今日のグルーヴ〈471〉
一度に何度も聴く楽曲シリーズ2。
ラヴェルの左手の為のピアノ協奏曲。この曲の冒頭は、私がかつて聴いてきた楽曲の中で、最も雄大壮大である、と思う。
冒頭、コントラバソンの幽玄微妙な音程が分からないくらいの超低音から始まり、だんだんと盛り上がって、オケの壮大な演奏にピアノのカデンツァが衝撃的に割り込む。
いったい、これからどんな雄大な世界が待っているのだろうと、こちらとしてはわくわくしながら聴く。
オケのトゥッティの頂上では、トランペットが朗々と歌うのであるが、これが美味しい。
しかし、いかんせん、ここまでである。あまりにも頭でっかちである。この楽曲は3部に分けられるらしいが、第1部を私は繰り返し聴くのみである。
2部3部も勿論素晴らしく、好きではあるが、1部の壮大な世界に対して、2部3部はあまりにもしり切れトンボに私には聞こえるのである。少なくとも、時間的にもあと倍くらいは欲しい。
想像するに、右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインから作曲の要請を受けたとき、ラヴェルは、とてつもなくやる気になったのであろう。
そして、冒頭の部分は一気に書きまくったのではないか。しかしえてして意気込みは空回りしやすい。
1部を作曲したあと、どのように展開してどのように結末を迎えたら良いのか、見えなくなったのではないかと想像する。あまりにも唐突にこの曲は終わる。
パウルの弟、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、哲学に言語ゲームという概念を持ち込んで、哲学の問題というのは、解くのではなく、解消するものであるという、衝撃的な哲学の世界を築いた人である。
右手を失ってもめげないパウルも、哲学に新たな展開を持ち込んだルートヴィヒも、衝撃的である。