エリック・フリーゼン

Eric Friesen


NPRやCBCラジオプロデューサーを経て、現在、クラシック音楽解説者として多くのコンサートシリーズや音楽祭のホスト役をつとめる。地元聴衆の反応は「Wow(わ、有名人)」。コンクール開催期間中は、朝のレクチャータイムの進行役、途中休憩での参加者インタビューを担当。

池田菊衛&エリック・フリーゼン対話(2)

2013年8月28日バンフ・センターにて

 

 写真・翻訳:渡辺 和

 

第11回バンフ国際弦楽四重奏コンクール

11th Banff International String Quartet Competition

バンフ便り

フリーゼン:池田さんはクァルテットではずっと第2ヴァイオリンをお弾きになっていたわけですが、第1ヴァイオリンをお弾きになったことは。

 

池田:学生時代にはあります。原田幸一郎さんが第1ヴァイオリンをしますか、と最初に尋ねたんですが、いや私は最高の第2ヴァイオリンになりたい、と答えました。

 

フリーゼン:どうして。

 

池田:第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは全く異なる仕事だと信じています。それぞれの弦楽四重奏団によって違いはあるでしょうが、東京Qでは第1と第2の仕事は全く異なっていました。ヴァイオリンの調整も異なります。第1ヴァイオリンを弾くなら、ちょっと違った調整をするでしょう。つまり、私が第1ヴァイオリンを弾くなら、E線を中心に調整します。G線も重要ですが、高い音域を中心に考える。第2ヴァイオリンではもっと低く、深い音が出るように調整します。E線も重要ですが、低い弦がより大事になってくる。私はヴィオラを弾くのも好きなんです。全ての第2ヴァイオリン奏者はヴィオラも弾けるべきだと思いますね。

 

フリーゼン:どうして

 

池田:極めて現実的な理由ですよ。ブラームスではヴィオラが一番高い音を担当し、第2ヴァイオリンがそれよりも低い箇所がかなりあります。ヴィオラ奏者をより低いところから支える必要がある。ヴィオリストよりもヴィオリストでなければなりません(聴衆爆笑)。ハイドンの作品20の2、美しいハ長調の作品でも、主題はチェロの美しい旋律で始まりますが、第2ヴァイオリンはそれよりも下にいる。ですから、チェリストよりもチェリストでなければ(笑)。

 

フリーゼン:第2ヴァイオリンのキャラクターというものはあるのでしょうか。


池田:たぶん、あります。クァルテットごとに体質の違いはあるでしょうが、私たちの場合、創設メンバーの第1ヴァイオリンは11年、ウンジャンは14年、それからコペルマンは6年、それからビーヴァー。4、5人の異なる第1ヴァイオリンを擁してきたわけですね。それぞれのときで団の体質は変化しました。新しく入った人が最も大きな調整が必要だと思うでしょうが、そうではないのです。新メンバーが加わると、前からいるメンバーもそのたびに新人に合わせ調整せねばなりません。それに対応出来ねばならない。第2ヴァイオリンだけのキャラクターというより、クァルテット奏者としてのキャラクターなのでしょう。

 

フリーゼン:なるほど、キャラクターよりもパーソナリティという言い方の方が正しいのかもしれませんね。新しい人に合わせていく。私にとって興味深いのは、アンドリュー・ドウスの名前を挙げなかったことです。1年やりましたよね。


池田:ええ、ちょっと微妙な話なのですよ。ピーター・ウンジャンは東京Qで演奏を続けたかったのです。彼はジストニアでした。痛みは感じないので故障ではないのですが、指のコントロールがなくなってしまい、勝手に下がってしまう。最後の2、3年は、彼は実質的には3本の指で演奏していたのです。驚くべきことです。で、1年間治療に専念出来れば復帰出来るという。それで誰か1年間の交代要員が必要になって、アンドリュー・ドウスに頼んだのです。1年の代打でしたので、彼を新メンバーというのはちょっと微妙なのです。素晴らしい仕事をしてくれました。


フリーゼン:なるほど。私がその名前を出したのは、東京Qは3人のカナダ人第1ヴァイオリン奏者を擁していたからなんです。


池田:仰る通りです。


フリーゼン:5人中3人がカナダ人というのは、偶然なんですかね。それとも日本人とカナダ人は上手くいく理由があるのか(笑)。


池田:実際のところ、3人のカナダ人はみなどれも全く異なるパーソナリティを持っていました。面白いことに、ずっとNYにいたのに、私たちは一度もアメリカ人演奏家がいなかったのですね。たまたまそうなっただけですが。


