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誰が勝って誰が負けたのか 音楽ジャーナリスト 渡辺 和

第11回バンフ国際弦楽四重奏コンクール

11th Banff International String Quartet Competition

バンフ便り(その7)

 数時間前に本選の演奏が終わり、それに続く結果の発表。その後、いつもの食堂でのバイキングではなく連日レクチャーが行なわれたメインビルディングの大部屋で、レジデント聴衆達にディナーが供される。筆者もカナダに住む親戚に誘われオランダの南から訪れたご夫婦グループと同じテーブルに座り、一音楽ファンとして結果への感想や疑問を喋り合った。正直、下された結果にそのまま納得している聴衆は、この広い会場に誰一人としていないだろう。

 

 それが悪いのではない。審査員の判断が間違っていたのでもない(そのように声を荒げる方もいなくはないようだが、他人との意見の違いは当たり前の文化なのだから、まあそれだけのことだ)。10の団体が50数種類の演奏を行ない、そのどれもがある水準を超えたものだったのだから、提示された演奏に様々な感想があって当然なのである

 

 ディナーも終わり、北米の夏の終わりを告げるレイバーディ最後の休日となる月曜日に「じゃあ、また3年後に」と世界各地に散ってゆく聴衆達は、そそくさと部屋に戻り荷物詰めを始めたり、隣のバーに移動して演奏家や審査員も含めた無礼講の最後の晩を楽しんだりする。ジャーナリストとしての筆者の本来の責務は、その場に出向いて少しでも多くの情報収集をすること。前回までならそうしていただろうが、今回は若いライターの茂工欄氏がその任務を担当してくれる(若い音楽家の本音を酒の席で聞くのは、同世代の仕事であるべきだ)。コンクール監督シフマン氏との「アッコルド」独占インタビューを行なえたので、部屋に戻り当稿を記す次第。

 

 

 さて、まずは、本日午後2時からナヴァラQ、カヴァティーンQ、ドーヴァーQの本選出場団体が演奏したベートーヴェンについて触れておこう。コンクールの場で流布する箴言に、「アンサンブルのコンクールはステージが進むにつれて演奏のレベルが下がる」というものがある。独奏コンクールと違い4人の奏者の練習時間をきっちりマネージメントせねばならないアンサンブルのコンクールの場合、往々にして最も演奏レベルが高いのは確実に演奏せねばならない1次予選の曲である、ということだ。

 

 若い団体や時間マネージメント力に欠ける団体の場合は、とにもかくにも最初のステージの準備で手一杯。最初の演奏が猛烈に完成度が高く天晴れ次のステージに進んだとしても、次に弾かねばならぬ曲の練習が間に合っておらず、結果としてこれが同じ団体かと思われる演奏に終始することがあるのだ。決して珍しいことではない、というより、それが普通なのである。

 

 ライブストリームをお聴きの諸氏にはとっくにお判りだろうが、今回のバンフの水準が驚異的に高かったと皆が口を揃える理由は、この「ステージを重ねるにつれレベルが下がる」という現象が皆無だったことにあった。そもそもここバンフのシステムでは、招聘された時点で最低でも5曲は演奏せねばならぬ。年間に100回近い演奏を行う世界中に2、3ダース程度しか存在しない真のプロの常設常設弦楽四重奏団が、シーズン全体でステージに挙げるレパートリーは、新作を専門にするアルディッティQのような特殊例を除けば25曲程度が普通だ。その事実からも、最低でも5曲をプロのステージレベルで用意することを要求されるバンフの参加者のレベルがお判りいただけよう。

 

 午後2時から満員の客席で行なわれた本選でも、しばしばある「本選がいちばんレベルが低い」という状況は避けられていた。無論、団によるでこぼこはあり、少なくとも会場で聴く聴衆には、下された順位は前日までの点数がどうだというよりも、今演奏されたベートーヴェンの出来そのものに感じられたことは否めまい。

 

 3位となったナヴァラQは、既にキャリアのある団体。キャリアがあり普段から弾き馴れた曲であるが故に、本選での手慣れたラズモフスキー第2番の再現は、それまでの他の演奏の水準に比べ些か落ちるものに終始したと言われても致し方なかろう。敢えて厳しい言い方をすれば、今回の大会ステージで披露された全ての演奏の中で、筆者とすれば唯一の納得いかない演奏だった。

