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今日のグルーヴ〈386〉

マスコミも、商売であるし、スペースも限られているから、常に売れるニュースを優先させるのであろうが、とにかく国家存亡の危機のニュースからゴシップやスキャンダルまで、とにかく幅が広い。


これを懐が深いというのか、節操がないというのか、判断に苦しむところだが、とにかく結論がいつも見えないのは何故か。おそらく、ニュース・バリューが下がるからなのではないか。


起承転結の結の部分がいつもないような気がしてならない。そういえば、あの事件、結局どうなったのかな、というような話ばかりである。


事件の発端には、皆興味を持つが、それがその後、どう展開し、どのような結末を迎えるのか、そこまで興味が持続しない国民にも問題があるのではないか。しかし、昨今の緊張状態に対し、常に意識は持続しなくてはならないはずである。


この状況は楽曲を最初から聴いても、途中でやめてしまうのに等しい。我々は聴きだしたら最後まで全部聴く(はずである)。そうしないと気持ちが落ち着かない。


楽曲の造りでも、このようなことはあり得ない。(はずである)。例えば、ソナタ形式の楽曲は、弁証法的な論理の展開を楽曲に持ち込んだ究極の楽曲形式だと思うが、世の中の事象もソナタ形式で表現できるはずなのではないか。


しかし、自分で書いておきながら、世の中、ソナタ形式で表現できるほど、単純ではない。ソナタ形式は理想の一つではあるかもしれないが、作り込んでいくものであるからリアリズムではない。


例えば、クリフォード・ブラウンというジャズ・トランペッターの演奏、アドリブは、始まりと終わりが分からないというか、ない、というか、つまり、過去から未来へ延々と続く音楽の一部をあたかも切り取っているかのような演奏なのである。これがリアリズムだとすれば、まさにニュースはクリフォード・ブラウンの演奏のようなものである。


過去から未来に継続する事象の現在を切り取るのがニュースだとすれば、ニュースに起承転結を求めるのは無意味かもしれない。事実は小説よりも奇なりの連続なのだろう。何が起きてもおかしくはない。


しかし、今、解散総選挙をやっている場合なのか?



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