今日のグルーヴ〈425〉

グルーヴについて、いろいろ洞察し、また、その定義自体を模索してきているが、先日、高校生の息子にいい言葉をもらった。


グルーヴとは、音楽のずれから生まれるノリである。

ここまでは、私も書いてきた。重要なのは、その先である。


アンサンブルとは、お互いのズレを共通認識することである。

そもそもアンサンブルとは、そのズレを共通認識し、グルーヴを生み出す行為である。


しかも、グルーヴを生み出すズレは、リズムやタイミングだけではない。音程のズレもグルーヴを生み出す源である、と言う。音程のズレがうねり、つまりグルーヴを生み出すのである。


なるほど、そもそも、人間同士が演奏する音楽に、まったくのズレがないはずもない。音程、リズムぴったり、というのがあるとすれば、それは、人間の耳の許容範囲内に音程、ハーモニー、リズムが収まっている、ということなのである。


元々ずれている者同士が、新たなグルーヴという価値観を生み出す。これは同じ人間がひとりとして存在しない人類が生み出すあらゆるものの中で、最も尊いもののひとつなのではないか。


アンサンブルの相性が良い者同士というのは、そのズレの共通認識の価値観がまさに共通しているのである。


もし、完璧な音程とぴったりのユニゾン、ハーモニー、リズムのタイミングを求めるのであれば、コンピュータにやらせればいいのである。勿論、そのような音楽もありである。


しかし、人間同士のアンサンブルでそのようなことは無理であるし、そもそも、そこを求めたりしていては、せっかくのグルーヴを生み出す源を自ら打ち消してしまう行為に等しい。


ゆえに、極端に言えば、合ってなくてオッケー。むしろ有り難いくらいである、と認識を改める方が、音楽本来の考え方であるし、人に合わせなければ、という強迫観念に駆られた人にとっては、精神衛生にも良いのではないか。


それは、どのような演奏形態でも共通していることである。たとえ、トゥッティ奏者であっても、いやむしろトゥッティ奏者こそ、この認識に立つべきなのではないか。


それは机上の空論である。きれい事である、と言われるかもしれない。勿論、交通整理が必要なズレまでもオッケーである、とは私は思わない。交通整理的な行為は、好きではないが、アマチュアにとってはある部分までは有効であるかもしれない。


プロのアンサンブルも、最初の合わせは、耳を疑うようなことがある。しかし、そこからグルーヴを生み出すべく合わせていく過程がまさにプロなのであろう。


世の中、音楽に限らず、様々なズレがある。しかし、音楽の世界においては、グルーヴを生み出すものとして、ズレこそその源として重要なものである、ということが判明しているのである。


世の中の様々なズレは、新たな価値観や、創造性を生み出す源と考えれば、むしろ、ズレこそ大切にし、分析すべきものなのではないか。


まさにこれは正反合といった弁証法的な考え方そのものであるし、改めて振り返れば、ソナタ形式は、人間を表現する上で、最も分かりやすい弁証法そのものである。

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