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国際的なキャリアを積む
日本人演奏家が
珍しくなくなった今、
海外オーケストラにおいても、
重要なポジションに就く日本人の方は
確実に増えているようだ。
 
パリの主流オーケストラでは、現在三人の日本人の方が
「副コンサートマスター」として活躍中である。
 
オーケストラという集団の中で、
「副コンマス」の役目は実に多角的である。
演奏家としての卓越した才能もさることながら、
指揮者やコンサートマスターのサポート力、
団員との円滑なコミュニケーション力、
それに加えて「縁の下の力持ち」的な懐の深さ、
ブレのない人間性も大きく問われるのではないか。
 
このように海外の一流オーケストラが
日本人に重要なポジションを託し、
緻密さや几帳面さ、
また「察しの心」といった日本人独特の長所を
頼りにしていることは、
音楽界のポジティブなグローバリゼーション
といえるのかもしれない。
 
所属オーケストラから絶大な信頼を寄せられている
三人の日本人副コンマスより、
それぞれの音楽観を伺った。 
(三連載)
船越
田中さんは、
ボルドー国際弦楽四重奏コンクール等、
多くの著名コンクールを制覇した
プソフォス弦楽四重奏団の
第一ヴァイオリンとして活躍なさり、
退団後2009年の9月から
現在のポジションに就かれていらっしゃいますね。
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団に
お入りになったきっかけは?
 
田中
実はフランスのオーケストラに
入ろうと思っていたわけではないのです。
プソフォス弦楽四重奏団を退団してから、
もちろん自分の演奏活動は続けていましたが、
何か目的を見失ったような気がして、
調子が悪かった時期がしばらくあったのですね。
長年カルテットで共演してきて、
メンバーとは家族同様でしたから。
 
この時期、三年間のうちに、
副コンマスとして三回、
コンマスとして一回、
エキストラでフランス放送フィルの演奏会に
参加していました。
その時、スノッブでないオケの雰囲気に惹かれ、
入るのならここのオケだと感じたのです。
また、コンサートマスターから
『あなたは副コンマスに適任だ』
と強く勧められたこともあり、
採用試験を受けることにしました。
  
船越
田中さんから見た
フランス国立放送フィルの特長とは何でしょうか?
 
田中
私たちのオケでは、
一週間の間に違ったプログラムのコンサートを
同時に行なうことが頻繁にありますので、
ふたつに分かれられるように
団員の人数が多いんです。
 
また、一回のコンサートの中で、
古典派の交響曲の傍ら、
現代音楽の特殊な楽器を使った曲も演奏できる
といった風に、レパートリーも豊富なオケといえます。
 
ジェネレーションも若いですし、
個人間の競争よりも、
いい演奏会を創りあげたい、
オケをよくしたいという協力的な姿勢の方が強いですね。
私たちのオケは今、非常に波に乗っていると感じます。
 
船越
現音楽監督のチョン・ミュンフン氏はどんな方ですか?
 
田中
音色に対する要求にとても厳しいです。
彼の指揮は、オケのカラーというより、
レパートリーのカラーを最大限に引き出す
という感じでしょうか。
リハーサルでもよく音色の話になります。
 
彼はピアニストでもありますから、
ハーモニー感覚に鋭く、
ユニバーサルな音色の聴き方をしています。
ですから、
オケの中でどの楽器をどのように鳴らせばいいか、
どのように響きを泳がせればよいか、
といったことをすぐ的確に把握できるのだと思います。
 
彼とは、音楽が『時間』だけでなく
『空間』の芸術でもあることを実感します。
チョン氏の振るフランスものなど、
本当に素晴らしいですよ。本
当に団員皆から愛されている指揮者です。
 
船越
昨年2013年のアジアツアー中、
ソウルではチョン氏がオーケストラ全員を
自宅に招待なさったと聞きました。
 
田中
アジアツアーでは、中国と韓国、日本で演奏しました。
そして、ソウルではチョン氏が、オケのメンバー全員、
100人以上を自宅の夕食会に招待してくれたのです。
大座敷で、韓国の伝統料理が振舞われました。
 
練習の時は、
オケ相手だと皆と親しくできるわけではないので、
こういう時のチョン氏は、
全てのテーブルをまわって全員と会話をし、
懇親を深めようとします。
本当に懐の大きい人ですよね。
 
船越
最近はどこのオケでも
さまざまな社会貢献に尽力していますが、
フランス国立放送フィルでは
どのような活動を行なっていますか?
 