 

 続くカヴァティーンQ、今回の参加者の中では結成から時間の短い団体ながら、終楽章に「大フーガ」を据えた作品130で自分らのベートーヴェン像を確実に把握した誠実な再現を聴かせた。曲想の転換点でffで和音がぶつけられる瞬間に濁りを意識的に強調するような響きは、作者の精神の痛みを赤裸々に示すひとつの解釈としてはあり得よう。ただ、振幅の大きな表現だけに、決して条件の良くないホールで40数分の時間を過ごさねばならぬ聴衆にそんな醜さを「芸術表現としての美しさ」として感じさせるまでの芸には至っていなかった。結果として、細部まで考えられた若々しくダイナミックな表現ながら、聴衆には非常に疲れる音楽となってしまった。それでも「これはこれであり」と感じさせたのは、素材として一級品な証だろう。

 

 各章総取りで優勝を遂げたドーヴァーQは、本選では最後に登場。ラズモフスキー第2番を演奏した。弱音から強奏までまんべんなくしっかりした響きを作り、微妙なテンポ変化を各所に施したきちんとした音楽。無論、今回の参加団体の中でも最も若い20代前半、結成数年の団体なので、伝えようとする中身は単純と言っても良いほどに明快だ。その割り切りぶりを中期ベートーヴェンらしいと評価すれば、これほど気持ちいい音楽はなかったかも。ただ、個人的には、ここまで演奏の技術的な水準が高くなればなるほど、どんなに素晴らしく再現されたラズモフスキー第2番と作品130では比べものにならぬと感じられて仕方ない。芸術とは並べて比べるものではないという当たり前の事実を、あらためて痛感させられる。コンクールとは罪なものよ。

 

 

 筆者は過去20年弱、レッジョ、ロンドン、ボルドー、ミュンヘン、バンフ、大阪、メルボルンなど世界のメイジャー弦楽四重奏コンクールは可能な限り眺めてきた。そんな事情もあり、筆者の関心は「大会から大会の間の数ヶ月から数年で参加団体がどのように成長し、プロの団体としての個性を確立し、音楽業界に乗り出していくか」である。それぞれの大会での個々の演奏の出来には、正直、殆ど興味はない。上手くいくこともあるだろうし、そうではないこともある、それだけのことだ。

 

 筆者にとってコンクールでの勝者とは「世界のどこかで前回接したときに比べ圧倒的に伸びている団体」であり、敗者とは「前回接したときから伸びが感じられない、若しくは演奏が日常業務化してきている団体」なのだ。当然、バンフの審査員団が下した結果とはまるで関係がない。プロカルテットのザイゼル総裁、ベルギーの室内楽振興財団理事長イレーネ女史、数年前にご高齢で隠居したアメリカ・イスラエル財団ディレクターのパトリシア・シュワルツ氏など、コンクールや若手団体を同じような視点で眺める同業者が世界に数人しかない、極めて特殊な関心であることをご理解いただきたい。

 

 その意味で、今回の大会で筆者が本当に議論できるのは、ここで初めて接した若いドーヴァーQとカヴァティーンQを除く団体だけである。カヴァティーンQはスイスの小澤アカデミーで小澤征爾が指導するアンサンブル練習の一員として接したことはあるものの弦楽四重奏としての演奏は今回が初めてだったので、実質、知らない団体だ。結果として両団体が1位と2位になった事実は、バンフのコンクールとしての在り方を象徴しているように思えてならない。

 

 以下、第1ラウンドの登場順に筆者の各団体に対する感想を列挙し、バンフ通信の締め括りとさせていただく。これまでのレポートでは、バンフ・センターとCBCに拠るインターネット上でのライブストリーミング放送を前提に記して来たため、個々の団体の演奏に対する筆者自身の評価や感想は可能な限り避けるようにしてきた。コンクール審査員による結論が全て出た今、筆者の個人的な演奏に対する感想を解禁する。各団体の後の記録となれば幸いだ。

 

