今日のグルーヴ〈466〉
根源的な話であるが、人は何故、演奏を自分以外の人に聴いてもらおうとするのだろうか。
多くは、習い事として子供の頃に音楽を始め、楽器を始めたりするわけであるから、自我に目覚めていたわけでないだろう。ゆえに最初から人に聴いてもらいたいという欲求があったとしても希薄である。
気がついたら楽器をやっていた、というように幼少から楽器を始めた人にとってはなおさらで、演奏すること自体が生活の一部で、最初のうちは理念でも信念でもない。
この場合、自分の演奏をどうしても聴いてもらいたいという欲求は、後に芽生えるかもしれないが、多くは演奏=仕事である。
あるいは、感動を受けた演奏や演奏家に憧れて、自分も、ということになる場合がある。何故か聴衆のままであり続けない。
しかし、前者も後者も、おそらくある時期に、音楽的な自我に目覚め、そこで演奏を続けるか、やめるかの選択をすることになる。
この自我も、一気に高見に上り詰めることもあれば、徐々に上っていく場合もある。
共通しているのは、自我に目覚めれば、自分の演奏を人に聴いてもらおうとする欲求が強くなるところである。さて、そもそも何故そのような心境になるのであろうか。音楽的な自我に目覚めても、自分一人で楽しめばよいのではないか。
自己表現。あるいは自己実現。おそらくこれに尽きるのではないか。人は誰でもじっとしていることができず、自分を表現するか、自分の考えていることを発表したがる。
自己表現と自己実現とは違うものである、と言ってみたい。(続く)