田中
子供たちを対象としたコンサートは
一ヶ月に一、二回、週末に行なわれています。 
 
私たちのオケでは
指導にも力を入れている人が多いので、
生徒を連れてきて
サル・プレイエルなど
パリの一流ホールの舞台にのせて、
一緒に演奏することもあります。
 
例えば、前回のプログラムは
ラヴェルの『ボレロ』だったのですが、
そういう時は、チョン氏の指揮の元で、
初心者の子供たちも大舞台に立って、
メロディーだけなぞって一緒に弾いたりするんですよ。
オケのメンバーも、
皆そういうことを心から楽しんでやっています。
 
また、自閉症の子供さんや、
重い病気で長く入院している子供さんのために、
年に五回ほど、オケのメンバーによる室内楽で、
病院を巡っての演奏会も行なわれています。 
 
船越
そういう時の子供たちの反応は?
音楽を通して彼らにもたらされるものは
何だとお思いになりますか?
「いい音楽で誰でも癒される」
というほど単純なものではないような気がするのですが?
 
田中
子供たちの反応はさまざまです。
熱心に聴いてくれることもあれば、
演奏中に叫んだりする子供もいます。
 
癒しには……
80パーセントくらいはなっていると思いますが、
それも人それぞれであり、
一概にいえることではないと思います。
『癒し』という言葉が
ふさわしいかどうかもわかりません。
 
このような活動は一回で済むものでなく、
また毎回期待通りの反応が返ってくるとは限りません。
しかし、もしも子供たちが
音楽に興味を示さなかったとしても、
情報としてこのような世界が存在する、
このような職業もある、
ということを知ってもらうだけでも
大きな一歩であると私は思います。
一旦入った情報が
その子供の内面でどのように発展していくかは、
個々のパーソナリティによると思いますから。
 
音楽に偉大な力があることは実感しています。
私自身苦しい時、音楽に助けられましたから。
這い登るのに二年半かかりましたが……。
 
きっかけは、
チェリストのスティーブン・イッサーリスに
出会ったことでした。
彼の音楽は私にとってまさに生命の泉でした。
彼のお陰で再び音楽を愛する心を
取り戻すことができたのです。
オケの採用試験を受けたのはそのころでした。
 
船越
特に心に残ったコンサートはありますか?
 
田中
2012年3月のことですが、
チョン氏の企画で、
北朝鮮のウンハス・オーケストラと
フランス国立放送フィルの共演が、
パリのサル・プレイエルで実現したのです。
曲はブラームスの交響曲第1番でした。
 
チョン氏のお母様は
北朝鮮のピョンヤン出身なんです。
チョン氏の念願は、
韓国と北朝鮮のオーケストラを
共演させることだったのですが、
政治的にどうしても不可能で、
結果としてウンハス・オーケストラをパリへ招聘して、
フランス国立放送フィルと
合同演奏会を行なうことになりました。
 
各プルトをフランスと北朝鮮のオケで
分け合う形で行なわれました。
北朝鮮のオケのコンマスは、
モスクワに留学したことのある男性でした。
その時のフランス側のコンマスが
スヴェトリン・ルセフだったのですが、
彼はロシア語ができるので、
コンマス同士は
何とかコミュニケーションがとれたのです。
しかし、あとは北朝鮮のオケには
英語ができる人もそれほどいなかったですね。
 
サル・プレイエルに
入りきらないほどの聴衆が詰め掛けて……
本当に心に刻み付けられる経験でした。
 
チョン氏はユネスコの大使として
多くの人道的活動にも力を注いでいます。
彼が悲願としている南北の交流が、
このようにパリで
一夜でも音楽を通して実現したということは、
言葉では言い表せないほどの感動と衝撃でした。  
 
船越
フランスのオーケストラは
縦の線がぴったりと揃っていない
などと言われたりしますが、
田中さんはどう思われますか?
 
田中
確かに我がオケも一回目のリハーサルでは
揃ってないですね(笑)。
でもフランスのオケはきちんと導けば揃うんです。
野放しにすると大変ですが(笑)。
ですから、揃うかどうかは
指揮者にかかっている部分が大きいですね。
そして、指揮者に的確なアドヴァイスを出し、
指揮者とオケの間の橋渡しをし、
まとめるのがコンサートマスターです。
 
船越
田中さんは、副コンサートマスターという役目を
どのように捉えていらっしゃいますか?
パリ管弦楽団の千々岩英一さんは、
「細やかな気配りのできる日本人にとって天職」
とおっしゃっていましたが。
 
田中
千々岩さんは『餅つきの餅を返す役』
という言い方をなさったこともあり、
その表現に共感を覚えました。
絶妙なサポートで
周りが仕事をしやすいようにする役割ということですね。
 
また副コンマスはコンマスのダブルキャストでもあります。
視覚的な問題で、オケの中には
コンマスがよく見えない場所で弾いている人が
必ずいるのですね。
そういう人のために、
コンマスと同じ合図を出せるように、
リード役をも務めなければなりません。
私にとっての指揮者は、隣のコンマスでもあるわけです。 
 
船越
田中さんは、
パリ国立高等音楽院で
スヴェトリン・ルセフのクラスの准教授、
そしてリル地方音楽院では
ヴァイオリンだけでなく室内楽のレッスンもされ、
後進の指導にも力を注いでいらっしゃいますね。
 
