鉛筆はHi-uni2B、消しゴムはAIR-IN。
 
 
ヴァイオリン・ケースに、必ず入っているもの、なぁんだ?
 
「ヴァイオリンでしょう、弓でしょう、松脂でしょう、
 楽器を拭く布が入っていた気が。それから、えぇっと、弱音器!
 肩当てが入っているのも見たことがある。後は、替えの弦?
 チューナーとか音叉とか。 あ、爪切りだ!…『必ず』じゃないか。
 これ位? え? まだ、あるの?」
 
あります。『鉛筆』と『消しゴム』。
 
これは、ヴァイオリン弾きの必需品。
練習をするときも、レッスンを受けるときも、
アンサンブルの「合わせ」のときも、オーケストラの練習のときも、
この子たちがいないと、困るのです。
 
そう、楽譜に、注意事項などを書き込むこと、
または、書き込んだものを、“書き込み”と言います。
 
“書き込み”は、基本、鉛筆以外は許されません。
シャープペンを出すと、嘘だろ?という顔で見られます。
ボールペンなど出そうものなら…、怖くて話せません。
 
だから、ケースを開けて、準備をしているとき、
うっかり鉛筆を入れ忘れていたことに気付くと、
ヴァイオリン弾きは、ちょっと、焦ります。
予備を持っていないか、周りの人に聞いたりもして。
(鉛筆って、意外に出先では見つからなかったりするのです…)
 
聴き手のみなさんの目には、決して触れることのない、
楽譜の“書き込み”―そこには、ヴァイオリン弾きたちの、
楽譜への、アンサンブルへの、音楽への思いがこもっています。
 
そして、そして、そこには、多くの『企業秘密』も!
 
 
楽譜に書き込まれているのは、
その人だけの、そのアンサンブルだけの、
そのオーケストラ(指揮者)だけの、“解釈”―占有世界。
 
ヴァイオリン属は、音楽的注意事項のほかに、
ボウイングやフィンガリングなどの技術情報も多々書き込みますから、
より機密情報が多いと言えるかもしれません。
 
いえいえ、冗談でも、大袈裟でもなく。
学生時代(今もそうかもしれない…)、友人であっても、
師が違えば「楽譜の貸し借り」をしないのが、暗黙の了解。
 
そういった“書き込み”。
自身が、自身の解釈で書き込んだものであっても、
書き込んだ内容は、いつ、変わるか分かりません。有為転変は世の習い。
変わること=消すことを前提に、書き込む。
 
だから、“鉛筆”。
 
楽譜上の『絶対』は、作曲家本人が書いたものだけ。
印刷されている先人のアドバイスですら、絶対ではありません。
ましてや個人的な書き込みなど…。
 
という訳で、ボールペンや色鉛筆など消せないものはアウト。
シャープペンは、なぜ、ダメかって?
書き込んでいる最中に芯が折れることがある、消した後に跡(溝)が残りやすい、
書いたものが照明で光って見にくいことがある、
こういった理由で、使わないのです。
 
個人所有の楽譜でも、そういったことを考えるのですから、
オーケストラが団として所有する楽譜への書き込みは、言うまでもなく。
基本、「見て、聴いて、覚える」音楽業界ですが、
それやこれやで、筆記用具だけは最初に注意を受ける、と。
 
 
オーケストラにおいてのボウイングは、ソロとは別な意味も加わって、重要。
多くの場合、予め、オーソドックスなものが書き込まれていて、
必要とされればボウイングを変える、というスタンスが一般的です。
 
ボウイングを変えるシーンは意外に少ないのですが、だからこそ、
変えようかという話になったときには、少し空気がピリピリします。
 
練習中、指揮者の言葉に反応して、パートトップたちが、
弓を変えるとか変えないとか、ダウンとかアップとか相談し始めると、
「裏」に座っている人は、密かに『書き込み』の態勢に入ります。
 
 ちなみに、弦楽器のプルトには「表&裏」があります。
 ―プルトPult(独):譜面台のこと。
  オーケストラでは、弦楽器奏者が二人で一台の譜面台を使う。
  この奏者二人一組を『プルト』、一人のプルトは『半プルト』と言う。
  指揮者に近い方から、1プルト、2プルト…と並ぶ。(折り返すことあり)
  客席側を『表』、逆側を『裏』と呼ぶ。
 
プルトの「裏」の人には、“譜めくり”という重責が課せられていますが、
練習中の“書き込み”も一任されているのです。(仕事多い…)
 
一瞬の相談タイムが終わり、トップが後ろを振り返って、
「ボウイング変えます」と言い、サクサク書き込み始めると、
前の方のプルトから順に、後ろのプルトへと、おそろしい勢いで、
書き込みが伝わります。これは、なかなかの見物です。
 
そう、“書き込み”は、スピードも重要。練習はすぐ再開されますし、
演奏中に書き込まなければならないときもあります。もたもたしていたら…。
(書き込み初心者の頃、よく「表」の先輩に鉛筆もぎ取られてたなぁ)
 
なので、瞬時に書き込めるよう記号化されているものも。例えば、
誰か(指揮者とか)を「見る」ときには、『眼鏡』や『目』マーク。
テンポを上げるときには『→』、ブレーキを掛けるときには『←』。
 
間違っても、「指揮者を見る」「ゆっくりする」なんて書きません。
(消している暇がないので、『消しゴム』も現場ではまず使いません)
 
 
レッスンで、惜しみなく与えられる、貴重なアドバイスの数々。
覚えておかなきゃと思うのに、全部はとても覚え切れなくて。
ああ、忘れそう。メモしておきたい。でも。
「ここはこう弾くの」「はい」「じゃあ、弾いてみて」
「そう、そんな感じ。それで練習してきて。じゃあ、次」「はい」
いつ、書き込めばいいのっ!
 
