今日のグルーヴ〈377〉
国民が一体となって国を礼賛する姿には恐怖を覚える。
人間はどこまで自分の本音に見て見ぬふりをすることができるのだろうか。
あるいは、どこまで本気で思い込もうとすることができるのだろうか。
しかし、これは洗脳ではない。思い込もうとするのは洗脳ではない。自分に嘘をつくのは洗脳ではない。洗脳というのは、洗脳されていることに気づかないから洗脳なのである。
洗脳というのは、あらゆる場面で存在する。私など、すぐ洗脳される。洗脳がいけないとは思わない。洗脳がなければ、人間は、なにも変わらないのではないか。
人間は、洗脳の積み重ねによって、あるいは上書きによって、成長しているのかもしれない。
学習。これは洗脳そのものである。
問題は、自分による自分のための洗脳である。これは、洞察、という人間独自の行為を放棄していることになる。
人間が動物と違うのは、そして霊長類の最高の存在と言われる所以は、この洞察という行為一点に尽きるのではないか。
洞察という行為のおかげで人間は、アイデンティティーを保つことができるに違いない。洞察を放棄した時点で、アイデンティティーの放棄となるに違いない。