◆アニマQ:パヴェル・ハースQが優勝したボルチアーニ大会以来あちこちで顔を見るが、なかなか本選までは進めない団体。当然ながら、既にキャリアを始めている。今回がコンクールという環境で出会う最後の機会になるであろう団体だ。とはいえ、当初の男性4人が女性3人の団体になっているので、実質別物と考えるべきなのだろうが。唯一の立って弾くグループで、ロシア系に中国人ヴァイオリンを加えた混成旅団ながら、ベルリンをベースにアルバン・ベルクQからアルテミスQに至る1970〜90年代ドイツの王道で研鑽を積むだけあり、第1ラウンドでシューベルトの初期作品に楽章毎明快な性格の違いを与え、いかにもそれらしい音楽に聴かせていたのが印象的だった。中声以下の独特の音程感を美点に出来れば、世界を股にかけるかどうかはともかく、安定した活動が出来る力を持った団体だ。

 

◆カヴァティーンQ:第2位となった団体で、コンクールで点数を稼いだ最大のポイントは第1ラウンドのデュティユーだったようだ。筆者とすれば、出来て当然の現代ものよりも、作品50の1という些かトリッキーな選曲をしてきたハイドンで、意外にも一昔前のジュリアード音楽院風なかっちりしたモダン建築のような音楽を聴かせてくれたのが嬉しかった。パリ高等音楽院のイザイQ教室出身ながら、本来はプロの弦楽四重奏団を育成する目的ではないスイス小澤室内楽アカデミーでロバート・マンや原田禎夫から受けた薫陶はお飾りではないようだ。若手世代ではエベーヌQが抜きんでた存在となり、ヴォーチェQ以下、アマデオ・モディリアーニQ、ヴァレーズQなど若手激戦区となっているパリでどこまでやっていけるか、今後が楽しみな新顔である。

 

◆ノガQ:前回の大阪で聴かせたドビュッシーが、フランス的というよりも構築的でパワフルな再現だったのが印象に残る団体。今回はロマン派ラウンドで聴かせてくれたラヴェルがやはり同じ路線ながら繊細さを増した再現で、団として筋は通った音楽を着実に進めていることは判った。第1ヴァイオリンに必要十分な華があるのは嬉しい。

 

◆ジュモーQ:前々回のミュンヘンでウェールズQと3位を分け、直後に第1ヴァイオリンが交代。その後に北九州音楽祭に登場し、筆者も数日を一緒に過ごしアウトリーチなどにも付き合った団体なので、どうしても思い入れが深くなってしまう。交代後の第1ヴァイオリンが本来の才能をなかなか充分に開花出来ないもどかしさを感じていた。参加予定だった大阪(大阪国際室内楽コンクール&フェスタ)も3.11でキャンセルとなりその後を期待していたのだが、前回のボルチアーニでもまだまだ団としてミュンヘン時代まで持ち直していない感が否めなかった。今回、ユー・ツーアンの力がようやく存分に発揮されるようになり、特にハイドンとロマン派では既に成熟した弦楽四重奏としての響きを聴かせてくれた。既にバーゼル音楽院のライナー・シュミット教室助手としてキャリアを始めており、個人的にはファイナリストになって団のコンクール時代を終えて欲しかったので、正直、ちょっと残念ではある。コンクールを終えた今、次はどこで彼らを聴けるのだろうか。

 

◆カリドールQ:前回のミュンヘンに突如出現したコルバーン音楽院のエリート集団で、個々人の「上手さ」では今回の参加メンバーの中でもトップクラス。そこらのコンクールなら当然優勝を狙える素材の団体がファイナリストになれないのが、バンフの怖さだ。特に第1ヴァイオリンとチェロは圧倒的で、ハイドンなどでは不必要なまでのソリストのような上手さが目立ってしまうことすらあった。まだまだ若手クラスの団体なので、この先数年は世界のコンクールでファイナリストとなり得るであろう。この秋から東京Qを引退したグリーンスミスとビーヴァーにみっちりしごかれ、一皮も二皮も剥けるのを期待しよう。

 