必死に、注意事項を頭に入れようとするのだけれど、
あっという間にキャパオーバー、師の言葉がポロポロ零れ落ちて。
見かねた師が、「書いてもいいわよ」と時間を下さることも。でも、
これがまた、何をどう書き込めばよいのか分からない、情けない自分。
 
受け取るべきアドバイスを、受け取り切れていない弟子、
ある日、レッスンを「録音してもよい」と許可が出て。
ホッとしながら、録音し、持ち帰り、じっくり聞いてみれば、
唖然。思っていた以上に、聞きこぼしが多いのです。
 
例えば、「これがこうだから、こう弾く」と指導される。
「これがこうだから」の部分が、本当は一番大切なのに、
耳や身体が覚えているのは、「こう弾く」だけだったり。
 
例えば、一ヶ所で、いくつも問題点を挙げられる。
取りあえず、自分の判断で優先順位を付けてインプット。
気付くと、下位の内容が忘却の彼方にいってしまっていたり。
 
書き留めておかねばと、記録作業を始めれば、
楽譜がみるみる真っ黒になってしまって。なんてことだ!
「書き込みは最小限」―これが鉄則なのに。
 
慌てて、同じ楽譜をもう一冊買ってきました。それ以来、
勉強用の『書き込み専用楽譜』、弾くとき用の『演奏番用楽譜』、
2冊用意することにして。で、レッスンの時は、すまして白い楽譜を。
まあ、師に見栄張ったって、「バレバレ」だったでしょうけれど。
 
 
何にしろ、ごちゃごちゃと書き込まれた楽譜は、
客観的に見れば、散らかし放題の雑然とした部屋のようでもあり。
 
そう言えば、中学時代、教科書にいろいろ書き込んだり、
ラインを引いたりするのはよくないと言う先生がいらしたなぁ。
 
いろいろ書き込んだ本を読もうとすると、
なんだか、内容がスッキリ入ってこない、そんな感覚にも似て。
 
いざ弾くときには、まっさらな楽譜の方が気持ちがよい?
 
実際、フィンガリングを一音一音振ってしまうと、かえって、
大事なポジションチェンジの場所が、分からなくなることがあります。
同様に、ボウイングも書き過ぎると、重要な部分や、
変則的で間違えやすい部分に、注意がいかないこともあります。
 
楽譜に書き込んであるもの、すべてを消して、
どれ位、弾けるでしょう? ちゃんと身体に入っているでしょうか?
“目”で弾いていないでしょうか? 
“書き込み”に依存していないでしょうか? 
 
ボウイングやフィンガリングは、言ってみれば音楽そのもの。
でも、それは、決して、
「その通り、弾かなければならない」という『縛り』ではなく。
それを見れば「何を求めているかが分かる」、そういうもの。
 
曲に慣れて、音楽がしっかり身体に入ってくると、
ボウイングやフィンガリングのミスが増えることがあります。
それは、そのときの感覚や感情、演奏の流れで、
身体がそうありたい、その方が弾きやすいと判断するから。
だから、それは「ミス」ではないのです。
 
そのレベルに至っては、楽譜上の、
ボウイングやフィンガリングを変えることの方を、一度検討すべき。
例え、それが、尊敬する先人のものであっても。
 
五線を駆け抜ける速度を考えると、
書き込みを一々見て、読んで弾いているとは考えられません。
楽譜に執着しているのは、身体ではなく目? 頭? 心?
 
 
ここに、徹底的に一言一句書き起こした、
レッスンの記録があります。何十年も前のものですが。
滅多に見て頂くことがない方のレッスンだったので、
記念の意味も込めて、そうしたのだと思います。
 
この記事のために引っ張り出してきたのですが、
読み直してみれば、今に至っても、刺激の宝庫。
これまでのレッスンすべて、こうしておけばよかったかなぁ。
 
ボウイングやフィンガリングはもちろん、
もっと手前の、指導法、そのシステム、それに伴う練習法、
これらもすべて、師から弟子へ綿々と受け継がれていくもの。
個の財産であり、ヴァイオリン界の、音楽界の財産であり、世の財産。
 
簡単に『保存』でき、『記録』できる技術を得た今、でも、
そういったものを、ちゃんと残せているかと問われると、
とても、YESとは言えない気がして。
 
とはいえ、残すことを望まない人も。
発表してくれるなと本人が言っていたのにもかかわらず、
没後、作品や遺品が公にされてしまうということもあります。
でも、おかげで、素晴らしい作品に出会えている…。
 
亡き人への「裏切り」への賛否両論を受け止めつつ、
それでも、ヴァイオリン界として残すべきものは残す、
そんな努力も、もっともっと必要なのかもしれない。
いや、それとも…。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第78回 鉛筆はHi-uni2B、消しゴムはAIR-IN。

© 2014 by アッコルド出版