今日のグルーヴ〈411〉
ハラスメントというのは、嫌がらせや相手を不快にさせる行動のこと、と定義されている。その種類は32種類あるという。これだけあれば、そのつもりがなくても何気ないひと言がハラスメントになっている可能性が大である。
またハラスメントを攻撃する風潮が高まっていることはいいことだと思うが、ともすると日本人はやり過ぎるのではないか。そうなると、別の新たな逆のハラスメントを作り出してしまうことにはならないか。
学生時代、楽団で横暴な指揮者から酷い言葉を何度もかけられたことがあるが、思い出せばハラスメントの見本市である。今であれば、おつりがくるくらいである。
ただ、言葉を額面通り受け取っていいのか、と疑問に思うこともある。言葉としては、辛辣でハラスメントであっても、そこに信頼感や絆のある人間関係であれば、ハラスメントではないだろう。
つまりハラスメントであるか否かは、人間関係次第である。ただ、相手との温度差はつきものであるから、自分ではハラスメントとは思わなくても相手にはハラスメントと受け取られる可能性もある。
そこが人間関係の最も難しいところの一つである。よく言われるボタンの掛け違いのようなことになる。
ゆえに、そのつもりがないのであれば、無難な言葉を使った方が無難である。無難な言葉を使い続ければ、無難な人間になるだろう。
しかし、そうなると、今度は魅力の無い人間と言われる可能性がある。そこで人類は、芸術というものを生み出した。芸術の世界というのは、虚構の世界とも言える。虚構の世界では何をしようと自由である。
芸術という免罪符を得て、人類は日常性と虚構の世界とを使い分けて、心の均衡を保っているのだろう。