今日のグルーヴ〈461〉

グルーヴ感というのは、元々誰にも身に備わっているものであるに違いない。ただ、人によってその表現が、スムーズに出る人もいれば、出ない人もいる、ということだけであるように思う。


本来、誰もが持っているものであるにも関わらず、それが出ないというのは、実に勿体ない。では、本来のグルーヴ感を出すには、どのようにすれば良いかという事なのであるが、これには様々な方法があるように思う。


このコラムでは、終始一貫して、そのことを書き続けてきたわけであるし、それは私自身の問題意識でもあるが、本来持っているものを何が堰き止めているか、その原因を突き止めるのも重要である。


例えば、表現すること自体に衒いを感じるために自ら堰き止めてしまう、ということがある。しかし、だとしたら、そもそも音楽をすること自体やめた方がいい。何かを表現すること自体やめた方が良い。


先日、娘のダンスを見て、非常に刺激を受けた。そもそも、ダンスすること自体、グルーヴそのもので、舞踊による体感というのは、音楽のグルーヴ感に即結合するものである。


ゆえに舞踊はグルーヴ感を身につける最高の手段である。しかし生まれ持った環境というのは、時に非情である。私はダンスはフォークダンスか、阿波踊りしかやったことがなく、社交ダンスも、ただ左に回っていればいい、と言われるままにしていたくらいである。


ゆえに娘のダンスを見て、我が子ながら、私にないグルーヴ感と表現意欲を持っていることに嬉しく思宇反面、私自身に関してはダンスでグルーヴ感を身につけることはあり得ないと再確認した次第である。


しかし、歩くことはグルーヴの最も基本的な基本である。ゆえに、私は歩くことは続けようと思っている。


また楽器を巧く鳴らすことができた時、あるいは美しい声には、その音色自体にグルーヴがある、と実感する。ゆえにひたすら自分の演奏からグルーヴを感じるのである。


そもそも良い演奏をするためにグルーヴが必要なのであるが、実は、演奏から自分が気がつかなかったグルーヴを学ぶ、というベクトルもあってよいのではないか。

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