ヴァイオリニストとて、事件や事故に巻き込まれることはある。

 

フーベルマンは、飛行機事故で両腕を負傷している。

― Bronisraw Huberman 1882-1947 ポーランド出身のヴァイオリニスト。

1937年に、演奏旅行先のジャワ島の空港で飛行機事故に巻き込まれ両腕を負傷

再起不能と言われたが復帰を果たし、その後も演奏活動を行なう。

 

ジネット・ヌヴーが飛行機事故死したことは、よく知られている。

― Ginette Neveu 1919-1949 フランスのヴァイオリニスト。

1949年10月27日に搭乗したエールフランス機が墜落、

この事故で、乗員と48人の乗客が全員死亡した。

彼女は愛器ストラディヴァリウスを両腕に抱え込んでいたという。

 

ジャック・ティボーもまた、飛行機事故で亡くなっている。

― Jacques Thibaud 1880-1953 フランスのヴァイオリニスト

1953年3度目の来日途中、乗っていたエールフランス機がアルプス山脈に衝突。

41名の乗員乗客が死亡、42人が重軽傷を負う。

彼のストラディヴァリウスもまた、事故に巻き込まれた。

 

ゲルハルト・ヘッツェルは、思わぬ場所で命を落とした。

― Gerhart Hetzel、1940-1992 ユーゴスラビア生まれのヴァイオリニスト

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターだった彼は、

1992年登山中に転落し、全身打撲のため搬送先の病院で死去した。

 

ボリショイ劇場の楽団所属のベテランヴァイオリニストが、

オーケストラピットに落下して死亡する、こんな事故も起きている。

 

事故で、手や指を失ってしまったヴァイオリニスト達も。

その状況に、楽器を逆に持ち替えることや義手で立ち向かった者も。

 

とはいえ、ヴァイオリン弾きの日常は、

どちらかというと、事件や事故とは縁の薄い、穏やかなものである。

(舞台は、別な意味では戦場かもしれないが…)

 

 

人命に関わるような事件・事故に遭遇したことはないが、

見るも聞くも辛い物損事故の現場に居合わせたことはある。

 

これまでで、一番衝撃的で、一番痛ましかったのは、

「ヴァイオリン踏んじゃった」事件である。

オーケストラのリハーサル中、休憩時間になり、

ヴァイオリンを椅子に立て掛け、席を立った子が、

戻ってきて、ヴァイオリンの上に座ってしまったのだ。

 

グシャッと潰れた楽器の無残な姿に、場内騒然。

慌てて駆け寄ってみれば、表側は見るに堪えられない状態。

駒はもちろん、魂柱も倒れ…。でも、問題は表板だった。

板が割れ、部分的に細かく割れ落ちていた…重症度は赤タグ。

 

そのときの音が、場内すべての人を振り向かせるほど大きかったこと、

それが、ひどく嫌な音だったことは覚えているのだが、

なぜか、その音の記憶がない。

 

本人は、「そこにヴァイオリンがあるのは分かっていた」と言う。

「踏まないように浅く腰掛けたつもりだったのに」と。

もちろん、その楽器が元の状態に戻ることはなかった。

 

今でも、思い出すだけで血の気が引く。

あれ以来、安全な置き場所を確保することを心掛けているし、

事あるごとに、注意掛けをするようにしている。

 

舞台上と言えば、こういう事件もあった。

足元にケースを置き、蓋を開けたまま、

ヴァイオリンと弓を、その上に(ちゃんと仕舞わず)ただ置いていたら、

友人がケースを足で引っ掛け、バタンと蓋が閉じてしまった。

衝撃で、弓が折れた。

 

どんなに気を付けていても、事故は起きる。

でも、多少の配慮でその危険が減るのなら…と思うのである。

 

 

ヴァイオリンを、椅子などに立て掛けて置いたり、

弓を譜面台に横置きしたりするのは、できれば止めた方がよい。

特に、人の出入りが多い時は…。

 

大勢の人間が出入りする舞台は、当然のことながら危険地帯。

そして、リハーサル&その休憩時間前後は事故の起き易い時間帯。

 

譜面台に置いた弓を、誰かが引っ掛けて落としたなんて事件もあって、

これまで、3件目撃しているが、(一件は本人が引っ掛けた…)

どれも、その“魔の時間”での出来事だった。

 

ヴァイオリンではないが、同様の状況下で、

横置きしてあったチェロのエンドピンが足に刺さったという、

流血を伴う事件も見たことがある。

 

ちなみに、横置きされたチェロは、

一見、安定しているように見えるが、思ったよりはすぐ倒れる。

(これも、何度か目撃したことがある)

 

被害者も辛いが、加害者の立場も辛い。

 

とにかく、どんな楽器でも、

楽器が裸で置いてあったら、近くに寄らないことだ。

 

 

演奏空間の確保は、よい演奏をするための重要なファクターだが、

危険回避という意味でも、考慮すべき問題だ。

オーケストラでは特に。

 

どういう角度で座るとそうなるのか、

「弓の先が後ろの譜面台に当たって、弓先のチップが欠けた」

などという事件もあった。

 

弓は華奢なだけに、ちょっとしたことでダメージを受ける。

 

練習中、「ここさぁ」と弓先で譜面を指したとき、

弓がちょっと強く(本当に「ちょっと」だ…)譜面台に当たっただけなのに、

チップが欠けてしまったのも見たことがある。

 

