今日のグルーヴ〈419〉
野球も将棋も下克上の状態になってきた。
三位の横浜DeNAベイスターズが日本シリーズに出場し、将棋の世界では、四段、五段の若手がレジェンドと言われているベテランに勝つことが増えている。翻って音楽の世界は?
将棋のレジェンドの世代も、かつて、ベテランを破って世代交代を果たした世代であるが、今度は、逆の立場になるのであろうか。
この現象を起こした立役者は、やはり中学三年生の藤井聡太四段に違いない。やはり、このような天才的な実力者の登場によって、歴史は変えられるのだろう。
実際、現在の若手の棋士達は、歳の差や、段の差、あらゆる差を凌駕して勝ち続ける藤井聡太四段の登場によって、目が覚めたかのような活躍である。若手がどんどんタイトルを獲得している。
今までは、年の差や、段の差、あらゆる差による魔物のような壁によって跳ね返されてきたが、目から鱗が落ちたかのようである。
将棋の世界もAIの登場によって、まるで戦法が革命的に進化し続けている。このような場合、やはり、頭の柔らかい若い世代の方が圧倒的に強いだろう。悪手を指していないのに負けるという状態である。
例えば、テニスや鉄球でミス・ショットをしていないのに、相手の圧倒的なエース、ショットで打ち負かされるようなものである。
数学の世界も歴史的に、若い人が貢献し続けてきた。ノーベル賞を受賞する学者も、その業績のたいていが若い頃のものである。
翻って音楽の世界は、どうなのか。
勿論、歳など関係なく、圧倒的に上手ければ、それで良し、ということなのである。実際、かつてシカゴ交響楽団の首席Tp奏者のアドルフ・ハーセスも、80過ぎても、現役ばりばりだった。
しかし、そのような例は例外的であって、やはり、正面から実力を比較すれば、若手の方が、圧倒的である。
このような時に、音楽はテクニックではない、音楽性である、あるいは、年輪が醸し出す枯れた味がある、と反論するための言い訳が必ず用意される。
しかし、スポーツの世界では、圧倒的な全盛期を迎えた人がオリンピックに選ばれたりするのである。
音楽、とりわけクラシックの世界、演奏の世界も、圧倒的な全盛期を迎えた若手が重宝されるべきなのではないか。
しかし、音楽の世界は、将棋やスポーツの世界のように分かりやすい世界ではないだけに、難しい。これまでさんざん実力ある若手を見てきたが、何故か全盛期に、それに見合うような活躍の場を得られていないことばかりだった。
唯一若手が登場する機会は、コンクールである。しかし、コンクールでは一時の話題性しかない。継続的な活躍を保証してくれるわけではない。
これがポップスやロックや歌手等、つまりクラシック以外の世界であれば、聴衆は素直であるゆえに、若い人たちが人気と実力に見合った活躍の場が得られるのである。
尤も、クラシックを聴く若い世代の聴衆の人口がロック人口より圧倒的に少ない現状では、クラシックは伝統文化を守るためのものとして、一部の演奏家だけ育てるだけでいいのではないか、とさえ思えてくる。
歌舞伎の世界や、伝統芸の家元制度のように、伝統文化を守る、という方法をとるべきか、ポップスやロックの世界のように、圧倒的なファンを作るか、クラシックの世界はどっちつかずなだけに、岐路に立たされるのではないか。