今日のグルーヴ〈446〉
久しぶりの氷点下というのは、やはり寒い。しかし、子供の頃、冬はそういうものだったし、霜が降りることが普通だった。また、サッシでない時代、隙間風は普通で、朝起きたら、枕元の雪にも驚かなかった。
今は、給湯器は当たり前だが、昔、すぐお湯が出るようなことはなく、真冬でも冷たい水で、食器を洗ったものだ。湯沸かし器で、お湯が出る生活が始まった時、あまりの暖かさに感動したものだ。
現代文明は有り難い。しかし、人間はだんだんとそういう有り難さに麻痺し、当たり前だと思うようになる。しかし、ひとたび給湯器が故障したり壊れたならば、その有り難さが文字通り身に凍みるのである。
自家用車が今ほど普及していなかった時代、車に乗ることは特別な事だった。しかし、今ではこれも当たり前である。しかし、バッテリーがあがった瞬間、魔法の箱は、鉄の塊に豹変する。
電気冷蔵庫が一般的でなかった時代、氷の塊で冷やす冷蔵庫だった。だいたい、一日で、氷は溶ける。
電気洗濯機が一般的でなかった時代、主婦は洗濯板で選択したものだ。その昔、専業主婦の時代、主婦は、朝から晩まで食事の用意、選択、掃除、買い物、縫い物で一日を費やしたものだ。
幼少の頃、家風呂がある家は少なく、銭湯通いが常であった。銭湯での風呂上がりの牛乳は最高に美味しかった。テレビでは若乃花と栃錦の対戦が流れていた。
どんどん思い出す。
テレビは幼少の頃、白黒テレビで、しょっちゅう故障していた。不具合が起きるのは、テレビ局も一緒で、時々、映らなくなり、テストパターンの映像がしばらく続いたり、海外の映画やドラマの吹き替えが映像とずれたりすることなども頻繁にあった。
テレビ局が一生懸命、映像と吹き替え音声を合わせようとしているのは、見ていても分かるのである。「あと、もうちょっと。がんばれ、あ、戻しすぎて、今度は声の方が先になった」などと、やきもきしながら応援していたものだ。
結局、楽しみにしていた外国ドラマの映像と吹き替えのズレが最後まで治らず、一時間を無駄にしたこともあった。
停電も頻繁にあった。ロウソクは各家庭必携のものだった。
幼少の頃、醤油は今ほど、美味しくなく、たいてい味の素をかけていたものだ。味の素は必須のもので、各家庭に必ずあって、何にでもかけていた。いま、味の素が食卓にある家はどのくらいあるのだろうか。
トイレが水洗になったのも、そんな昔のことではない。都市部は戦前から、あるいは戦後まもなく普及していたかもしれないが、郊外は、私にとっては最近の事である。
暖房に関しては、練炭火鉢である。毎夕、七輪で練炭をおこしていたものだ。
家庭にエアコンなどもなく、扇風機である。どうしようもなく暑い時は、濡れタオルを肩にかけていた人もいた。
そのような時代、ステレオを持つのはステイタスだった。そして、レコードを集めるのである。このレコードは、何月何日、初任給で買った、などと克明に覚えているのである。レコードがCDになり、配信になることなど、夢にも思わなかった。
外食産業などなかった。家族で外に食事に行くことは一大イベントであった。デパートの食堂に行くことが楽しみだった。
スーパーなどなく、毎日の食卓の買い物は、市場(いちば)しかなかった。
コンビニなど、夢のまた夢。
ATMもなく、銀行に行くのであるが、時間的に結構大変なことだった。
こういう話を書いていると、現代っ子と言われた我々の世代も、いったい何時代の人間だったのか、と我ながら疑問に思う。