“演奏空間”と言えば、あるオーケストラで、

どう座り直しても、右隣の弾き手の弓先が、

腕に刺さったり目に入りそうになったりして、困ったことがあった。

 

オケ初心者の彼女が、無意識に譜面台の正面に身体を置こうとして、

こちらの演奏域に入り込んできた結果だが、これが結構怖かった。

こんな経験は、後にも先にも一度だけだが、

オーケストラプレーヤーにはこういう問題も起きるのだと知った事件である。

 

 

忘れられない自身の経験がある。

あれは、アマチュアオケの合宿中だった。

模範演奏を試みていた時、バシッという音と共に駒が倒れ、

一瞬で、目の前がグシャグシャになった。

 

弦が切れたのかと思ったのだが、弦は4本とも緩んでいるだけ。

チェックしてみれば、なんとテールピースの破損。

裏側のテールコードの通っている部分が、劣化して割れていた。

ま・まさか、そ・そんなことが…だ。

 

そんなことが、と言えば、

ある日突然「指板が外れる」などという事件も起きる。

 

「弓の毛が外れちゃう」なんてレア度の高い事件も2件目撃したことがある。

(楔とプレートが一挙に外れた&スクリューが突然役に立たなくなった)

 

世の中、本当に、何が起きるか分からない。

 

 

“音楽”の面で言えば、コンサートでトラブルはない方がよい。

とはいえ、小さな事件があったコンサートは、

それはそれで印象深く、楽しい思い出になったりもする。

 

指揮者が指揮棒を飛ばすのは、舞台上でも客席でも何回か見た。

隣のプレーヤーの肩当てが外れて、客席に飛んでいったこともあった。

 

こういうときは、モノが飛んでいった先の人が悩むことになる。

「これ、拾うべき? 拾うべきだろうなあ、ないと困るだろうなぁ」

「でも、ごそごそしたら音楽の邪魔にならないかなぁ」

「なんで、私の前に飛んでくるのよ」

「あぁ、どうしよう、ええぃ、拾っちゃえ」

(どうぞ)

(ありがとう)

 

拾ったタクトにサインをしてプレゼント、

なんてしているのだろうか?(細くてサインが書けない?)

肩当ては…貰っても嬉しくないか。

 

印象的な事件と言えば、五嶋みどりの“タングルウッドの奇跡”だろう。

1986年のタングルウッド音楽祭で、ボストン交響楽団と共演した際に、

E線を2度も切りながら、楽団員のヴァイオリンを借り、

最後まで弾き切った、そういう話である。

 

弦が切れて困るのは、もちろん当人だが、

楽器の交換を要求される側も、当然、嬉しくはない。

弦の切れた楽器を渡されたコンマスやトップサイドも、

更に、それを交換しに舞台袖に戻らなければならない奏者も大変だ。

 

でも、こんな時間を作ることにもなる。

「この間コンサートに行ったら、途中でヴァイオリンの弦が切れてね」

「へえ、本当にそんなことあるんだ。で、どうしたの?」

「後ろの人と楽器を交換するって、本当だったよ」

「そうなんだ。見たかったなぁ」

 

アクシデントも一興?

やはり、“生演奏”はいい。

 

 

テレビをつければ、痛ましい事故のニュースが目に飛び込んでくる。

リアルタイムで映し出される悲しい情景。

そこには何か音があるはずなのに、なぜか音が聞こえない。

 

記憶を掘り起こすときも、

思い出したくないようなシーンには、音がない。

 

音の記憶の封印。

そこには、何が仕舞われているのだろう?

 

沈みゆく韓国客船の映像を見ていて、

“タイタニックのヴァイオリン”を思い出した。

 

1912年4月、大西洋で沈没した豪華客船タイタニック号。

その沈没間際まで、客の心を落ち着かせるために演奏を続けたという、

楽団長ウォレス・ハートリー氏のヴァイオリンだ。

2013年秋、英国で競売に掛けられ、約1億4千万円で落札された。

 

ニュース記事には、こんな話も載っていた。

「氏の遺体はヴァイオリンのケースが背中に結びつけられた姿で、

タイタニック号が沈没した数日後に収容された」

「2006年、英国の民家で再発見されたこのヴァイオリンには、

彼の婚約者が婚約記念として贈ったことを示す字句が刻まれた、

銀色のプレートがつけられてもいた。

塩水検査などでヴァイオリンはハートリー氏のものと断定された」

 

 

人生最後の食事は?なんて質問がある。

 

実際、それを口にできるかどうかはさておき、

何がいいだろうと、真面目に考えてみれば、

これまでの食の記憶が掘り起こされ、

いろいろな美味しいものが、それを食べたシチュエーションと共に、

次から次へと頭に浮かんでくる。

 

母方の祖母が朝ご飯に作ってくれた、

甘くてほのかに醤油の香りがするスクランブルエッグ。

父方の祖母が炊き立てのご飯で作ってくれたおむすび。

父と一緒に漁港近くの店で食べた海鮮料理。

叔父がご馳走してくれた老舗の蕎麦や寿司。

学生時代、母が夜食に作ってくれた焼きそば。

 

それだけで、幸せな気分になれる。

そのための質問なのかもしれないと考えたりもする。

 

だったら…と、考える。

「人生最後に耳にする音楽は何がよい?」

 

ううむ、参った。

急に頭がカオスになった。

封印を解くのは、考えものかもしれない。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第58回 事件は現場で起きている。

© 2014 by アッコルド出版