今、バンフは火曜日の深夜11時前。まるまる2日をかけて総計10団体が演奏するリサイタル第1ラウンドが終了したところ。劇場から宿舎までのわずか数十メートルの坂は、涼しいどころか、日本なら秋も深まった頃の晩である。

 

 さて、結果はどうなのだ、とお思いでしょうが…まあまあ、急がないで下さいな。このコンクール、この時点での足切りはないのである。世界中からカナディアン・ロッキーの山懐に招聘された40名のクァルテット奏者たちは、明日のハイドン・ラウンド、明明後日の課題新作ラウンド、そして土曜日のロマン派ラウンドと、全員がステージで演奏し続ける。土曜日の深夜にファイナリスト3団体が発表されるまで、遠くまで来ていただいたからにはしっかりと弾いていってもらいましょう、ということなのだ。

 

 ちなみに公式発表に拠れば、優勝団体決定の配点バランスは「シューベルト10パーセント、20世紀作品10パーセント、第1ラウンド総合印象5パーセント、ハイドン15パーセント、委嘱新作8パーセント、ロマン派12パーセント、本選のベートーヴェン25パーセント、総合印象15パーセント」とのことである。

 

 今世紀に入ってから、少なくともアンサンブルのコンクールに限れば、ステージ毎に合格団体を絞っていく旧来のやり方が見直される傾向にある。性格の異なる課題曲を弾くステージをいくつか並べ、それらのトータルで本選出場団体を選ぶのだ。コンクールをスポーツのようなイベントとして考えるとクライマックスが小出しに用意された方が良いのだろうが、演奏する側や審査する側からすれば、総合的な能力を覧るためにはバンフのやり方のがベターなのは言うまでもない。勿論、あらゆるラウンドで図抜けた才能が出てくればそれはそれで結構なのだが、そんな飛び抜けた団体はそれこそ何十年に一度出るか出ないかのだから。

 

 ライブストリーミングで日本でも参加団体の熱演をお聴きの方もおありだろう。出そろった10団体の各論は気鋭のライター茂工欄氏にお任せするとして、筆者は過去20年近く世界中の弦楽四重奏コンクールを眺めてきた年寄りとしての「常に時代と共に変化しつつあるコンクールというもの」への感想を記させていただくとしよう。

 

 まずなによりも現時点で言えることは、今回のバンフの技術面での水準の高さである。正直、招聘された10団体は、「楽譜に書いてある通りに音符を弾く」「確実な合奏をする」などのクァルテットとしての基本的要求はどれも難なくクリアーしている。「第1ヴァイオリンが上手」とか「どんな難所も合奏はばっちり」とかは、バンフのステージでは今更言うまでもないことなのだ。技術的な面に限れば、「楽曲の要求に応じ音律を選択する」「強度や質の違うリズムを使い分ける」「楽曲に応じた音色のパレットを用意する」という常設プロ団体のレベルまで至らないと、ファイナリストになるのは不可能(余程飛び抜けた美点があれば話は別だろうが)。

 

 当然ながら優勝候補として名が挙がるのは、世界各地のコンクールでの優勝団体やファイナリストばかり。その事実は、ストリーミングをお聴きの皆様にははっきりお判りだろう。

 

 逆に言えば、テープによる予備審査である程度以上の技術的水準に至っていないと判断された団体は、いかにやっていることが「音楽的」であろうが、バンフの山に招聘されていないということなのだ。

 

 今世紀に入る頃から、ヨーロッパの弦楽四重奏コンクールでは「技術よりも個性や将来の可能性」を重視した結果を出す傾向が顕著である。その筆頭はロンドン国際弦楽四重奏コンクールで、メニューイン総裁没後の新体制になって最初の大会でアトリウムQで優勝させて以降、フォルモサQ、ダーニッシュQ、そして昨年のアルカディアQと、ギャラリーを驚かせる選択を重ねている。

 

 日本でもお馴染みになっているアトリウムQは世界を舞台にした活動を始めるまでに優勝から5,6年を要し(その間にバンフ大会にも参加している)、フォルモサQはヴァイオリンのジョセフ・リンがジュリアードQ第1ヴァイオリンに転出。ダーニッシュQは昨年からNYのリンカーンセンター室内楽協会2のレジデンシィを得て勉強中で、アルカディアQもパリのプロカルテットで特訓の真っ最中だ。客観的に見て、ロンドンの優勝は「プロとしての明日からの活動の保証」ではなく、「クァルテットへの登竜門」なのである(あくまでも推察だが、昨日今日の演奏を聴く限り、現状でのダーニッシュQやアルカディアQの技術力ではバンフの参加10団体に選出されない可能性も高かろう)。ミュンヘンもエベーヌQという別格の才能を発見して以降、優勝を与えたアポロ・ムサゲーテQとアルミダQは世界水準で見ればまだまだ可能性の段階である。

