今日のグルーヴ〈430〉

音楽の本質は、テクニックでもなければ音楽性でもない。


娘の小学校で、学年ごとに、合唱と合奏の発表会が行なわれたので聴きに行った。

想像以上に印象に残る素晴らしいコンサートだった。


子供達の歌声は、それだけで感動する。昔、小笠原諸島の父島、母島の小学校で、子供達の校歌を聴いたときに、不覚にも涙を流したことを思い出した。


音楽の感動というものは、いったい何によってもたらされるものなのかを、根本的に考え直させられたものである。


おそらくテクニックではないだろう。テクニックというのは、プロの演奏家には必要かもしれないが、子供達には必要ではなく、まるで関係のない話である。


子供達の歌にはテクニックを超越したピュアな魂がある。それは音楽性なのだろうか? 簡単に音楽性という便利な言葉をいつも使ってしまうが、では音楽性とは何か、ということを改めて問われたら、即座に答えることは困難である。


しかも、子供達の歌を音楽性などという言葉を使って説明しようとしたら、それは陳腐な行為とさえ思えてくる。


テクニックの美しさというものはあるだろうし、演奏家の意図する音楽性というものもあるだろう。しかし、再び言いたい。音楽は、テクニックでもなければ音楽性でもないと。


音楽の魅力は、心の素直な表現の中にある。子供達から改めて教えられた思いである。しかしながら大人に、そのような素直で純朴な表現ができるのだろうか。


大人の演奏の感動とは、子供達から受ける根本的な音楽の感動とは別のところにあるのかもしれない。つまり、それこそテクニックであったり、音楽性であったりするのではないか。ストレートではなくジャブなのである。


しかしながら、指揮をする先生方の棒は、ストレートでもなければジャブでもなかった。


指揮というのは、そんなに難しいのだろうか。いや、勿論世界的な指揮者や才能ある指揮者の指揮など、普通の人間が真似できるはずもない。そこを求めているわけではない。


では、少しばかり指揮の素養のある人に振って貰えれば良かったのだろうか。


そうではない。子供達があれだけ素直に素朴に歌ったり演奏したりしているのだから、ただただ先生方にも素朴に振って表現してほしいと思っただけである。






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