いつか、それを手にしたい、いつか、それを食べてみたい、
幼い頃、本で知り、ずっと恋い焦がれてきた品が幾つかある。
 
例えば、『怪盗紳士ルパン』(M.ルブラン)に出てくる“片眼鏡”。
もちろん、片眼鏡monocleなんてものは我が家になかったから、
小さな虫眼鏡を目に当てて、ちょっとその気になったりしていた。
調べたら、ルパン仕様モノクルなんてものが販売されている。欲しい。
が、高い。同じような理由で手に入れた、手頃な“懐中時計”で我慢する。
 
例えば、『龍の子太郎』(松谷みよ子)に出てくる“岩魚”。
子を身籠り、空腹に耐えかねた太郎の母は、
禁忌を犯して岩魚を3匹食べ、龍になってしまう。
「そんなに美味しいんだ」…記憶に残ったのは物語より岩魚。
今でも、魚屋で岩魚を見掛けると買わずにはいられない。
 
例えば、『海底二万里』(J.ヴェルヌ)に出てくる“ストームグラス”。
潜水艦ノーチラス号に設置されていた天気予報の道具である。
―Storm Glass =「天気菅」は19世紀のヨーロッパで使用されていた。
 樟脳など複数の化学薬品をアルコールに溶かしてガラス管に詰めたもので、
 溶液や沈殿の状態によって、数時間後の天気が分かるとされる。
 
つい最近、これを手に入れた。通販カタログで見つけてしまったのだ。
「固形分が完全に底に沈み、液体が澄んでくれば、晴れる。
 沈殿物が増え、結晶化したものが溶液中を浮遊すれば、雨が降る。
 固形分の一部が溶液の表面で大きな葉の形になれば、嵐になる。」
半信半疑なまま、膨れ上がった欲求に抗えきれず、購入を決意。
常に目に入る場所に置き、一人悦に入る。
 
ときに現れる鳥の羽のような結晶が、それは実に美しい。
でも、気付く。そういうときに限って、体調が悪くなる。
そうか。『気象病』予報器でもある訳だ。
結晶が形を変える原理は未だに解明されていない、とある。
このミステリアスな感じ、たまらない。
 
 
とはいえ、体調が悪いのは頂けない。
この時期は特に、弱みに「何か」が取り憑くのだろう、
以前、痛めたところが、次から次へと問題を起こす。
腰や肘の痛みなどは慣れもあって、何とか対処もできるのだが、
耳が痛むとなると、職業柄、どうにも落ち着かない。
 
それでなくても、体調が悪いと耳の感度が上がる。
静かな方がよいかとテレビを消し、音楽を止めればかえって、
普段は気にならない電気製品の音が耳についたりして、最悪だ。
ひどいときは、頭痛、吐き気に襲われる。耳に痛みがあれば尚更。
 
音なんて、消えてしまえ。
ヴァイオリン弾きが思ってはならぬことを思う。
 
『蟲師』(漆原友紀)の「柔らかい角」という話を思い出す。
(=“蟲”が起こす妖しい現象を鎮める“蟲師”の旅を描いた漫画)
出てくるのは、“呍(うん)”という名の、「音」を喰う蟲。
そして、“阿(あ)”という名の、「無音」を喰う蟲。
 
話は、“阿”に寄生された少年を中心に展開する。
彼の額には「角(つの)」が生え、その角から、
これまでに聞いたこともない音が、昼も夜も洪水のように押し寄せる。
音から逃げるように閉じこもり、苦しみ嘆き、弱る少年。
 
音に襲われる恐怖を知っている。音たちの攻撃に耐え切れず、
耳栓も試してみたが逆効果だった。人差し指を耳に差し込んでもみた。
頭の奥でゴゥゴゥと規則的に響く腕の筋肉の活動音は、
自身の生の証なのに、痛みと不安を増長するだけだった。
 
同じ“阿”に憑かれた少年の母は、音に憔悴し最期を迎えたという。
だが、死の間際に言った言葉は、意外なものだ。
「音が消えたの 今度は ぴん と 何も 聞こえなくなった
 怖いの あんなに 恐ろしかった音が なつかしい…」
 
