top of page

今日のグルーヴ〈442〉

世の達人とは、いったい何が違うのかを、実はじっくり検証してみたことがなかった。ひと言、才能の違い、と片付けてきたが、しかし、そもそも才能という言葉の概念、意味、内容を把握していない。


例えば、楽器に関して言えば、同じ人間で何故達人とそうでない人とに分かれるのだろうか。考えてみれば、かつて二千人の達人に話を聞いたのである。少しずつ思い出してみたい。


持って生まれた体型や勘の良さみたいなものはあるかもしれない。あと、環境の違いがあるかもしれない。


しかし、世の達人を見るに、持って生まれたものに恵まれていなさそうな人もいれば、また環境が良くなかったと思われるような人もいる。


故に、これらはあまり関係ない話であるように思える。


先生との出会い。これはかなりの部分影響するかもしれない。そもそも相性というものがある。先生に恵まれなかった人は気の毒である。ほとんど運の世界である。


しかし、これもすべてではないように思える。


達人は、どんな環境であろうと、情熱を失わない。例えば、謂われのない政治犯として理不尽にも長期間拘束された人でも、達人は達人である。


達人は、また独自の工夫をしている。それはメソードでは表現できないものである。メソードは、最大公約数である。すべての事が表現されるはずもない。おそらく、その工夫は人それぞれなのであろう。


我々は、このあたりに意外にもルーズなのかもしれない。インターネットを見れば、様々な工夫が公開されているが、かつては、このような情報を得ることすら困難であった。


ある程度、模範解答は世に出ている。あとは、それを自分なりに工夫して取り入れるかどうかである。案外、このあたりに関しては臆病であったりする。


しかし悪い癖をつけるために何年も費やしたとしたら、ほんの数分くらい試してみても時間の無駄にはならないだろう。と思って自分なりに工夫しているところである。


おすすめの投稿

最近の投稿

アーカイブ
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
タグ検索

© 2014 by アッコルド出版

bottom of page