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「それは、短いけれど、非常に辛く厳しい旅でした。
 いつ目的地に着くのかと、不安になるほどに。
 僕たちは誰一人、一睡もできませんでした。
 こんなものに乗っていると、魂が放り出されてしまいます。
 座席は石のように固く、道中ずっとクッションに両手をついて、
 お尻を浮かせていなければなりませんでした。
 それでもお尻は痣だらけで、きっと真っ赤になっているでしょう。
 もう、これからは、駅馬車を止めて歩くことにしようと思います。」
 
ミュンヘンに着いた24歳のモーツァルトが、
ザルツブルクにいる父へ送った手紙の一部である。(1780年11月8日)
 
そう、“旅”は楽しいものではなかった。
乗り物と言えば、せいぜい馬車。
道路は整備されていない。夏は砂塵が舞い、冬は泥土化する。
あるときは酷暑、あるときは極寒。ろくな宿もない。
自然災害どころか、「森と夜は怖い」そんな時代だった。
強盗や追剥ぎに襲われる危険もあった。
 
頼みの馬車も、問題を起こすこと多々、
馬車の転倒による負傷も珍しいことではない。
素晴らしきものと評価された砂利敷の道もまた、それはそれで、
馬車の金具を痛め、故障を引き起こすものだった。
なにしろ、車輪にゴムを付けるようになったのが1867年、
空気入りタイヤが実用化されたのが1888年。ううむ。
 
自転車で走ってみる。でこぼこ道を。空気の抜けたタイヤで。
何時間も、いや、丸一日。夜通し走る。ガタガタ、ガタガタと。
間違いなく魂は飛び出るなぁ。お尻は浮かせて…いや、無理だから。
楽器は大丈夫だったのだろうか? 受難のヴァイオリン。
 
旅の目的は、最初は巡礼だった。それから? 
気力と体力、時間もお金も掛かる、危険な“旅”。
余程の好奇心か商売っ気を持つ者でなければ、出掛けたりしない。
その“旅行者”の中に、音楽家たちがいたのだ。
 
 
旅楽師として、放浪する者がいた。
宮廷、教会、オーケストラ…、就職先を探し歩く者がいた。
他国の新しい音楽に接するべく、出立する者もいた。
望まれ旅する、作曲家やヴィルトゥオーゾたちもいた。
 
国家間はもちろん、国内の治安まとまらず、争いの絶えない状況下、
町から町へ。国から国へ。旅券の申請も簡単ではなかったという。
受け入れも、いつも歓迎されるものではなかった。
「演奏旅行」「留学」—音楽家たちの履歴に書かれている、
わずか数文字の言葉の裏にあったであろう労苦を想う。
 
18世紀イギリスには“グランド・ツアー”なるものがあったそうだ。
—イギリス良家の子弟の教育、ことに古典的教養の修得のために行なわれたヨーロッパ大陸への旅行のこと。目的地は当時の先進国であったフランスとイタリア。観光のほかに、各国の上流階級や学識経験者との交流、大学やアカデミーへの短期入学、書物や美術品の購入などが目的だった。期間は数か月から、ときには数年間に及んだ。家庭教師が同行し教授するのが一般的で、トマス・ホッブズやアダム・スミスも家庭教師役を務めたという。
 
道中が辛かった時代。それが一つの“試練”だった時代。
(今は今で、道路の渋滞や電車の遅延などの「試練」を受けている?)
交通手段が発達すると、人々はようやく“旅”を楽しむようになる。
 
そういえば、最近、車窓からの景色を見なくなった。
小さな子が外を見ようと、窓の方を向いてちょこんと膝立ちで座り、
お母さんが慌ててその子の靴を脱がせる…なんて光景もあまり見ない。
 
「本日は富士山が美しく…」、そんな小粋なアナウンスを聞いて、
はじめて、景色を楽しむことを忘れていた自分に気付いたりする。
見れば、文字通り心が洗われる景色。なのに。
 
命を懸けてまで貪欲に、新しい“景色”を求めた人たちがいる。
そのほとんどを偽物で済ませ、満足している自分がいる。
 
リスクをものともせず、ときにはボロボロの身体で、
音楽家は旅をした。新しい世界を求めて。そうまでして獲得したもの。
その恩恵を、誰でもない自身が受けているというのに。
 
 
どうしても思い出せない。
重いヴァイオリンケースを必死に抱え、
ドキドキしながら出掛けたであろう、初めてのレッスンの日のことを。
ヴァイオリンの世界に、足を踏み入れた日のことを。
 
— 道は前にある、まっすぐに行こう。 ~種田山頭火
 
ヴァイオリンを手にすると、突然、眼の前に“道”が開かれる。
時を越え国を越え、綿々と作られてきた古くからの道。
その道を、五十年歩いてきた。師の下で。師を道として。
「ここ」に道があることを、どこへ行かずとも学べることに深謝しながら。
 
— 急ぐなら、古い道を行け。 ~タイの諺
 
『古いもの』として存在している、その意味を考える。
礎は変わらない、きっとそういうことだ。古いと古臭いは違う。
歩くべきは眼の前の道? まずは師を信じて進め、と。
 
世阿弥は『花鏡』にこう書いている。
—そもそもその物(師)になること、三つそろはねば叶はず。
 下地の叶ふべき器量、一つ。
 心にすき(数奇)ありて、この道に一行三昧になるべき心、一つ。
 またこの道を教ふべき師、一つなり。
 
