今日のグルーヴ〈432〉

何をしてもグルーヴしない時がある。演奏だけでなく、生活全般にわたって、グルーヴしないのである。


例えば、朝起きて顔を洗ったり、トイレへ行ったりという習慣の順番を間違えると、そこからの流れが狂い出すことがある。


ゴミ出しの日を間違えたり、あるいは、冷蔵庫内で賞味期限、消費期限の切れた食材の存在に気づく。靴の紐が切れる。忘れ物をする。車を運転しても、渋滞に巻き込まれる。赤信号にばかり遭遇する。


また、仕事でも注意しているのに何かにつけて、ミスをしやすくなる。

こうなると、悪循環、負の連鎖、グルーヴのない状態、あるいは言わば負のグルーヴとなるのである。


グルーヴ感があるときは、まるで逆で、これが同じ人間の人生かと思うほど、快適なのだが、グルーヴ感を失うと、やはり、同じ人間の人生なのか、と思うほど、空回りしだす。


何故こうなるのか。これはどうやらお天道様からの警鐘らしいことに今頃になって気づいた。


やはり、どこかに気の緩み、油断、怠慢等の負の連鎖を無意識にも呼び起こしているのだろう。


しかし有り難いかな、その警鐘は我々に修正することができる余地があるときに、鳴らしてくれるように思える。ゆえにむしろその警鐘は喜ぶべきもの、感謝すべきものに違いない。


では、どうするのか。ここが重要である。我々日本人は、特に私は、そういうときに落ち込む事が多いが、ここが分かれ道である。こういうときにこそどういうわけか西洋人は、以前にも増して、積極的であったりする。だからオリンピックにも強い。


人間であるから、好不調はあるが、不調のときにこそ、以前にも増してグルーヴを意識的に図らないといけないのであろう。グルーヴとは積極性と言い換えることもできるかもしれない。


おそらく結論としては、ピュアになること、つまり無念無想という、いつもの概念に戻るのであるが、しかしここが難しいところである。意識的に、無念無想になるということであるが、文章からして矛盾をはらんでいる。


意識の無意識化?




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