田中
パリ国立高等音楽院で教え始めて、
今年で二年目になります。
 
ヴァイオリニストは、まず楽器をコントロールし、
完璧に弾きこなせなければなりません。
私自身、学生時代素晴らしい先生に恵まれてきました。
その時学んだこと、
そしてソリスト、室内楽、オーケストラで
積んできた経験を、
生徒さんたちのために役立てたいと思っています。
 
ヴァイオリンはレパートリーも広く、
とても可能性の豊かな楽器です。
パリ音楽院は大変レヴェルの高い学校ですから、
彼らが何をしたいのか、
例えばコンクールを受けたいのか、
室内楽をしたいのか、
オケに入りたいのか、
といった生徒さんの希望、
また音楽家としてどのような将来を思い描いているのか、
ということをまず配慮するようにしています。
 
一方、社会の仕組みが
そのようにならざるを得ない状況ですが、
でも音楽を前にして
『オケ専門』とか『室内楽専門』とか、
『~~屋さん』のような観念はないはずでしょう?
『オケ用にはこういう弾き方』
というようなものは存在しないはずです。
それは個人のパーソナリティが
どの分野に一層惹きつけられるかということであって、
決して境界線ではありません。
 
私の教育に対する信条は、
どの分野の演奏活動においても、
結局道はひとつ、
『音楽』だということです。
   
船越
田中さんは人生の格言のようなものはお持ちですか?
 
田中
私は美輪明宏のファンなのですが、
人生は正に彼の言う『正負の法則』だと思うのです。
いいことがあれば悪いこともあるし、
人生ってバランスが取れるように回っているんですよ(笑)。
 
音楽もそうですが人生も同じ、
深刻な中にも軽さがあっていいのではないでしょうか。
大変なことがあったとしても
そこへどっぷりひたらずに……
そんなものは人生のごく一部に過ぎないですから。
 
本当に今、音楽も人生も全てを楽しんでいます。
オケでは、
チョン氏に『ベストエンジェル』
と呼ばれているんですよ(笑)。
時には『ブラックエンジェル』
とも言われますけれど……(笑)。
 

田中 綾子 ヴァイオリン

1975年大阪府岸和田市生まれ。

相愛子供音楽教室、兵庫県立西宮高等学校音楽科、シオン高等音楽院 ティボール ヴァルガ アカデミー(スイス)を経て、リヨン国立高等音楽院(フランス)で満場一致の最優秀賞と審査員特別賞を得、卒業。

 

日本国内で、全日本学生音楽コンクール高校部門大阪大会第一位をはじめ、和歌山音楽コンクール、全日本ソリストコンテストで入賞。

 

海外ではロヴェレドーロ国際音楽コンクールヴァイオリン部門で満場一致で優勝、ボルドー国際四重奏コンクール(プソフォスカルテット第一ヴァイオリン)で第一位と5つの特別賞受賞など、その他多くの国際コンクールで入賞し、ソリスト、室内楽奏者としてヨーロッパを中心に著名な演奏家たちと国際的舞台で共演を重ねている。

 

これまでに、根来寛子、東儀幸、景山誠治、原田幸一郎、Tibor VARGA、 Peter CSABA、 Pavel VERNIKOV 各氏に指事。近年は、チェリスト、Steven ISSERLIS氏の助言を多く受けている。

 

2009年、フランス放送フィルハーモニ管弦楽団(Orchestre philharmonique de Radio France)の副コンサートマスターに就任、現在に至る。

 

2012年からは、パリ国立コンセルヴァトワールの准教授、リール市立音楽院高等科の教授として教鞭をとっている。

 

使用楽器はイギリスのプライベートメセナから授与された1628年製のニコロ アマティ。

船越清佳 Sayaka   Funakoshi                

ピアニスト。岡山市生まれ。京都市立堀川高校音楽科(現 京都堀川音楽高校)卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。在学中より演奏活動を始め、ヨーロッパ、日本を中心としたソロ・リサイタル、オーケストラとの共演の他、室内楽、器楽声楽伴奏、CD録音、また楽譜改訂、音楽誌への執筆においても幅広く活動。フランスではパリ地方の市立音楽院にて後進の指導にも力を注いでおり、多くのコンクール受賞者を出している。


日本ではCDがオクタヴィアレコード(エクストン)より3枚リリースされている。


フランスと日本、それぞれの長所を融合する指導法を紹介した著書「ピアノ嫌いにさせないレッスン」(ヤマハミュージックメディア)も好評発売中。

第2回

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団

 (Orchestre Philharmonique de Radio France)  

副コンサートマスター

田中綾子さん

インタヴュアー:船越清佳

(ふなこし さやか・ピアニスト・パリ在住)

病院でのオケのメンバーによる室内楽コンサート

チョン氏邸での晩餐会

フランス放送フィル

ロストロポーヴィチ音楽祭の

モスクワ・チャイコフスキーホールでのコンサートの様子

〈3回シリーズ〉

パリで活躍する日本の「副コンマス」たち

INDEX

© 2014 by アッコルド出版

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