 

 良い悪いではない。コンクールとして目指すものが違うのだ。そんなバンフの在り方がハッキリしたのが、20世紀作品とシューベルト初期作品を並べるこの第1ラウンドだったろう。

 

 バンフに招聘されるクラスの団体ともなれば、自分達がこれと選んだ20世紀作品を正確かつ魅力的に聴かせるのは、それほど難しい仕事ではない。「こんな難しい楽譜がきちんと弾ける」とか「訳の分からない曲をしっかり整理して見通し良くしてくれる」のは当たり前。だから、結果からすれば、10団体のどれもがそれぞれの有り様を分かり易く見せてくれたのが20世紀作品だった。つまり、「どこもみんな上手です」ということである。

 

 ひとつだけ、20世紀の古典中の古典ながら曲の性格からコンクールのステージでは殆ど取り上げられない楽譜を選び、「きちんとした破綻のない演奏」からもうひとつ突っ込んだ解釈の再現を試みた団体があったのが興味深い。結果として成された演奏を審査員団がどう評価するか、筆者にはなんとも言えないが(客席はちょっと戸惑ったようだった)、キャリアを賭けた大舞台でそんな挑戦をする心意気、大いに善しとすべし。

 

 参加団体の前により大きな壁として立ちふさがったのは、意外にも、シューベルトだった。夭折の天才が10代に書いた第8番から11番までの弦楽四重奏である。楽譜を音にするという意味なら、リゲティやデュティユー、バルトークらに比べれば遥かに簡単な筈なのだが、どっこい、これが相当な難物。

 

 まずなによりも、これらの楽譜は通常の弦楽四重奏のレパートリーではないので、学校やセミナーで教わることは殆どあり得ない。そもそも、先生たちが積極的に教えようとする作品ではない。だから、参加者は自分らで4曲の楽譜を眺め、あれやこれやと検討し、演奏する作品を1曲選ばねばならぬ。これらの中では比較的頻繁に演奏され、アルバン・ベルクQなどの録音も残される最も若書きの第10番変ホ長調を選択する団体が多かったのは、当然と言えば当然だろう。8、9、11番は、アマチュアが弾けないところは弾けないままで楽しく遊ぶ分には気楽な古典的4楽章だが、コンクールレベルで提示しようと細部をきちんと眺め始めると彼方此方に落とし穴だらけ。プロの技量を前提に不必要な程細かく書かれた細部と、耳にはノンビリ響く全体像とをバランス良く再現するのは、至難の業である。

 

 

 これまた興味深いことに、今回の参加団体には中欧から東欧、所謂「シューベルトをお家芸」にするタイプの団体はひとつも含まれていない。極めてトリッキーな楽譜を前に、不必要なまでに細かいシューベルトの指示を正確に拾おうとする生真面目な団体、ソリスト級の腕を誇る第1ヴァイオリンとチェロの魅力を前面に押し立てる団体、音楽としてのキャラクターを大づかみにしたところから細部を作っていこうとする団体、過剰な装飾と言われるギリギリまで大胆に楽譜を読んでさほど魅力的でもない音楽を少しでも面白くしようとする団体、等々。才能溢れる若者らがあれやこれやと頭を捻り持てる技術の限りを尽くす姿を眺めながら、ここにヴィーン系のアチスQやミネッティQがいて天然でそれっぽい音楽を作っちゃったらどうなっていたのだろうなぁ、と思うことしきりであった。

 

 さて、夜も更けた。明日は朝の9時から審査員池田菊衛氏のレクチャーがあるので、この程度にさせていただこう。バンフ・センターのご厚意により、このレクチャーを「アッコルド」に独占翻訳掲載させていただけることになった。可能な限り早急に作業をしますので、請うご期待。

 

 

 

 

 

セッションの間に慌ただしく食堂でランチを終え、

700名を越える聴衆がエリック・ハーヴェイ劇場へと向かう。

第11回バンフ国際弦楽四重奏コンクール

11th Banff International String Quartet Competition

劇場ロビーにはカルガリー市から出張した楽譜ショップが並び、演奏曲のスコアとパート譜が販売されている。

今回最も若い参加者、カーチス音楽院を出たばかりのドーヴァーQが2日に亘るシューベルト&20世紀曲セッションを締め括ると、客席は総立ちで拍手。自分達へのお疲れ様の拍手かしら。

セッションの合間、劇場ロビー横で出演者にインタビュー。弾き終えてやれやれのシューマンQ。兄弟という事実に聴衆は興味津々だ。

若者 vs シューベルト 音楽ジャーナリスト 渡辺 和

バンフ便り(その3)

© 2014 by アッコルド出版