今日のグルーヴ〈385〉

言うは易く行うは難し


大学時代の音楽仲間から依頼されて、彼らがふだん活動している吹奏楽団のトラに行った。

吹奏楽は30年振りであるので、とても楽しみだった。


このコラムでは、現在の吹奏楽の練習法について、時々いろいろ書いた。交通整理のし過ぎによって、個性が失われる云々。


その考え方に今も変わりはないし、これからも主張したいが、個人的には、つまり私には交通整理が必要である、ということが判明した。


まるで言い訳にしかならないが、30年オーケストラに浸っていたので、吹奏楽の感覚をすっかり忘れてしまったようである。しかも、30年の間に、吹奏楽のアレンジ楽譜はどんどん難しい作品を扱うようになった。


グルーヴも当たり前の世界であるし、吹奏楽団の方々もグルーヴの概念は常識となっている。それは大変私にとっては喜ばしいことなのだが、私がグルーヴしなくてどうする、という話である。


言い訳ついでにさらに書くが、オーケストラのトランペットというのは、マーラーとか近代の作品は別として、ほとんど、全音符と二分音符と四分音符と八分音符くらいで、アタックの種類と伸ばしている音の充実、音色の使い分けが命で、吹奏楽のように細かくて木管楽器のようなフレーズはあまり出てこない。


さらに言い訳じみているが、大学時代、吹いて吹いて吹きまくるような練習をしていて、耐久力には自信があった。オーケストラをやっていても、その耐久力は役にたったが、だんだんと脱力奏法になり、モーツァルトを美しく演奏することに喜びを感じるようになり、大学時代とは別人のような演奏になっていたわけで、その状態で吹奏楽に戻るのは、まるで浦島太郎である。


息子がやっている吹奏楽部の演奏に関して、ああでもない、こうでもない、と偉そうに言ったりしたものだが、今は反省している。言った内容は正しいはずであるが、私が言うべきではない、という気持ちである。


しかし、ここで挫けるわけにはいかない。時々ここに書いたトランペットの奏法、メソードが、あらゆるジャンルで有効である、ということを証明するためにも、リベンジをしたい、という気持ちだ。



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