートマスター。
 
ベル:ええ、エッセン・フィルハーモニーの。
 
――ということは、オペラハウスでも弾かねばならないですよね。
 
ベル:殆どオペラですよ。
 
――じゃあ、年間の半分くらいはオペラのピットで弾いてる。
 
ベル:そうですね。
 
――それから、BBC響のコンマスも。
 
ベル:BBCは定期的にではありません。先週、プロムスで弾いてきました。
 
――そういう生活が上手くまわっている、ということですね。
 
ベル:そうですね(笑)。
 
――ベルさんのような、「半分がオケのコンマスで、あと半分が常設としてキャリアのある弦楽四重奏団のメンバー」というようなキャリアを積んでいる音楽家は、ヨーロッパには沢山いらっしゃるのですか。
 
ベル:多分、そう多くはいないと思います(笑)。
 
――私には、他に思い当たらないんですよ。
 
ベル:まあ、確かに普通ではないですね。

「これは私の楽器じゃないんです。私のいつもの楽器はニコロ・アマティなんですが、昨年の夏に日本に来たときに、暑さと湿気で木が柔らかくなって、指板が沈んじゃったんです。それで日本の夏にはもうあの楽器は持って来ないことにしました。それでクリストフ(注:ヘンシェルQ第1ヴァイオリン)に、彼のスペアのヴァイオリンを借りました。ポーランド製のモダンの楽器です。この楽器は響きそのものはあまり美しくはありません。それに私のアマティはとっても小さいので、今日はちょっと難しい。」(ベル)

第58回

ベルリンフィルを辞めた男

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版