今日のグルーヴ〈426〉
ニュースを見ていると、様々な事件や交通事故等で、昨日まで元気だった人が命を落とすということが報道されているが、次は自分ではない、という保証はどこにあるのか。
そのようなものはない。しかし、人々は自分には起こらないと確信しているのか、あるいは開き直っているのか、あまり心配しているようには見えない。
このことを考えると、昔、よく読んだ星新一のショートショートの中で印象的だった話を思い出す。
詳細は覚えていないのだが、ある星に犯罪者が送り込まれ、生きていくためには、地面にある無数の地雷のようなものを掘り返さなくてはならない。しかし、実際、地雷もあり、どれが地雷か分からない状態で、意を決して掘り返さなくてはならないのである。
ロシアンルーレットよりは、確率が低いかもしれないが、絶対安全という保証はない。
毎日の生活もこれに近い状況、いやこの状況そのものではないだろうか。
このような状況で主人公は、悩みに悩む。実際、遠方の方からは、爆発の音も聞こえているのである。地雷を掘り起こすたびに、主人公は、肝を冷やすのである。
しかし、あるときから、主人公は、悟りを開く。それ以降、主人公は、何の躊躇もなく、地雷を掘り起こしていくのである。
どのように悟りを開いたのかは忘れたが(そのうち1000以上あるショートショートから探し出して再読してみる予定)、私ならば、悩んでも悩まなくても、死ぬときは死ぬ、そのときまでは、悩まない方が得なのではないか、と考えるだろう。
人間、考えに考えて堂々巡りになり出したら、そこまでに考えたことは無駄だとは思いたくないが、それ以上考えるのは無駄である。
結局、いろいろ考えようが考えまいが、毎日の生活は続いていくのである。一応考える。しかし考えても始まらないことが分かったら、それ以上は、下手の考え休むに似たり、である。
結局は、無念無想である。