「ヴァイオリンは技術書が多くていいね」
指導をメインに活動し、その独特の指導法から、
多くの信者を持つ管楽器の友人が、羨ましそうに言う。
そう言われれば、そうかもしれない。
 
某大手書籍通販サイトで、『ヴァイオリン』+『奏法』と検索すれば、
L.モーツァルト、ガラミアン、アウアー、メニューイン、フレッシュ…。
「技術解説が載っているもの」ということであれば、更に増える。
確かに、他の楽器に比べれば、多い方なのかもしれない。
 
とはいえ、純粋な『技術書』、しかも名著となると、
和書&翻訳書合わせても、上記をわずかに越える程度。
贅沢と言われればそうなのだろうが、特に多いとも思えない。
逆に、なぜ他の楽器の技術書が少ないのか、疑問に思う。
 
その数となると、到底太刀打ちできないピアノ関連の本や雑誌、
その中に、何か答えがあるかもしれない。そう思い、探してみる。
『奏法』に関する書籍は…。『技術』に関する記事は…。ん?
 
その様相が、ヴァイオリンのものとは少し違うことに気付く。
『演奏法』『奏法』『演奏技法』、こうした用語の視点が、
ひいては、その意味や使い方までも微妙に違う気がする。
確かに、何かが違う。何が? ムズムズする。
 
そうか。
ヴァイオリン弾きとヴァイオリンの間には、
“弓”という道具が介在している。
ピアノには、それがない。管楽器にも、それがない。
 
ヴァイオリンの技術書。その内容の一部は、
読みようによっては、一種の取り扱い説明書のようでもある。
『弓』という道具の。
 
 
楽器自体を、“道具”と考えることもできる。
しかし、楽器を主として考えれば、
その楽器を奏するために必要な、更なる“道具”がある。
 
例えば。
三味線や琵琶は『撥』。箏や三線は『爪』。ギターは『ピック』。
打楽器や鍵盤打楽器では『桴』『スティック』『マレット』…。
そして、弦楽器の『弓』。
 
同じ、音を出すための道具でありながら、ヴァイオリン(属)の、
“弓”のその能力は、『撥』や『ピック』などとは大きく違う。
 
ヴァイオリンの上で激しく踊り狂うその様を目にすれば、
それは、まるで生命を宿しているかのようで、
とても、単なる『道具』には思えない。
使えばなおさら。(だって、全然言うこと聞いてくれない…)
 
多分、ヴァイオリン(属)ほど『奏法用語』を持つ楽器はない。
そして、その奏法用語は、右手に関するものが圧倒的に多い。
“弓”自体が、多くの能力を持っていることの証明だ。
 
弓は面白い。
音がなくても、ボウイングを「見」れば、
その人のレベルが、音色や求める音楽さえ分かると言われる。
音や音楽が『可視』できる楽器なんて、そうはない。
 
同属楽器の集合体においては、
同じ『道具』を使うことで、得られるメリットも少なくない。
例えば、ヴァイオリン(属)は、ボウイングの『見た目』を揃えることで、
音を「寄せる」ことができる。ボウイングを同じにすることで、
ある程度、音色を統一することもできる。
 
『元好き派』『先好き派』がいたりもするし、
ヴァイオリン弾きにはそれぞれ、個性や癖がある。それでも、
弓先でスピッカートは困難だし、元弓でソフトな優しい音を出すのも難しい。
弓の限界が、結果的に“同期”“同調”を生み出している?
 
Violin Bow万歳!
 
 
そういった弓の特性は、指導の現場にも恩恵をもたらしている。
 
弓奏楽器は、手本を示したければ、
弾いて「見て」もらうことができる。『弓の動き』として。
奏いて「聴いて」もらうことしかできない楽器もあるのだから、
これは、指導者という人種にとっては、非常にありがたいことなのだ。
 
そして、音楽なるもの、何が難しいといって、
口で説明したり、文章で解説したりするのが非常に難しい。
 
「どういう音を出したいか」という問いの答えを得、
「どうすれば、その音が出るか」という段階に至ったとき、
それを、『弓の使い方』という視点から、
ある程度でも説明できるということが、どれ程ありがたいことか。
 
弓の使い方 ― 例えば、こんな風に。
 
 [ボウイング学習における7つのポイント]
  ・使う位置 (先―中―元)
  ・使う量 (全弓―1/2―1/3)
  ・サウンディング・ポイント (指板寄り―真ん中―駒寄り)
  ・圧力 (掛ける―ニュートラル―抜く)
  ・スピード (速い―ニュートラル―遅い)
  ・毛の量 (増やす―ニュートラル―減らす)
  ・弓の傾き (立てる―ニュートラル―寝かせる)
 
語彙で記せる喜び。箇条書きにできる幸せ。
説明も容易だ。楽器がなくてもイメージを喚起できる。
楽器がそこにあれば、目視で確認することもできる。
たとえ、それが、表面的な現象に過ぎないとしても。
 
