今日のグルーヴ〈459〉
成人式に晴れ着が届かなかった事件は、将来成人式を迎える娘のことを思うと、人ごとではなく心が痛む。歳をとってからの子供なのでなおさらである。
しかし成人式に限らず、あらゆるイヴェントに対する価値観は、人それぞれである。男であるから自分のことは比較にならないが、私は成人式には出なかった。というより、前の晩に飲み過ぎて潰れたのである。
親からはネクタイをプレゼントされていたが、最初から出るつもりはなかった。潰れたのは確信犯である。大学生に見えるまで浪人しようかと思ったくらい元々童顔だったから出たくはなかったこともあるが、そもそもあくまでも私にとってであるが、成人式というものに価値観を見出してなかった。疑問にすら思っていた。
法的なことも含めて、一応の区切りではあると思うが、それだけのことである。人間的に何か成長したという実感もなく、成人というのは何か違和感を感じていた。
成人というのは、できあがった人間というイメージがあったが、そもそも、成人しようが、不惑を迎えようが、定年を迎えようが、聖人君子にはならない、ということを知れば、成人式というのは、やはり法的な一応の区切りでしかない。
今、政府では成人18歳案を検討しているらしいが、学校の制度のことを考えると、むしろ18歳の方がふさわしいように思える。
ところで昨今、成人式で暴れる若者が後を絶たない。その心理はよく分からないが、暴れる若者が成人と言えるのだろうか。