今日のグルーヴ〈481〉
三島由紀夫は、音楽が「触れてくる芸術」として苦手だったらしいが、それは、音楽に、言い換えればグルーヴにやられてしまうからなのではないか。
しかし、自ら発信する文体は、グルーヴ感満載である。例えば、随筆「不道徳教育講座」は、グルーヴそのものである。
「不道徳教育講座」というのは、逆説的なタイトルであって、不道徳を推奨することによって、結局は道徳を説いているのである。
この随筆の持つ説得力は、まさにグルーヴによるところが大きい。グルーヴ感のある演奏に共感を覚えるのと一緒である。
たとえ、書いてある内容が仮に間違ったことであったとしても、その間違いは許せてしまうし、同じ意見だったとすれば、さらに共鳴してしまうだろう。オルグそのものである。
グルーヴはオルグするには最高の武器なのである。
人間は、人から説得はされない。特に男は、教えられてたまるか、といった損な性格を持っている。しかし、オルグはされてしまうのである。そのオルグの理由はグルーヴなのである。
さらに日本人は、情緒に弱いところがある。宗教には無頓着で寛容なところがあり、神道、仏教、キリスト教を違和感なく生活に取り入れているが、それは情緒故である。情緒にもオルグされてしまうのである。
つまり、情緒はグルーヴそのものなのである。
人間は、理屈では説得されない。しかし、情緒には、つまりグルーヴには説得されるのである。