いろいろな意味で、
間に道具が介在しない方が、楽なようにも思う。
より直接的な方が、コントロールしやすいようにも思う。
それがそうでもないということを、改めて知る日々である。
 
 
ちなみに、先の『ボウイング学習における7つのポイント』、
レッスンやワークショップにおいては、
( )内の3段階を弾き分ける、というところから入る。
 
どれも、特別なことではない。
誰もが知っていることだ。
多分、ひどく難しいことでもない。
弾き分けることも簡単だ。
 
日常的には、それらを、そのシーンに合わせ、取捨選択し、
何とか、思う音・欲しい音を再現して(しようとして)いる。
 
そう、ボウイング、普段は、その要素を指摘できないほどに、
複数の要素が複雑に絡み合い、混然一体となってそこにある。
 
料理に似ているかもしれない。
完成形から、その材料や調味料を推測するのは難しい。
でも、そこに、その中に、それらはある。
 
要素を取り出すことに、どれだけの意味があるのか。
そういった疑問も、この「今更」的試みを実際にやってみると、
あっという間に解消する。思った以上に成果が出るのだ。
 
例えば、始めたばかりで何も知らない自分がいる。
「どんな材料があるのか?」「それらをどう料理するのか?」
これから、どんな風に勉強していけばよいのだろう?
材料&調味料を揃え、ひとまずレシピ通りに作れるようにしてみる。
 
例えば、すべて『中庸』に陥りがちな自分がいるとする。
「変化に乏しい」「表現力が足りない」「ダイナミックレンジが狭い」
どうすれば、音楽が、深く豊かになるのだろう?
テクニック要素一つずつのクオリティを高め、幅を広げていく。
 
例えば、漫然と弾くことに嫌気が差している自分がいるとする。
「弾き癖がついている」「不得意分野がある」「演奏が荒れている」
どうすれば、すっきり、気持ちよく演奏できるのだろう?
頭を整理し、望むことを効率的に正確に確実に行えるようにしていく。
 
 
自分の身体には、自分に見えない部分がたくさんある。
表情を曝け出す顔でさえ、自分には見えていない。
身体と外界の境界線も、正直、定かではない。
自分の身体が本当に自分のものなのか、不安になったりもする。
 
ヴァイオリン弾きは、ときに、弓をコントロールしようとする。
そして、「弓をコントロールできない」と嘆く。ところが、実際は、
「自分の身体がコントロールできていなかった」なんて驚愕の事実に気付く。
 
ヴァイオリン弾きは、ヴァイオリンと向き合う度に、
自分の身体が、本当は自分のものでないことに気付かされる。
 
だから、ヴァイオリンと弓を通し、日々自分の身体と対話する。
言うことを聞いてくれるようになるまで、説得し続ける。
 
ヴァイオリンは「身体の一部」、弓は「右手の続き」なんて言う。
 
もしかすると、『ヴァイオリン』と『弓』は、
身体のどこの部分よりも、“自分”なのかもしれない。
そんな風に、考えてみる。
 
 
ときに、身体がひどく反発することがある。
そういうときは、身体に無理なお願いをしているのかもしれない。
「言うことを聞かない」のではなく、
「言うことを聞けない」というような。
 
例えば“ヴィブラート”。
道具はないから、純粋に身体の問題だ。
 
その動作の目的は、指先で音高幅を作り上げること。
そのために、指を、手首を、腕を「振る」。
「振ることができない」と嘆く人を見れば、大抵、力が入っている。
そして、手の構造から考えて、無理な方向に手を振ろうとしている。
 
「身体に聞いてみた?」
先輩にそう言われたことがある。
 
ボウイングで壁にぶつかったとき、
その原因を探ると、『弓の持ち方』に行き着いてしまうことがある。
 
「その持ち方では無理だね」。くぅ。なんてことだ! 
結局、身体か。原点回帰もなかなか辛い。
 
できないのには、必ず理由がある。
理に適っていないものは、絶対、音にはならない。
 
「身体に聞く」、それがきっと、何よりも大切なことなのだ。
 
 
『ヴァイオリン』と口にするとき、『弓』の存在は危うい。
弓も一緒に、ワンセットでイメージしてくれる人もいるが、
忘れられていることも少なくない。とほほ。
 
ヴァイオリン弾きにとって、弓がどれだけ大切なものか…。
「弓のストラディヴァリ」などと称されるFrançois Tourteの名を、
どれだけの人が、知っているのだろう? 意味なく感傷的になる。
 
それでいて、思うような音が出ないときには、
自分のことは棚に上げ、弓のせいにしたりもして。
 
「どうせ わたくし“普通名詞”ですし」
「わたくしのこと ただの棒っきれだと 思っていません?」
「それとも 我儘で どうしようもない じゃじゃ馬だとでも?」
「あなたにとって わたくしは何?」
 
不貞腐れた弓が家出する前に、なんとかしなくては…。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第73回 キミは誰のもの?

© 2014 by アッコルド出版