師はその師の、その師はその師の、『指導(法)』を受け継いでいる。
弟子はその弟子へ、自身が教わった方法でしか教えられない。
(もちろん、ときには血が混じることも、変異することもあるけれど)
一人の師に長くつくこと、そこにデメリットがあるとしたら、それだ。
 
一人の人間には限界がある。そう、師にも限界はある。
だが、師の限界を越えることは、それほど容易いことではない。
自分が勉強に費やした一日を、師もまた勉強に費やしているのだから。
 
それでも、ときには、視点を変えたい、そんな風に思うこともある。
それでも、ときには、視点を変えてほしい、そんな風に思うことがある。
 
ヴァイオリン界においては、複数の師を持つことが許される傾向にある。
我が業界が、成熟した世界だという証かもしれない。
 
 
「アウアーも手離したがらないちょっとした秘伝を持っていました。彼は(エルマンがデビューで演奏する)チャイコフスキーの協奏曲の中から、一つのパッセージを選び出して言いました。『さて、君のためにこれを弾いてやろう。もし何かを掴めたら大変結構だし、掴めなかったら君の失敗だ』。私が掴み損ねることがなかったのは幸せです。」~ミッシャ・エルマン
 
レオポルド・アウアーは、指導について語るときに、
「多種多様な生徒の個性を決して殺すな」という文言を入れる。
そして、アウアーの弟子たちは、師がそれを実践していたと証言する。
 
彼は自分の門下生が、「アウアー門下」だと分かることをよしとしなかった。
真の指導とはそういうものだと彼は言う。イザイもまた、そうだった。
 
ティボーが、イザイとの対話を記している。
バッハのト短調のフーガを初めてコンサートで弾くことになったティボー、
ふと、その解釈に不安を感じ、イザイに教えを乞う。
「このフーガはどんなふうに弾いたものでしょうか」
しばらく考え、イザイはこう言う。
「このフーガは立派に弾かれなければならない。それだけだよ」
“答え”を期待していたティボーは少しムッとするが、こう思い直す。
教えられれば、教えられた通りに弾いてしまう。それではダメなのだ。
自身の創意で『自分のバッハ』を作れとイザイは言っているのだ、と。
 
師の力量が問われることもある。
ティボーのセヴィシック批判は、ひどく辛辣だ。
「セヴィシックの、全く精神のない機械的体系が、多くの優れたヴァイオリンの機械師を作り出したことは疑いのないところです。しかし、それが真の才能を殺したのも無論のことです。クベリックが、もしセヴィシック以外の教師についていたら、彼は偉大な大家になったでありましょう。事実、彼はよく弾いたけれども、彼もまたセヴィシックの被害者の一人だと私は思います。」
 
師弟関係には相性があるのも確かだ。
相性の悪さや、力量のアンバランスが不幸を招くこともある。
それを察知すべきは、
より長くその道を歩いてきた、師であるべきなのかもしれない。
 
 
ときどき、“音楽家の卵”の悩み相談を受けることがある。
ある日、『肩当て』で悩む音大生が、我が家にやって来た。
いろいろな人に相談してきたけれど、満足な答えを得られないと。
「最後には皆『そんなに悩まなくていいんじゃない』って言うんです。
 私だって、悩みたくて悩んでいるんじゃないのに」と。
 
どんな肩当てを試したのか聞くと、彼女はおもむろに鞄を開け、
いや、もう、出てくる!出てくる!
大手販売店でも、こうは並ぶまいという数の肩当てが登場。
 
とにかく、弾いてもらわないことには何も分からない。そして、
彼女が楽器を構えた瞬間に、「肩当てが合わない」理由が分かる。
根本的に姿勢が悪い。(これじゃあ、どんな肩当てをしたってダメだ…)
ヴァイオリンは大きく左に振れ、首は曲り、身体は捻じれ…。
「『姿勢が悪い』って言われたことない?」
「言われました。だから、必死で『合う肩当て』を探してるんです!」
 
禅問答を仕掛けられているのかと思う程、難しい会話が続く中、
気付く。彼女の最大の問題は、「誰も信じていない」ことだと。
自分の師も。アドバイスをくれた人たちも。そして多分、自分も。
彼女をそこまで頑なにしてしまったものは何なのだろう?
 
昨今の豪雨、都市部では降った雨が舗装された路面を流れ、
排水路も排水し切れず、都市型水害を起こす結果となっている。
“道”は、固め過ぎてはいけないのだろう。
そして、そこを走る車の足元にも柔軟性が必要なのだ。
 
長きに渡って、師はただただ、弟子の成長のみを願ってきた。
そうして今、ヴァイオリン界は充実している。
「新しいもの」だらけの環境にあって、情報過多と報道の偏りが、
それを正しく知らしめていないのではという懸念は持っている。
 
小粒化や弱個性を言われもするし、それを強く否定できない自身もいるが、
だからなんだ!とも思う。多くの素晴らしいヴァイオリニストがいる。
たくさんの人々が、彼らから贈られた幸せな時間を手にしている。
同じ道の隅を歩きながら、それを誇りに思う自分がいる。
 
 
「まっすぐに行こう」と語る山頭火は、こんな句も書いている。
 
— まっすぐな道でさみしい
 
 
 
 
*タイトル:「どこに行こうとしているのかわかっていなければ、どの道を行ってもどこにも行けない」 ~キッシンジャー

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第83回 

If you do not know where you are going ,

every road will get you nowhere.

© 2014 by アッコルド出版

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