今日のグルーヴ〈387〉
政府とメディアとは、仲が良いより悪い方が、健全である。
政府とメディアとが一緒になれば、政府は簡単に世論を誘導することができる。しかし、国民の多くは、そのことに気がつきはじめている。
しかし、ネット、SNSの登場で、メディアに依存しなくてもすむ方法を政府も国民も持つことができた。
実際、メディアを信用せず、自ら発信している政治家も増えた。それは、むしろ健全なことなのではないか。
メディアは、媒体であるゆえに媒介となるものである。当然、そこにはフィルターがかかる。何を報道し何を報道しないか、それはメディア次第である。国民にはそれは分からない。
結局、お天道様以外、真実、事実を把握するものがないのであれば、人々はネット、SNSに事実を求めるだろう。
紙媒体のメディアの多くが、ネットを利用し始めて、動画を載せているが、これは自ら、紙媒体の限界を示しているようなものではないか。
また、テレビでは個人の動画を載せ始めているが、すでに、ネットやSNSでは、個人が動画を載せている。
新聞より即時性のあるテレビと言われたものだが、テレビよりもさらにネットは速い。
既存のメディアに依存しない方法を我々は既に手に入れたのである。
世の流通網で起きていることと共通している。
これまで、すべてのものは、流通網を通して入って来た。例えば本。出版社から流通網を通して書店に卸され、我々はそれを買いに行く。この仕組みは、ほぼあらゆる商品に関して共通している。
しかし、ネットの登場やAmazon等のWebサービス企業の登場は、日本の書店に大きな衝撃を与えた。この20年ほどで、一万軒も減少しているのである。
生産者から消費者へ直のルートができたならば、媒介するものはなくなるのは自然の流れである。
メディアも媒介するものであるという性格のものであるならば、このままの流れでいくと、いずれ淘汰されるのではないか。
メディアと政府、メディアと国民、それぞれ微妙な緊張状態で、バランスを保つ。
そこにこそ、メディアの存在理由があるのではないか。