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室内楽の本質とは

 
「このフェスティヴァルは、水野佐知香先生の発案で、とても面白いと思いました。あちこちでこういった室内楽のフェスティバルをやっていて、僕もかつて桐朋学園の富山の室内楽をやっていました。これは、原田幸一郎君の発案で、結構長いことやっていて盛んで、生徒さんも最初けっこうな人数が集まり、皆さんが楽しんだというか、有益に時間を過ごしました。
 
ここは、洗足、桐朋、芸大、東京音大、フェリス、愛知県芸大、……本当にいろいろなところからいらしていて、そういう意味で、学生さんにとってお互いに刺激があるというか、 見ていても面白いもので、それぞれカラーがありますね。そのカラーをお互いに見る機会として、とてもいい試みだと思います。」
 
──ひとりの先生が、いくつかの団体を連日レッスンするわけですけども、このやり方でもたらされる効果とはどんなものでしょうか?
 
「何でもそうですがプラスとマイナスがあって、プラスの部分は、ひとりの先生が、同じ意見を言い続けることによってどんどん成長していきます。
 
室内楽は何でもそうですが、いろんな見方をしてそれをお互いに披露して演奏することが室内楽の本質ですから、そこから離れてしまうことがマイナスの部分です。いろんな先生方がいろんな意見を言うことが本当はは勉強になります。
 
僕たちがquartetで教えてる時は4人で一緒に教えていますから、ある意味とてもチャレンジングといいますか、それはそれで挑戦的なものです。慣れてくるとその教え方は大変面白いものです。
 
互いの意見を吸収しながらそれをうまく使うことが大切です。ですから違う意見を闘わせることはとても大切なことです。室内楽というのはそういうものだと思います。
 
カルテットで教える場合は、まさに意見を闘わせるのが先生同士でありますが、それは生徒が見ていてもとても面白いと思うんですよ。
 
教えている4人がどういうやりとりをしているかそれはとても勉強になると思います。
 
──先生同士でどうしても意見が合わないこともありますよね?
 
「たまにありますよ、それはもちろん。でも意見がかなり違った時にそれをどのように解決していくか、しかも生徒の目の前で。それはとても興味深いものだと思いますよ。」
 

室内楽の本質とは

 
── 池田さんは現在は日本とアメリカとでは、どのような割合で活動されていますか?
 
「いまも圧倒的にアメリカにいる方が長いです。日本には1年に2回帰ってきますけれども、トータルしても1ヶ月いるかいないかですね。日本に帰ってくることはすごく楽しみなのですが、すごく忙しくて。昔からの友達でどうしても会いたいという人がたくさんいましたね。そういう意味でいつもアメリカに帰るとほっとするんです(笑)。日本に来ると本当に忙しいですね。」
 
──このフェスティヴァルの最終日に元・東京クヮルテットの3人が共演されました。
 
「ブラームスのゼクステットとメンデルスゾーンのオクテットでしたね。これは有志の先生方による競演です。メンデルスゾーンメンデルスゾーンのオクテットは先生方生徒さんのカルテットによる競演です。ブラームスの先生方だけで演奏します。」
 
──かつての東京クヮルテットの3人が共演されたということで聴衆も固唾をのんで見ていました。
 
「実は去年の11月にも原田幸一郎君と磯村君と私とそしてチェロに毛利伯郎君を迎えて共演したんですよ。その時演奏したのは違うブラームスの曲でした。それは30数年ぶりの共演でした。原田君と演奏するのは、以前彼がアメリカに来たときに、その当時の東京クヮルテットと原田君がヴィオラで共演した時以来ですが、今回のように原田君といっしょにヴァイオリンで共演するのは33年ぶりですね。やはりとても感慨深いものがあります。
 
懐かしい気持ちと、多分彼もそうだと思いますが、お互いに変化していますから、お互いにその変化を見ていて、あーそうかこういうふうになったのかみたいな所もあります。
 
──原田貞夫さんを迎えて4人でなさることは?
 
「可能性はもちろんありますよね。そういう機会がありましたらお互いに考えますよね。」
 
──ビックニュースですよね。
 
「実は、去年原田君と一緒に演奏したときに、彼から、クヮルテットをやるかい?と聞かれたのですね。その時は、僕はもうクヮルテットを40年ぐらい弾いていましたから、ちょっと間をおきたいな、という気持ちもありました。
 
というのはやっぱりクヮルテットというのは、相当に厳しいものなんですよ。他の室内楽とは気分が違うんですよ。ゼクステットで二人が加わったり、オクテットをするときとは、気分が全く違うんですよ。なんて言ったらいいのかな。やはりクヮルテットを演奏している方が制約が多いというか、練習にしても多分厳しいものになると思うんですよ。それをしないといいものができないから。
 
ゼクステット、オクテットにそれが必要ないという意味じゃないですが、ただ細かいことをほじくり出した時に、全部ほじくり切らないとクヮルテットの良い演奏はできないと思いますから。多分皆そう思っているでしょう。」
 
──クヮルテットはそうならざるを得ないのでしょうね。
 
「実際僕が東京クヮルテット弾いていた間、もうかなりきついですよね。ぶつかり合って。でもある友達とその話をしていたら、ジュリアード・クヮルテットの話になったんです。
『お前、ジュリアード・クヮルテットが、どれくらい議論すると思っているのか? 彼らはそれくらい議論をしているから、いい演奏ができるんじゃないか。だからお前そこで逃げちゃダメだよ』と逆に励まされた事があります。
 
やっぱりそうだと思うんです。仲良くやるクヮルテットも楽しくていいでしょうけれども、本当にいいものはできないですよね。お互いの意見を自由に述べてぶつかり合って、その中で、そうか今日はこれをやってみよう。明日は違う方法をやってみよう……そういうことを繰り返しながらやっていくうちに、東京クヮルテットの音はこうなんだというものができたわけですね。メンバーが変わるとまた少し変わっていくのですが、そのプロセスというか過程がとっても大事ですね。」
 
──少し休憩された後に、可能性はあるということですね?
 
「そうですね。そういう話が以前なかったわけではないのですが、具体的な話ではなかったので、その時は実現しませんでしたが、ありえない話ではないでしょう。でもまあこのような事は、時が解決するというか、自然と後で思ってみれば、なるべくしてなったようなこともありますから。」 

クヮルテットは意見を闘わせることが醍醐味

 

池田菊衛さんに訊く

 

──第1回洗足学園室内楽フェスティヴァルより

インタヴュー

元・東京クヮルテットの奏者として一世を風靡した、ヴァイオリニストの池田菊衛さんに、クヮルテットの醍醐味をうかがった(3月11日から16日にかけて、洗足学園音楽大学内で行なわれた第1回洗足学園室内楽フェスティヴァルにて)

© 2014 by アッコルド出版

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