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今日のグルーヴ〈378〉

明治から昭和初期にかけて、北海道各地で建築された貴重な建造物を移築復元している「北海道開拓の村」という広大な施設が、札幌市郊外にある。


開拓の村、とあるが、その部分もあるが、明治以降の日本の文化や政治経済、医学、学校、商店、旅館、農家、染め物屋、漁村、養蚕、作家、新聞社‥とありとあらゆる分野の実像の復元を垣間見ることができるのである。


本州では残されていないものが、むしろ北海道にはあるのかもしれない。

ヒットした連ドラ「マッサン」の撮影に使われた建物もある。


民家の作り、風呂や御不浄、土間、廊下などは、私の幼少の時を思い出させてくれた。むしろ、昔の作りの方が、ある意味贅沢であったかもしれない。


私の田舎の富山の家は民宿になってもおかしくないくらいの部屋数があり、親戚一族が集まっても大丈夫なくらい広い部屋もいくつかあった。しかし、木造建築の宿命であるが、いつかは朽ち絶えるのである。


その開拓村の中に、活版印刷の設備や、初期のオフセット印刷機、写真植字機があったのには驚いた。


私が雑誌に関わっていた初期の頃、まだ私がいた出版者は、活版であった。すでに世の中、写植によるオフセット印刷に移行している時代だったが、出版社というのは、意外と保守的なのである。その後、すぐに写植からコンピュータによるDTPの時代へ移行するのではあるが。


写真植字機も、これも博物館ものの和文タイプライターのような感じだった。初期の写植機は、植字するたびにガシャン、ガシャン、と凄く大きな音がした。写植のオペレーターは、朝から晩まで、下手をすると徹夜しながら、植字していたものだ。


ただ、活版のように手が真っ黒になることはないので、女性でもできる仕事として、もてはやされた。しかし、端から見ていても、きつい仕事であることは察することができた。しかしそれも過渡期のものだったのだろう。


今や、すべてパソコンやDTPに集約された感がある。これも、将来的にまた何かの技術革新があるかもしれないが、とりあえずの終着点のように思える。


とはいえ、活版からDTPまで経験できたのは、時代の変革を目の当たりにすることができたという意味で、貴重な体験だった。

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