蟲師ギンコは考える。“阿”は見境なく音を拾う。
「あらゆる音を 拾うとなると 一つ一つの音は もう聞こえなくなるのか」
「それが極限まで高まれば」…「それが『音が消える』ということか」
 
 
電子音はもってのほか、楽音でさえ耳が拒否する、
そんな状態にあって、自然音だけはOKだから不思議だ。
しかし、人工音を避けて散歩ばかりしている訳にもいかない。
マスキングで被害を最小限に留める位しか、できることがない。
 
音全部を拾っているときは、確かに、頭がカオスになる。
すべてに意味がある=すべてに意味がない。それは、例えば…。
 
練習が始まったばかりのアマオケの練習に行くと、
本来、“楽曲”であるはずのものが、個々の努力虚しく、
無意味な音の集合体にしか聞こえないことがある。
あんなに音があるのに、そこには何もない。
それに少し似ている気がする。
 
ヒトの耳がしていることを考える。「聴く」ということ。
 
久し振りに手に取った本に、こんなフレーズを見つける。
「ちょっとした体調の変動も嗅覚を狂わす」…なるほど。
そういうものなのだろう。そして「病気になると概して鈍感になる」。
が、しかし、風邪をひいたときなどは、
「かえっていつもより嗅覚が敏感になることがある。異常な機能亢進というべきものなのだろう。感度が異常に高くなるというのは、研究者としての私には興味がある出来事だが、個人の体験としてはあまり愉快なことではない。非常に疲れる感じがするのである」
調香師の方が書いた本だ。激しく共感。
 
「一方、からだが何ともないときでも、かぎ続けていると頭痛がしてくるものがある」
調香師の人たちは、頭痛がするとき、
レモンやペパーミントの香りで、それを直したりするらしい。
「レモンは極上の地中海シシリー島のものを、ペパーミントは北米西部オレゴン州ウィラメットに産する精油を特別に蒸留処理したものを選ぶ」
なんだか素敵だ。でも、これを一般人が試すことはできない。残念だ。
 
こうも書いてあった。レモンとペパーミント、この二つのよき香り、
「混ぜたりはしない」のだと。理由は、「調和が取れないから」。
『調和』は、どの世界でも重要なキーワードのようだ。
 
 
母の趣味もあって、小さい頃から花の香りに包まれていた。
水仙、フリージャー、ラベンダー、沈丁花、金木犀…。
庭にあった「パパ・メイアン」という薔薇は大のお気に入りだった。
 
“香”も好きで、生意気にも、祖母に貰った香炉で灰と炭を使って焚いていた。
一時期はまったお寺巡りも、半分は、香のかおりに誘われてのことだった。
今でも、銀座に行くと鳩居堂参りをする。店に入るだけで幸せになる。
 
それやこれやで、“調香師”は憧れた職業のひとつだった。
専門書を買って読んでみたり。専門店を覗きに行ってみたり。
でも、世に「よい香り」として売られている香水でさえ、
少し嗅いだだけで、気分が悪くなったりするものがあって、
ダメだ、こりゃ。と、早々に諦める。
 
香道においては、香を「嗅ぐ」とは言わない。
『聞く』と表現する。グッと、親しみが増すではないか。
 
あれ? 香料関係の本でも「嗅ぐ」の字を見ないことがある。
いろいろ気になって、ちょっとだけ調べてみる。
 
『薫』は、高い香気を発すること。教育と繋がる部分もあるらしい。
 「薫育」=徳をもって人をよい方へ導き育てること。
 「薫陶」=香をたいて香りを移し、土をこねて陶器を作るように、
      徳や品格で人を感化教育し、立派な品性を作ること
『芳』は、においがよい、味がよい、評判がよい、行為や志が美しいこと。
『香』は、鼻に与えるすべての快い気。声、色、様子、味などの美しいこと。
『馨』は、よいにおいが四方に、遠くに及ぶことから、徳化や名声が伝わる意。
『匂』(色、香り、趣き)は、「匀」「韵」を通して『韻』という字まで遡れるという。
『韻』はもちろん、音のよい響きの意だ。
『嗅』は、様子を伺うという意味もあり、悪いにおいに用いられる。
 
