今日のグルーヴ〈472〉
一度に何度も聴く楽曲シリーズ。番外編
ベートーヴェンは、一度に何度も聴くことができない。一度で十分である。
何故かシンフォニーもピアノ・ソナタも弦楽四重奏曲も一度で、しかも一曲で腹一杯になる。にもかかわらず、弦楽四重奏全曲演奏とか、シンフォニーを一日で一挙に演奏などというのは、耐久レースに近い。
昔、作曲家でヴァイオリニストの玉木宏樹先生はベートーヴェン嫌いで有名だった。ベートーヴェンのメロディが幼稚であるとして毛嫌いされていた。
ベートーヴェンばかり弾かされるオーケストラに嫌気がさして、クラシック界からドロップアウトされたくらいである。
尤も、ベートーヴェンの展開の才能に関しては賞賛されていた。
ベートーヴェンの執念深い推敲の痕跡は、自筆譜で残されているが、玉木先生は、曲によっては推敲する前の方がいい、という意見も持たれていた。
ベートーヴェンの作品は、できるならば何の楽器でもいいが演奏してみて味わいたい。そこではじめて良さが分かる、という気がしてならない。
きっちりかっちり演奏することの快感がそこにはある。ずれはあまり許されない。では、グルーヴはあるのか。勿論、グルーヴのない音楽は音楽とは言えないと思っているし、ベートーヴェンの楽譜そのものにグルーヴ感がある。きっちりかっちりと、グルーヴが同居しているような不思議な音楽である。
玉木先生は、厳しく厳格な方でありつつ、伝統を打ち破る方で、彼の演奏そのものもグルーヴで満ちていた。
私はなんとなく、ベートーヴェンと玉木先生とは、闘争本能という点で、性格が似ているのではないかと漠然と思っていた。
決して、感覚任せにするのはなく、理論に則っていた。いつも演奏には、頭を使え、と口を酸っぱくしながらも語っておられたが、結局は、頭と体とを統一して演奏することを言われていたのに違いない。
つまり、グルーヴは感性というよりは、思想に近いのではないだろうか。