フリーゼン:理由はないのですか。


池田:いちばん大きなメンバー交代の議論は、ピーター加入のときです。私たちは日本人4人で始めましたから、マネージャーも友人達も、東京Qなんだから日本人にしなさいよ、という。私たちもそう思い、何人かの素晴らしい演奏家と試演しました。皆素晴らしかった。ですが、私たちは長くアメリカに住み、ジュリアードで学んできたので、私たちと同じような日本人を探すのが難しかったのです。ピーターと弾いたとき、何も問題はありませんでした。音楽的にも、これで良い、と。この人とどこかに行ける。音楽は国籍よりも大事ですから、決断しました。ですが、気付いていなかったのですけど、私たちの公用語は日本語から英語に代わったのですね(笑)。


フリーゼン:ピーターが日本語を学ぶことは。


池田:ありませんでした。彼は意識的にそう決めていたんだと思います(聴衆爆笑)。より大事なのは、言葉だけでなく、関係性も変わったことです。日本では年上の人に敬意を示さねばなりません。エチケットというよりもルールです。私の通っていた男子校では制服の記章の色で学年が判るようになっていました。1年先輩が来るとお辞儀をせねばならない。そういう中で育っていたわけです。チェリストの原田禎夫は私より4つ上です。英語ではSadaoと言えますが、日本語のときは、私はいつも「禎夫さん」と呼び敬意を表していました。カズは、「磯村君」、友人であっても敬意を示す。私たちはみな同じ立場と思っていたとしても、そういう空気はあったのです。ピーターが加わり、突然、「You」と言うようになった(笑)(会場爆笑)。そんな気配りは窓から投げ捨てて、みな平等になりました。ピーターは私よりも8歳若い。でも、そんなのどうでもよいのです。


フリーゼン:それで音楽は変わりましたか。


池田:ええ、そう思います。


フリーゼン:どういう風に。


池田:私たちはひとつのグループであることにとても関心を払っていました。個々人であることが重要である瞬間もありましたが、あくまでも二次的なものでした。しかしピーターが加わってから、個々人が平等になり、グループでありつつ個人であるようになりました。より自由になったと思います。違いはふたつ。ひとつは、自由と言いましたが、ステージの上ではそれぞれが微妙に違うフレーズを作ることもあります。それに反応しなければならない。ピーターが来る前は、「練習のときの話と違うじゃないか」でした(聴衆爆笑)。それがもう少し自由になった。もうひとつは、ピーターがユーモアをリハーサルに持ち込んでくれたことです。彼はそういうキャラクターなんです。

今でも覚えているのは、彼がデビューして2、3回目のとき、私たちは舞台に行く準備が整い、緊張をほぐすのにこんな風にデモンストレーションをしてたのですけど(池田が床を叩いてみせる)、ピーターが「僕はそれできないよ」って(笑)。みんな笑い出し、氷が溶けたようになった。ステージに出る前は、みんな何が起こるか判らないので緊張しています。ピーターはステージの上にいることのポジティヴな面を示してくれた。大きな違いでした。


フリーゼン:それで皆さんはステージに笑いながら出てくるようになった。


池田:そうです。ニコニコしながらね。


フリーゼン:それは興味深いことですね。彼は東京Qの文化を変えた。


池田:ええ。

 

フリーゼン:なぜ東京Qは続いたばかりか、あれほどの高いレベルに到達出来たのでしょうか。その秘密は。


池田:私たちにとって最も重要だったのは、室内楽への愛であり、クァルテットへの愛だったと思います。マーティンとクライブは続けたかったし、彼らが私たちに代わる良いメンバーを見つけてくれると良いと願っていました。ですが発見出来ず、止めることにした。この1年半の間、私たちは止めるということになっても、私たちはまるであと10年続けるかのように最後まで練習をしていました。それにポジティヴに付き合ってくれていたことには、とても感謝しています。


フリーゼン:演奏水準を落とさないようにしていた。


池田:そうです。それぞれの演奏会の重要さ。

 

(3)へ続く。

取材協力:第11回バンフ国際弦楽四重奏コンクール事務局/CBC Radio 2 & CBC Music

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