◆アタッカQ:前回の大阪の覇者、今回のステージの出来が悪かったわけではない。それどころか、どのステージでも「アタッカならでは」の楽譜解釈にまで踏み込んだ演奏を展開し、優勝したドーヴァーQなどとは比べものにならぬ弦楽四重奏としての成熟度を見せた。ファイナリストになれなかった団体が、プロのクァルテットとして優勝団体より遥かに高いレベルにいるなど、普通のコンクールのレポートではあり得ない表現なのだが、ここバンフでは珍しいことではない。ここでは、優勝団体よりも成熟し、現時点での完成度の高い団体がいくつも存在しているのが当たり前なのだ(そして、審査員にも聴衆にも、そんなことは周知の事実である)。

 

 このレベルになると、もう完全に「好き嫌い」。はっきり言えば、彼らのハイドンやドヴォルザークには、余りにも個性が明快すぎてついてけない、やり過ぎ、と拒絶反応を示す聴衆もいて当然だし、審査員の中には「あれをやってはいけない」と考える者もいよう。だが、ロマン派ラウンドの最後で演奏したドヴォルザーク作品106は、筆者のこの作品に対する過去のイメージを塗り替える衝撃的な演奏だったことは特記しておく。「半音階的で未来志向の作品105に対し、比較的素朴でストレートな作品106」と信じていたの己の認識が、文字通り音を立てて崩れていく瞬間に出会えたのは、この1週間の間での最大の音楽的収穫。個人的には2013年のベスト演奏のひとつだ。来年4月の来日が楽しみ。

 

◆ナヴァラQ:この団体はもう10年近く聴いてきている。ドーヴァーQとの年齢差は11歳というから、独奏コンクールではあり得ないことだろう。今回は良くも悪くも成熟した団体としての安定度で平均点を拾い続け、ファイナルまで至った。20世紀作品ラウンドでのブリテンにもうひとつの狂気が感じられれば、更なるレベルに行ったかも。ファイナリスト、お目出度う。

 

◆リンデンQ:アタッカQほどギラギラした強烈な表現はないので目立たないかもしれないが、極めて高いレベルで安定した音楽を聴かせてくれる団体だ。こういう弦楽四重奏団が我が街にレジデンシィで居てくれたら本当に豊かな室内楽生活が送れるだろうなぁ、と思ってしまう。現在のアメリカ若手の水準の高さはオソロシイ。ロマン派ラウンドでは最高点だったとのこと。

 

◆シューマンQ:日本でも大人気のシューマンQは、ここバンフでも圧倒的な人気。もしも聴衆賞が用意されていたら、カナダ人参加団体を抜いてぶっちぎりで獲得していたことは明らかだ。なにせファイナリスト発表直後、「シューマンQがファイナルにいないのが残念だ」というフレーズがセンター中の挨拶になっていた程なのだから。ボルドー大会優勝時には若干抑え気味だった新加入のヴィオラ嬢、わずか数ヶ月でシューマン兄弟をコントロールするがっしりした司令塔になっている。そもそもロマン派的な和声感にかけてはこのコンクール参加団体どころか、今の若手のプロ団体の中でも飛び抜けて優秀な団体だけに、徹頭徹尾不安のない音楽の運び。来年秋の来日には、確実にもう一段階上になっていることだろう。

 

◆ドーヴァーQ:さて、優勝団体である。20代前半の、今回の参加者の中では飛び抜けて若い団体だ。正直に言えば、筆者は最初のシューベルトを聴いた瞬間に「おお、カーチス仕込みのミニカリドール」と思ってしまい、それの視点でのみ眺めていた。つまり、「シニア達の試合とは別の若手枠」と信じ込んでしまっていたのである。てなわけで、正直、結果を発表されて相当に戸惑ったことは事実。考えてみれば、バンフという大会は、過去にもジュピターQやティンアレーQなど、素材として猛烈にきちんとした団体を優勝者に選んできたのだっけ。バンフ優勝という肩書が重荷になるような才能ならばそれまでだったということ。この先の10年、激戦の北米でどのようにエリートとして育っていくか、新しい楽しみが出来た。

 

 バンフの大会としての総論は、帰国後に筆者のコラムで述べるとしよう。さて、そろそろ帰国に向けた荷物詰めをせねば。バンフだより、最後はコンクール総裁バリー・シフマン氏への「アッコルド」独占インタビューで終わらせていただく予定である。

© 2014 by アッコルド出版

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