今日のグルーヴ〈464〉

クラシックファンのヒエラルキーはますます歪になる一方である。子供の頃からの足が地に着いたファンは減る一方であるし、教養主義的な高齢の聴衆はファンとは言えない。


まず、子供の頃からクラシック・ファンが育たないのは何故か。現代の親自体がクラシック・ファンでなくロックやポップスファンであったりするから、そもそもクラシックを聴く環境がない。


では、我々が子供の頃、クラシックを聴く環境があったかというと、私の親を思い出しても特段のクラシックファンとは思えない。私の場合、学校音楽の影響が大きかった。


常日頃、学校音楽に対して批判的なことを書いているが、実は学校の音楽、中でも音楽鑑賞は、クラシックを紹介してくれていたのである。勿論、いま思えば決して満足いくような紹介の仕方ではなかったが、それでも入り口の一つではあった。


故に、音楽の授業は、音楽鑑賞だけにしてほしいと思ったくらいであった。学校では、放送部にたくさんのレコードがあった。これも大きかった。


結局、環境次第である。私は、音楽家へ進むだけの環境はなかったかもしれないが、クラシックファンになる環境はあったのである。


しかし、若い頃からクラシックにこだわる人間は、どこか扱いにくいところがある。音楽の専門の道へ進む人もそうだが、音楽に傾倒する人のほとんどは、一筋縄ではいかないような気質を持っている。自戒を込めて言うが、アマチュア音楽家ほど扱いにくいものはない。


ある意味、クラシック音楽に傾倒している人のほとんどは、孤高なのである。高校時代からの親友曰く、クラシック音楽に傾倒している人は、一般の人よりもかなり変わっているし、特に女性は、一般の女性から見れば、ほとんど変わった人なのである。ゆえに、クラシック音楽の好きな女性と付き合うときは気をつけろ、と言われたものだが、その言葉の意味を今頃理解しても遅い。


話は思わぬ方向に展開してしまったが、結局、言いたかったことは、クラシックファンを増やすには、虚栄心をくすぐりつつ、孤高で変わった人を増やすに限る、ということである。

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