「聴覚と嗅覚は密接な関係にある」なんて書いてあると、ほおぉと思う。
確かに、香料の本を繙いていると、音楽の本を読んでいるような感覚になる。
『聞く』だけでなく、ほかにも音楽用語に出会うこともあって。
 
 
例えば、頻繁に耳にする“ノートnote”という言葉。
シトラス・ノート、スパイシー・ノート、フローラル・ノート…。
トップ・ノート→ミドル・ノート→ラスト・ノート。
(思わず浮かぶ、音の「発音→持続音→語尾」)
もちろん、わが業界での『ノート』は、
「楽器の音」や「楽譜、音符」「調べ、曲調、旋律」などを意味する。
香料の世界では『香調』。
 
整然と香料瓶が並べられた調香台、これは見たイメージのままの名だ。
=“オルガンperfume organ”
香料瓶を鍵に見立てたり、『調香』をオルガンを使った作曲に例えたり。
 
極めつけは、“香階”なるもの。 
―『The Art of perfumery』という書を著したことで有名な化学者で調香師
 ピースG.W.S.Piesse という人物が天然香料を音階のように並べ名付けたもの。
 
見れば、7オクターブ四十数種に渡る香料が順に並んでいる。
もちろん、ただ並べただけではないらしい。読めば、香りにも、
「重く低音」と感じるものもあれば、「きーんと高音」に感じるものがあるという。
 
さらに、この“香階”は、香りの「音高感覚」だけを示しているのではないと。
オクターブに設定されているものは、香り成分が共通しているものがある、
和音となる音の位置には、相性のよい香りが置かれている、など。
一度、そのハーモニーを聞いてみたい。
 
「ヒトの嗅覚は退化して、鈍感になっていると思う人もいるかもしれないが、そうではない。ヒトは視覚に頼り過ぎるため嗅覚の使い方をおろそかにしていて、その能力を十分に引き出していないのである」…ふむふむ。
 
それより、『老人性難聴』が気になる年齢になってきた。
「高音域においての聴力低下が顕著」「足音や車の音などの日常音に過度に鋭敏になる傾向」「雑踏など複数の音が混在する中での会話などが聞き辛くなる」…ううぅ。
 
ところで、こんな記述もあった。
「麻薬探知犬には、どんなイヌでもなれるわけではなく、適性のありそうな犬はわずかだ。過保護に育てられたイヌはダメ、健康で、好奇心や独占欲が強く、においを探る集中力があり、野性的で個性的なことが必要という」
さて、ヴァイオリン弾きとしては、どう捉えるべきか。
 
 
所用のため駅に向かう。途中で買い物に寄った店の中、
少し先を、左手に杖を持ち、僅かに脚を引き摺る老婦人と、
まだ幼さが残る小学生くらいの男の子が、連れ立って歩いている。
どうも、二人きりのようだ。
 
ゆったりした老婦人のペースに合わせて、少年は歩く。
建物を出るところに4~5段の階段があるのだが、
そこに掛かると、少年はしっかり手を添えてサポート。
実に、微笑ましい。
 
彼らのすぐ後ろまで追い付くと、二人の会話が聞こえてきた。
「チーズがいい匂いだね」
男の子の持つ袋に、どうもチーズバーガーが入っているようだ。
「そうね」 優しいおばあちゃまの相槌。
 
その直後の、老婦人の言葉が耳に立つ。
「ベートーヴェンは、マカロニにチーズを掛けたものが好きだったのよ」
ん? ん? ん?
「そう言えば、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏はとても素敵よ」
「ふうん、そうなの?」
 
あまりにも予想外な会話に、急ぎ追い越そうとしていた足が鈍る。
いけないことと思いつつ、耳をそばだてる。
「今晩、一緒に聞きましょうか」
「うん! 楽しみ!」
夕食は美味しいチーズバーガー、夕食後はベートーヴェンの弦楽四重奏。
なんて素敵なんだ!
 
会話は続く。
「実は、ボクもおばあちゃんに聞かせたい曲があるんだ!」
「あらまぁ、何かしら」
その後の会話も聞いてみたかった。
 
我が街は、平和だ。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第86回 チーズの香りのベートーヴェン

© 2014 by アッコルド出版