今日のグルーヴ〈436〉

今、コンピュータに出会う若い人達が羨ましい。もっと若い時に、現在のような環境に出会いたかったと思えてならない。


コンピュータとの出会い方は、世代によってことなる。私がコンピュータを使うようになった30代の頃、つまり1990年前後くらいから、コンピュータはそれ以前と比べて使い勝手が良くなり、一般的に普及し出した。


それ以前、といっても漠然とするが、かつて情報を入力するのにパンチカードに手作業で打ち込むという時代があったが、その頃、コンピュータは別世界のもので、私とは関係のないものだと思っていた。


私がコンピュータと出会った頃は、コンピュータを使うために、様々な参考書を自学自習したものだ。無駄も多かった。本屋さんには、コンピュータのコーナーがかなり幅をきかせていた。現在もあるが、かつてほどではないように思える。実際、コンピュータの入門雑誌はかなり淘汰されている。それだけ、コンピュータがある意味、完成に近づいているということなのだろう。


コンピュータとの出会い方というのは、世代によって異なる。私は、比較的使い勝手が良くなった時代であるとは思うが、今コンピュータ等を使う若い人達は、もっと使い勝手よく、しかも教わらずとも、家電を使いこなすように、さくさくと端末を使いこなせる時代に出会っている。


非常に羨ましいと思う。


しかし、それでも気がついたらニュース等の情報はネットで、本はほとんど電子書籍で読んでいることに、我ながら嬉しかった。


Kindleストアでは漱石、芥川、太宰らの全集が(全集である!)200円である。著作権の切れたものならば、青空文庫を利用すれば、無料である。


紙媒体で読まないと頭に入らないという人もいるし、私もそう思っていたが、それは慣れの問題であるような気がする。むしろ今では電子書籍の方があっという間に読めてしまうようだ。


本は、束(つか)があるゆえに、自分が今どのくらいまで読み進めているのかが分かる。変な話だが、長編になると私は常にそれが気になる。おかしな話だが読み切ることが自分の至上命題となっているのである。これでは読書の意味が無い。


ところが、電子書籍は、常に現在読んでいるページしか目の前にない。この先どのくらい続くか分からないし(勿論、位置情報はあるが、束ほど目立たない)、気にすることもなくなるので、現在に集中することができるのである。結果的に、あっという間に読み切ることができるのである。


本やノート、書類といったものはあっという間に空間を駆逐する。机やテーブルを埋め尽くす。あらゆる情報というものは、無形のものであるが、無形のものを伝えるためには、有形のものを使わなければならなかったのである。


その点、コンピュータやタブレット、スマホといった端末は、それ自身の存在以上に空間をとらない。場所をとらない。かつて本を探すという無駄な時間があったが、それもほぼ無くなった。


あらゆる情報は、端末、そしてCloudにある。

昔、マルクスは、図書館を自分の書斎と思って利用したらしい。

勿論、誰も図書館にあるすべての本を読むことなどあり得ないが、豊穣な情報がそこにある、という満腹感、安心感は何物にも代え難い。


それと同じ類いの安心感が、私の膝の上の端末、そしてCloudへとつながる環境に存在しているのである。

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